第5話「始まる二人」
岩壁を這う冷たい風が、汗ばんだ二人の素肌を静かに撫でていく。
狂気のような熱の嵐が過ぎ去った洞窟の奥深くで、ディーネは彼の分厚い胸板にぴったりと耳を押し当てていた。
ドクン、ドクン……。
静寂の中で響く、力強く規則正しい心音。
その確かな命の律動を感じ取った瞬間、ディーネの奥歯がカチリと鳴った。
彼の熱い体温に包まれながら、彼女自身の身体が小刻みに震えていることに、今さら気がついた。
(……死ぬかと、思ったじゃないか)
ただの退屈しのぎの連れ。自分のことを好きだという物好きな男。そう嘯いていたはずだった。
だが、彼が毒に侵され、目の前で命の灯火を散らそうとした時、彼女の胸を貫いたのは、身を裂かれるような喪失の恐怖だった。
彼が死ぬ。
その考えが脳裏をよぎった瞬間、胸の奥を何かに鷲掴みにされたような気がした。
どうしてそんな気分になるのかは分からない。
分かりたくもなかった。
ただ、ひどく気分が悪かった。
ディーネは彼の広い背中に回した腕の力を、爪が食い込むほどに強めた。
「……ディ、ネ」
不意に、頭上から掠れた声が降ってきた。
弾かれたように顔を上げると、毒の濁りが完全に消え、いつもの深い光を取り戻した瞳が彼女を見下ろしている。
「俺は……お前を、傷つけた……っ」
己のしでかした事の重大さに気づき、絶望と後悔に顔を歪める彼。しかし、ディーネはその大きな身体を逃がさないように、さらに強くしがみついた。
今まで知らなかった感情が、腹の底からドロドロと湧き上がってくる。
この男は、自分を護るためにあっさりと命を投げ出した。そして自分は、自らの最も深い場所でその熱を受け止め、彼を此岸へと引きずり戻したのだ。
自分の内で受けとめた彼の熱が、彼が生きているという何よりの証として、今も奥底で脈打っている。
「……バカだね、ほんとに」
ディーネは至近距離で彼を見据え、かすかに震える声で紡いだ。
「勝手に死のうとした落とし前は、きっちりつけてもらうよ。……あんたの命はあたしが助けたんだ。だから、勝手にどっかで死ぬのは許さないよ」
自分でも驚くほど、低く熱を帯びた声だった。
この感情が何なのかは分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
誰にも渡したくない。
それだけは、嫌だった。
初めて芽生えた強烈で理不尽な執着が、彼女の青い瞳に昏く甘い火を灯していた。
「……ああ。俺の命は、とうにお前のものだ」
彼の大きな手が、ディーネの頬を壊れ物を扱うように優しく包み込む。
そして、引き寄せられるように重なり合った唇は、先ほどの命を削るような荒々しい交わりとは違う、どこまでも深く、蕩けるように甘い熱を帯びていた。
二人は息継ぎすら惜しむように互いの存在を確かめ合う口づけを交わし続ける。
気まぐれで始まった旅は、もう退屈ではなくなっていた。
それだけは、確かだった。




