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第9話「近づく距離」

 朝霧が晴れゆく山間のオアシス。

 透明度の高い湖面が、昇り始めた太陽の光を受けて黄金色にさざめいている。


 昨晩、互いの汗と愛の証で汚れた身体を清めるため、二人は夜明けと共にこの水辺へとやってきていた。


 ひんやりとした水底の砂を素足で踏みしめながら、ディーネは頭からざぶりと水を被る。

 水面から顔を出し、青味がかった髪を後ろへかき上げると、しなやかな曲線を描く裸体から水滴が弾け飛び、朝の光を浴びてプリズムのように輝いた。


 ふと視線を感じて振り返ると、少し離れた浅瀬で身体を洗っていた男が、ビクンと肩を揺らして慌てて顔を背けるところだった。

 その無骨で逞しい横顔は、首の根元から耳の先まで、火が付いたように真っ赤に染まっている。


「……なんだい、あんた。今更どこ見て照れてるんだか」


 ディーネは呆れたように小さく吹き出し、バシャバシャと水音を立てて彼の元へと歩み寄った。


「そ、それは……その、明るい陽光の下で見るお前の姿が、あまりにも……眩しくて……」


 目のやり場に困り、視線を彷徨わせる大男。そのしどろもどろな様子に、ディーネはおかしくてたまらないといった風に声を上げて笑った。


「ほんと、おかしなヤツだね。昨夜はあんなに獣みたいに貪りついて、お互いの恥ずかしいところなんて、嫌ってほど見せ合ったじゃないか」

「う……それは、そうだが……っ」


 からかうように彼の目の前に立ち、ディーネはその大きな手から水草を編んだ布を奪い取る。


「ほら、背中向けな。流してやるよ」

「……あ、ああ。すまん」


 素直に背を向けた彼の、岩のように広くて頼もしい背中。そこには昨夜、自分が快楽のあまり立ててしまった爪痕がいくつも残っている。

 それをごしごしと遠慮なく擦る。

 不思議なことに、その時間は少しも退屈ではなかった。


 むしろ妙に落ち着く。


 その理由までは考えなかった。




「で? この鬱蒼とした森ももう飽きたし、次は何処へ行く? 北の雪山か、それとも東の海峡にでも行ってみるかい?」


 適当に水を掛け合い、互いの肌を洗い流しながら、終わりのない旅の予定を無造作に尋ねる。

 すると彼はゆっくりと振り返り、照れを隠しきれない顔のまま、それでも真っ直ぐに彼女を見つめ返した。


「俺は……お前が行く場所なら、地の果てでもついていく。お前と一緒なら、どこだっていい」


「……バカの一つ覚えみたいに、そればっかりだね」


 呆れたように言い捨てながらも、ディーネの口元は隠しきれない喜びに緩んでいた。


 澄み渡る朝の空気と、果てしなく広がる未知の世界。

 しかし今ディーネは、いつの間にか、景色を見るより先に彼の姿を探している自分に気づかなかった。




「行くよ」

「ああ」


 ディーネは先に歩き出す。

 その半歩後ろを、大きな足音が当然のようについてくる。

 振り返ることはない。

 振り返らなくても、そこにいると知っているからだ。


 朝陽に照らされた二つの影は、まだ見ぬ世界へ向かって長く伸びていた。

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