第6話「気に食わない思い出」
窓の隙間から、青白い月光が静かに忍び込む旅の安宿。
古い木製のベッドの上で、ディーネは組んだ膝に顎を乗せ、隣に座る彼を横目で見た。
「……あのさあ」
「ん?」
「その……この前の……なんだぁ?」
「……?」
「あんたも、あたしも、本調子じゃなかった……よな……?」
「? ああ」
「……なんつうかさ、お前が死にそうになったり、あたしが痛い思いしたり、嫌な記憶になってるだけってのが、なんだか気に食わなくて、ね」
「……」
「……だからさ、もう一度、やってみない?」
言った直後に、自分でも何を口走っているんだと思った。
だが引っ込めるには遅すぎた。
「……ディーネ……お前、それ、どういう意味で言ってるのか、解ってるのか?」
「……さあね」
ふい、と視線を逸らした彼女の耳の端が、月明かりの中でもわかるほどほんのりと朱に染まっている。
前回の、猛毒から逃れるための初めての交わり。
それは互いにとって、焦燥と痛み、そして命を繋ぎ止めるための必死さだけが刻まれたものだった。
それを「気に食わない」と切り捨ててみせた彼女の不器用な誘いに、彼は胸の奥をギュッと掴まれたような衝撃を受けた。
薄暗い部屋で照れ隠しにそっぽを向く彼女を見て、彼は思わず息を止めた。
胸の奥がじわりと熱くなる。
その熱の正体など、考えるまでもなかった。
「……笑いたきゃ笑いな。あたしだって、どうせなら気持ちいい方が――んっ」
強がりな言葉は、彼がそっと重ねた唇によって優しく塞がれた。
前回の野獣のような荒々しさとは全く違う、ひび割れた硝子を扱うような、羽のように軽い口づけ。
ディーネは一瞬目を丸くしたが、すぐに彼の首に腕を回し、自ら強引に彼の唇をこじ開けた。
「……っ、ん、ふ……まどろっこしいね……」
彼女らしい荒っぽさで舌を絡め取られ、彼は微かに笑みをこぼす。そのまま互いの衣服が擦れる音と共に、静かにベッドの上へと彼女を押し倒した。
月の光を浴びた透き通る素肌の輪郭を、彼の手のひらが祈りを捧げるようにゆっくりとなぞっていく。
「今日は……絶対に痛くしない。お前がとろけるまで、大切にする」
「……口だけじゃないだろうね」
挑発するように青い瞳が笑う。
彼は彼女の首筋から鎖骨、そして小さくも均整のとれた胸元へと、一つ一つ印を刻むように口づけを落としていった。
丁寧に、じっくりと。前回の切羽詰まった記憶を塗り替えるように――
月明かりの下、二人は抱き合ったまま深い呼吸を繰り返していた。
「……で?」
彼の胸を指先でつつきながら、ディーネが呟く。
「ん?」
「今回はどうだったんだい」
彼が少し困ったように笑う。
「最高だった」
「……ふん」
そっぽを向いたディーネの口元も、わずかに緩んでいた。
ディーネは彼の胸に頬をすり寄せ、満足げに目を閉じる。
あの日の洞窟で感じた痛みも恐怖も、消えたわけではない。
それでも今は、不思議と嫌な記憶には思えなかった。
隣にいる男の温もりが、全部上書きしてしまったかのように。
(……まあ、悪くないか)
胸の内でだけそう呟き、ディーネは静かに目を閉じた。
窓辺の薄布を揺らして入り込む夜風が、汗ばんだ二人の身体を優しく撫でていった。




