第11話「ほんのわずかな」
二人揃って湯を浴び、簡素な宿の食堂で食事を済ませた後。
薄暗いランプの火が揺れる部屋へと戻り、二人は並んで木製のベッドに腰を下ろした。
湯上がりのディーネの若葉にも似た水色の髪からは、石鹸の甘い香りがふわりと漂っている。その香りに当てられたのか、隣に座る彼はどこかソワソワとしており、やけに落ち着きがない。
彼の視線が、ディーネの細身で引き締まった身体や、火照りを残す白い首筋をチラチラと彷徨っているのが痛いほどわかる。
期待で張り裂けそうになっている彼を横目に、ディーネはわざと大きく伸びをした。
「あー、食った食った! 湯にも浸かってさっぱりしたし……じゃあ、寝るか!」
そう言って、ディーネはさっさとシーツを被り、彼に背を向けてゴロンと横になってみせた。
「…………えっ?」
背後で、彼の呼吸がピタリと止まる。
恐る恐る振り返ってみると、そこには、まるでこの世の終わりでも宣告されたかのような、絶望と悲哀に満ちた大男の顔があった。
声に出さずとも、その顔面がすべてを雄弁に物語っている。
そのあまりにも分かりやすく、そして自分への執着にまみれた大型犬のような表情に、ディーネはついに堪えきれず吹き出した。
「あーっはっはっは!!」
「ディ、ディーネ……?」
「ばーか、嘘だよッ!」
シーツを蹴飛ばして起き上がると、ディーネは勢いよく彼の分厚い胸板へと飛び込み、その太い首に両腕を回してぎゅっと抱きついた。
「わっ……と!」
突然のダイブに体勢を崩し、大柄な彼がベッドの上へと仰向けに倒れ込む。その上に馬乗りになるような形で、ディーネの身体が重なった。
「嘘って……お前……っ」
「あんたがそんな顔するから、ついからかいたくなっちゃったのさ。……でも、もう焦らすのはおしまい」
至近距離で見つめ合う。
ディーネの青い瞳には、彼をからかう悪戯っぽい光が宿っていた。
それなのに胸の奥だけが妙に熱い。
彼の大きな手が、ディーネの腰を力強く、けれど壊れ物を扱うように優しく引き寄せる。
言葉は、もう必要なかった――
月明かりが古い宿屋のベッドを淡く照らし出す。
シーツの上に転がる二つの全裸の身体は、先ほどから子供のようにふざけ合い、互いの肌の感触を確かめ合っている。
ディーネは黙って目を閉じた。
ひび割れた硝子を扱うような、恐る恐る触れる彼の不器用な優しさが、何故か今はただ心地よい。
背中に密着する厚い胸板の熱に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……なあ……もう……」
辛抱たまらなくなり、ディーネは振り返り気味に彼を見上げた。視線は自然と、熱を帯びていた。
無言の催促を受け、彼は小さく頷くと、短く呪文を紡いだ。
《障肌結界》――
慣れた手つきで自身に魔法を施す彼。
その透明な膜を纏った熱を見つめ、ディーネは目を細めた。
「……律儀なことで」
「……お前だって、身重で旅をしたくはないだろう?」
あてのない流浪の旅。いつ命の危険に晒されるかわからない道中で、それは至極当然の配慮だった。
「…………そうだね……」
ぽつりと同意し、視線を落とす。
降りた沈黙は、夜の冷気よりも少しだけ重かった。
「……俺はっ、お前の――」
彼がその言葉を紡ぎ切るより早く、ディーネは勢いよく両腕を彼の太い首に回し、強引に引き寄せてその不器用な唇を塞いだ。
馬鹿みたいに真っ直ぐな言葉を、これ以上聞かされてはたまらない。
短い口づけで言葉を飲み込ませると、彼が戸惑う隙にわざと乱暴な声を出す。
「さあ、つべこべ言ってないで、ヤるんだろ!? 焦らすなよ?」
「あ、ああ……」
彼が表情を覗き込むより早く、ディーネはその広い胸に深く顔を埋めて抱きついた。
交わらない本音と、ほんのわずかな寂しさ。
言葉の代わりに、互いの体温だけが嘘偽りなく熱く重なり合い、少しだけ切ない余韻を孕んだ夜が、静かに深まっていった。




