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二匹の鼠  作者: 春夏かなた


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3/9

第2話 山の中の護送隊

鬱蒼と生い茂る木立を抜けた先。


少し開けた山道の入り口に、涼音の小さな背中がちょこんと立っていた。


「はあ、はあ……よくもまあ、こんなところまで……!」


阿茶屋は両膝に手をつき、肩で大きく息をした。額から流れ落ちた汗が目に入り、息を吸うたびに胸が痛む。


「遅いよ、おっちゃん。だらしないねえ」


涼音は悪びれもせず振り返ると、からかうように口の端をつり上げた。


その額には、汗ひとつ浮かんでいない。


「……っ、この、クソガキ……!」


ありったけの文句を叩きつけてやりたかったが、声にならない。


阿茶屋は荒い息を吐きながら、小憎らしい娘をギロリとにらみつけた。


「ところでさ」


そんな視線など気にも留めず、涼音は山道の奥を指さした。


「さっき、何かの御一行様がこの山へ入っていったよ」


「……何かの御一行様って、なんだそりゃ」


ようやく息を整えた阿茶屋は、手ぬぐいで顔の汗を拭いながら眉をひそ

めた。


「行商人の一行でもいたのか」


「違うね。大事そうに荷を運んでたけど、商人っていうより、お侍さんの一行みたいだったよ」


涼音は阿茶屋へ顔を向け、その目をじっと見つめた。


「侍だと……? 都へ献上品でも運んでるのか」


阿茶屋は顎をさすりながら、首をかしげる。


「それにしては軽装だったよ。なんか、こそこそ運んでるようだったし。とにかく変だった」


「確かに、こんな人も通らねえような道を使うのも妙だな」


阿茶屋は腕を組み、山道の奥へ目を向けた。


そこで涼音は、ちらりと周囲へ視線を巡らせた。


「それにさ」


辺りに人影はなかったが、それでも涼音は声を潜めた。


「その御一行様のあとを、怪しい連中がこっそりつけてたんだ」


「怪しい連中?」


阿茶屋の顔から、わずかに疲れの色が引いた。


「山賊か」


「どうかな。そこらの山賊が、こんな上等なものを持ってるわけないだろ」


そう言って、涼音は懐から黒光りする筒を取り出した。


金細工の施された、立派な短筒だった。


涼音は品定めでもするように持ち上げると、その筒先を何げなく阿茶屋へ向けた。


「うわっ!」


阿茶屋はぎょっとして身をのけぞらせ、思わず両手を上げた。


「ばかっ、そんな物騒なもんを人に向けるんじゃねえ!」


「火が入ってなきゃ、ただの鉄の筒だよ」


涼音はけらけらと笑いながら、短筒を阿茶屋へ差し出した。


阿茶屋はおそるおそる受け取る。


「お前……こいつをどこで……」


「ちょいっと、その連中の懐からねえ」


涼音は得意げに笑い、指先をくるりと回してみせた。


「お前なあ……少しは自分の立場ってものを考えろよ」


阿茶屋は頭痛をこらえるように眉間を押さえた。


それから、手の中の短筒を改めて眺める。


「侍の一行に、こんなものを持った怪しい連中か……」


阿茶屋は薄暗い山道の奥へ目を向けた。


風に揺れた木々が、ざわざわと不穏な音を立てている。


「確かに、きな臭いな」


「だろ?」


涼音は我が意を得たりとばかりに、にんまりと笑った。


「絶対、何か面白いことがあるって。行ってみようよ」


「ええ……」


阿茶屋は露骨に嫌そうな顔をした。


「俺は遠慮するぜ。どうせ、ろくでもねえ面倒事だ。関わりたくねえ」


「そう。じゃあ、おいら一人で行くよ」


涼音はくるりと踵を返し、軽い足取りで山道へ向かおうとする。


「あ、待て、待て!」


阿茶屋は慌てて、その背中を呼び止めた。


ここで逃がせば、また山の中を追い回す羽目になる。


「……また追っかけっこは勘弁だぞ」


深いため息をつき、阿茶屋は観念したように頭をかいた。


「しょうがねえ。付き合ってやるよ」


「じゃあ、決まりだね!」


涼音はぱっと笑顔を浮かべると、阿茶屋の袖をむんずとつかんだ。


「ほら、早く行こう。追いつけなくなっちゃうよ!」


「分かった、分かった。引っ張るなっての!」


阿茶屋はぶつぶつと文句をこぼしながらも、涼音に引かれるまま走り出した。


二人は先に山へ入った一行を追い、小走りで鬱蒼とした山道へ足を踏み入れていった。




               ♢

人が踏み入ることを拒むような荒れた獣道を、阿茶屋はおぼつかない足取りで進んでいた。


地を這う木の根に何度も足を取られ、無遠慮に伸びた枝葉をかき分けるたび、着物の袖が引っかかる。


その少し先では、涼音が平らな道でも歩くように、軽々と獣道を進んでいた。


「ほんと、何者なんだよ……。山猿か、あいつは」


「おっちゃん、何か言った?」


涼音が肩越しに振り返る。


「……何も言ってねえよ」


阿茶屋は忌々しげに吐き捨て、苔むした石を踏み外さぬよう、慎重に歩

を進めた。


二人は怪しい連中の跡を追い、山道を外れて獣道へ入り込んでいた。


しばらく進むと、ふいに前方の木々が途切れ、わずかに開けた場所へ出た。


そこで、先を行く涼音がぴたりと足を止める。


「おい、どうした」


阿茶屋もその背後で立ち止まり、涼音の視線を追った。


「……なんじゃ、こりゃあ」


思わず顔をしかめる。


道脇の草が広い範囲にわたって押し潰され、むき出しになった地面に

は、何か重いものを引きずったような跡が残っていた。


周囲の木々にも、刃物とも獣の爪ともつかない深い傷が、幾筋も刻まれている。


涼音はその場にしゃがみ込み、荒れた地面へ指先を触れた。


「何かが、ここで暴れたみたいだね」


「熊か何かか?」


「どうだろうね」


涼音は立ち上がると、押し潰された草や傷ついた木々へ目を向けた。


「獣に襲われたんなら、もっと血が残っててもおかしくない。でも、ここにはほとんどない」


阿茶屋も改めて辺りを見回した。


確かに、激しく争った跡はある。


だが、血も死骸も見当たらなかった。


「じゃあ、いったい何なんだよ」


「この山には妖が出るって、さっき言っただろ。おっちゃんも少しはここを使いなよ」


涼音は呆れたように口を尖らせ、自分のこめかみを指先でこつこつと叩いた。


「うるせえな。妖なんて、俺から逃げるための出まかせだと思ってたんだよ」


「まあ、半分はそういうつもりだったけどね」


「やっぱりそうじゃねえか!」


阿茶屋が半眼を向けた、その時だった。


「ええい、何をしておる!」


遠くの山道から、苛立ちに満ちた怒鳴り声が響いてきた。


阿茶屋と涼音は同時に顔を上げる。


「今の声……」


「行ってみよう」


涼音は身を翻すと、すぐさま声のした方へ駆け出した。


「おい、待てって!」


阿茶屋も慌ててその後を追う。


二人は藪をかき分け、山道の近くまで戻った。


すると少し先に、道を塞ぐように立ち往生している一行の姿が見えた。


「あいつらか。お前の言ってた御一行様は」


「うん。でも、あんなところで何やってるんだろう」


二人は息を潜めて藪の中へ身を隠すと、物音を立てないよう、そっと一行へ近づいていった。


重そうな荷を積んだ一頭の駄馬が、道の真ん中で四つ脚を踏ん張り、頑として動こうとしない。


その傍らでは、若い侍と馬子が言い争っていた。


「……おい、あれは上月様じゃねえか」


阿茶屋は藪の隙間から若い侍の横顔を見つめ、わずかに目を見開いた。


「知ってるの?」


涼音が振り返り、阿茶屋の顔を見上げる。


「ああ。この藩の藩主、その御子息だ」


「へえ。あれが若様ねえ」


涼音は興味深そうに、改めて上月へ目を向けた。


その時、上月と向かい合っていた馬子の声が聞こえてきた。


「仕方ねえでしょうが。こうも馬が動かねえんじゃ、先へ進みようがねえですぜ」


阿茶屋と涼音の視線が、今度は動かない駄馬と、その手綱を握る馬子へ向けられた。


がっしりとした岩のような体つきの馬子――矢作は、困ったように眉をハの字に下げ、大げさに肩をすくめてみせた。


「だから、とっとと言うことを聞かせて動かせと言っておるのだ!」


顔を真っ赤にした若侍――上月伊佐緒は、苛立ちのままに声を張り上げる。


「そう言われましてもねえ。そんなに怒鳴ってばかりじゃ、馬もへそを曲げて、ますます言うことを聞いちゃくれねえですぜ。若様」


矢作は身分の違いなど気にも留めていない様子で、悪びれもせず小指で耳の穴をかいた。


「ほざけ!」


上月が血相を変え、今にもつかみかからんばかりに一歩前へ出る。


「上月」


張り詰めた空気を割るように、背後から低く落ち着いた声がかかった。


少し離れたところで成り行きを見守っていた役人――眞田幸之助が、静かな足取りで二人のもとへ歩み寄ってくる。


「なんだ」


上月は不機嫌さを隠そうともせず、肩越しに鋭い目を向けた。


「皆、疲れている。この辺りで一度、休ませてもよいのではないか」

眞田に促され、上月は前方へ目をやった。


先を歩いていた男たちもすでに足を止め、額の汗を拭いながら、疲れた顔でこちらを見ている。


その傍らでは、残る二頭の駄馬も重たい荷に首を垂れ、荒い鼻息を漏らしていた。


「そうはいかぬ」


上月はぴしゃりと言い放つと、矢作の前へ無言で手を差し出した。


短鞭をよこせということらしい。


矢作は目を閉じ、やれやれと首を振ると、腰に差していた短鞭を手渡した。


「待て、上月。よさぬか」


眞田が慌てて、その腕をつかむ。


「焦る気持ちは分かるが、馬を叩いたところで――」


「お前は、まるで分かっておらぬ!」


上月は眞田の言葉を遮り、その顔を鋭くにらみつけた。


「我らは、一日たりとも都への到着を遅らせるわけにはいかぬのだ。それが分からぬお前ではあるまい!」


「……」


眞田はしばらく上月を見つめ返していたが、やがて小さく息を吐き、つかんでいた腕を離した。


上月は道の真ん中に立ち尽くす駄馬へ大股で歩み寄ると、短鞭を高く振り上げた。


「この鈍物め。さっさと動け!」


ぱしんっ!


乾いた音が山道に響き、しなった鞭が駄馬の尻を打った。


ところが――。


駄馬は痛がるそぶりすら見せなかった。


それどころか、ふわあと間の抜けた大きなあくびをすると、首を下げ、足元に生えていた青草をのんびりと食べ始める。


先の方から、押し殺しきれない笑い声が漏れ聞こえてきた。


「おのれ……畜生の分際で、馬鹿にしおって……!」


上月は屈辱に顔を引きつらせ、怒りに任せて再び短鞭を振り下ろした。


ぱしんっ、ぱしんっ!


乾いた音が続けて響く。


それでも駄馬は意に介した様子もなく、長い尻尾をゆったりと揺らしながら、むしゃむしゃと草を食べ続けていた。


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