第2話 跪く眷属と、冥王の初陣
皇冥斗は、理解が追いついていなかった。
目の前には、片膝をついて頭を垂れる漆黒の女騎士。
その背後には、果てしなく並ぶ異形の軍勢。
見上げれば空は青く、吹き抜ける風は妙に爽やかで、現実感だけがどこかに置き去りにされている。
「長き眠りより蘇られし冥王ルイン=クロノス様。再びこの世界に君臨なさる時が来ました」
「…………」
冥斗は黙った。
いや、正確には喋れなかった。
何を言えばいいのか分からない。
というか、まず確認したいことが多すぎる。
ここはどこなのか。
なぜ自分は生きているのか。
なぜ腕が光っているのか。
なぜ目の前の美女騎士は当然のように跪いているのか。
そして何より、
なんで俺の黒歴史設定が実在しているんだ。
内心で絶叫しながらも、冥斗はなんとか表情を保った。
こういう時、長年の中二病は役に立つ。
意味深に黙る。
目を細める。
少し顎を引く。
それだけで、なんとなく「強者の余裕」っぽく見える。
実際は、頭の中がパニックでぐちゃぐちゃだった。
「……面を上げよ」
とりあえず、言ってみた。
女騎士はゆっくりと顔を上げた。
美しかった。
腰まで流れる銀髪。
白磁のように整った顔立ち。
紅い双眸は鋭いのに、その奥には揺るぎない敬意が宿っている。
全身を覆う黒の甲冑は重厚でありながら、彼女の肢体のしなやかさを隠しきれていない。
冥斗は思った。
うわ、美人だ。
そして次に思った。
やばい、今の顔に出てないよな。
「我が王」
女騎士は低く、しかし澄んだ声で名乗った。
「我が名は、黒血の戦乙女ヴァルシア。貴方様が永き眠りにつく以前より、第一眷属として御身に仕えてきた者にございます」
「ヴァル……シア」
「はっ」
返事が重い。
忠誠心が重い。
視線も重い。
この場の期待のすべてが、冥斗一人にのしかかっていた。
背後の異形たちも一斉に頭を垂れたままだ。
もし今ここで、
「いや人違いです」
などと言ったらどうなるのだろう。
たぶん終わる。
何が終わるのかは分からないが、とにかく色々終わる気がする。
人間は極限状況に置かれると、時に驚くほど冷静な判断を下す。
皇冥斗がこの瞬間に出した結論は一つだった。
――演じ切るしかない。
幸い、それは彼の最も得意とする分野だった。
「久しいな、ヴァルシア」
言った。
言ってしまった。
だがヴァルシアは一切疑わなかった。
むしろその紅眼をわずかに潤ませ、深く頭を垂れる。
「お言葉を賜り、恐悦至極にございます。我が王」
効いた。
めちゃくちゃ効いた。
冥斗は心の中で震えた。
通じる。
この世界では本当に通じる。
ならばもう、やるしかない。
「眠りの間、世界はどう変わった」
「かつて貴方様が滅ぼしかけた七王国は、今や十二の国家へと枝分かれし、互いに争いを続けております」
「滅ぼしかけたの?」
思わず素で聞き返しそうになって、冥斗は喉の奥で咳払いした。
「……愚問であったな。続けよ」
「はっ。この地は旧き冥界領の外縁。貴方様が最後に天を断ち、大地を割り、世界に恐怖を刻みつけた終焉の平原にございます」
情報量が多い。
重い。
中二病時代の自分ならガッツポーズしていたはずだが、今の冥斗には荷が重すぎた。
天を断ち。
大地を割り。
世界に恐怖を刻んだ。
どう考えてもまともな存在ではない。
だが周囲の空気からして、どうやら自分は本当にその存在らしい。
「我が王。ご命令を」
「命令?」
「はっ。再臨された今、我ら冥王軍はいつでも進軍可能にございます。まずは近隣の砦を制圧いたしましょうか。それとも王都へ侵攻なさいますか」
急に物騒になった。
冥斗は全力で思った。
待って。
いきなり世界征服の会議始めないで。
しかし顔には出せない。
ここで狼狽えれば終わる。
たぶん「王の記憶に異常あり」とか判断されて大変なことになる。
冥斗は眼下の草原を見渡した。
どこまでも広がる緑。
その先に、黒い煙が細く立ち上っているのが見える。
「……あれは何だ」
適当に話を逸らすつもりで訊いた。
するとヴァルシアの表情がわずかに険しくなる。
「あちらは人族の小村にございます」
「村?」
「数日前より盗賊崩れの傭兵団が周辺を荒らしており、いずれ焼かれるものかと」
冥斗は眉をひそめた。
別に彼は善人ぶりたいわけではない。
だが、目の前で困っている誰かを見捨てる性格でもない。
少なくとも、トラックに飛び出してしまう程度には、放っておけない性分だ。
それに。
ここで「ふむ、滅びればよい」とでも言えば、確かに冥王っぽい。
だが読者目線で考えても、主人公としての好感度は下がる。
……いや、別に読者はいないけど。
「ヴァルシア」
「はっ」
「我が目覚めの最初に、無価値な蹂躙を許す趣味はない」
言いながら、冥斗は少しだけ自分に驚いた。
自然に出た。
妙に冥王っぽい台詞が、自然に出た。
「下郎どもには、真なる恐怖が何たるかを教えてやる」
ヴァルシアの紅眼が、はっきりと熱を帯びた。
「ははっ……! さすがは我が王!」
後方の異形兵たちがざわめく。
地鳴りのような歓喜が、軍勢の間を伝播していく。
「冥王様が直々に……」 「終焉が再び……」 「王の御意だ……」
なんか大事になってきた。
冥斗は内心で胃を押さえたくなったが、ぐっと耐える。
ここで必要なのは、小さく助けることだ。
できれば派手すぎず、でも王としての威厳は見せること。
すると、頭の奥で何かが脈打った。
視界の端に、黒い文字列のようなものが浮かぶ。
いや、文字ではない。
魔法陣式。
術式構成。
冥力流路。
知らないはずなのに、なぜか理解できる。
「……これは」
「我が王?」
右目が熱い。
冥斗は反射的に片目を押さえた。
見える。
遠くの村。
森陰に潜む武装集団。
粗末な剣。弓。火矢。
村の外周。逃げ遅れた人影。
泣いている子ども。
怯えた大人たち。
そして、敵の動きの軌道が、まるで線で引かれたように見えた。
「滅びを観る魔眼……」
ぽつりと口にした瞬間、世界の輪郭が変わった。
視界が鋭く研ぎ澄まされる。
風の流れ。
生命の熱。
敵意の位置。
それらすべてが、手に取るように分かった。
「っ……!」
凄い。
本当に見える。
冥斗は一瞬、純粋な興奮に震えた。
子どもの頃、ゲームで最強装備を初めて手に入れた時のような高揚。
だがそれ以上に、身体の内側に眠る圧倒的な力が、自分の意思に従っている感覚があった。
「ヴァルシア」
「はっ!」
「軍はここで待機」
「しかし……!」
「不要だ」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「雑兵に、軍勢を向ける価値はない」
これは半分本心で、半分ハッタリだ。
ただ、今の冥斗には確信があった。
たぶん、いける。
「貴様のみ、我に続け」
ヴァルシアは一瞬だけ息を呑み、すぐに深く頭を垂れた。
「御意に」
冥斗は草原の先へと歩き出す。
一歩ごとに、黒い外套が風に揺れる。
いつの間にか自分の服装まで、完全に冥王仕様になっていた。
黒を基調とした長衣。
銀の装飾。
背に垂れる闇色の外套。
そして左腕を覆う包帯の下では、紋様が淡く脈動している。
正直、滅茶苦茶かっこよかった。
少しテンションが上がった。
村へ近づくにつれ、怒号が聞こえてきた。
男たちの下卑た笑い声。
何かが壊される音。
女性の悲鳴。
子どもの泣き声。
「へへっ、食いもんも女も、全部いただきだ!」 「火を放て! 逃がすな!」
森の縁から見下ろすと、十数人ほどの武装した荒くれ者たちが村を囲んでいた。
家屋の一部にはすでに火が移っている。
冥斗は深く息を吐いた。
ここで失敗したら格好がつかない。
だが、怖くないといえば嘘になる。
相手は本物の武装集団で、ここはゲームではない。
それでも。
自分の中に渦巻く力は、それらの不安を押し潰すほど圧倒的だった。
「我が王、ご命令を」
ヴァルシアが傍らで剣の柄に手を添える。
だが冥斗は首を振った。
「まだだ」
左手が熱い。
包帯の奥で、何かが脈打つ。
あの日。
通学路で、何も持っていなかった自分。
痛い妄想しか持たなかった自分。
それでも誰かを助けようとして死んだ自分。
今は違う。
今の自分には、力がある。
「見せてやる」
冥斗は一歩、前へ出た。
「これが、真なる冥王の目覚めだ」
左手を掲げる。
包帯の隙間から黒い光が漏れ出した。
「封印されし滅界左腕――第一階梯、解放」
瞬間。
大気が震えた。
黒い光が左腕から奔流のように溢れ、巨大な魔法陣が空中に展開される。
幾重にも重なった円環。
古代文字めいた光条。
草木がざわめき、空気そのものが重く沈んだ。
村を囲んでいた盗賊たちが、一斉に空を見上げる。
「な、なんだ!?」 「魔術師か!?」 「ふざけんな、こんな辺境に――」
冥斗はゆっくりと右目を開いた。
滅びを観る魔眼が、敵の位置を正確に捉える。
「跪け」
静かな一言。
それだけで、魔法陣から放たれた黒圧が地表を這った。
盗賊たちの膝が砕けるように折れる。
地面に叩きつけられ、誰一人として立っていられない。
剣が転がり、弓が落ち、悲鳴があがる。
「がっ……!?」 「う、動けねぇ……!」 「な、なんだこの圧は……!」
冥斗自身も、少し引いていた。
え、強っ。
だが表情には出さない。
出せるはずがない。
ヴァルシアが隣で恍惚に震えているからだ。
「素晴らしい……たった一声で、これほどの威圧を……!」
違う。
自分も今びっくりしてる最中だ。
そう言いたかったが、もちろん言えない。
冥斗は倒れ伏す盗賊たちを見下ろした。
「貴様らは、我が目覚めの供物にすら値しない」
盗賊の頭目らしき男が、這いずるように顔を上げる。
「ひ、ひぃ……た、助け……」
冥斗は一瞬だけ迷った。
殺すべきか。
見逃すべきか。
だが次の瞬間、魔眼が男の腰の短剣と、その視線の動きを捉えた。
こいつは隙を見て刺す。
そう理解した。
なら答えは早い。
「ヴァルシア」
「はっ」
「二度と人を襲えぬようにしろ」
「御意」
黒き戦乙女が駆けた。
一閃。
二閃。
三閃。
血飛沫は最小。
動きは苛烈。
盗賊たちは武器だけを正確に断ち落とされ、手足の腱を裂かれ、戦意を完全に奪われる。
数十秒とかからなかった。
村を襲っていた傭兵崩れたちは、もはや一人残らず地に伏していた。
炎の音だけが、ぱちぱちと響く。
村人たちは呆然としていた。
何が起きたのか理解できないのだろう。
当然だ。冥斗だって半分は理解できていない。
それでも、幼い少女が一人、おずおずと前に出てきた。
「あ、あなたたちは……」
冥斗は少しだけ沈黙した。
なんと名乗るのが正解か。
いや、正解はもう決まっている。
「覚えておけ」
風が外套を揺らす。
「我が名は、《原初の夜を裂きし冥王ルイン=クロノス》」
村人たちの顔が凍りついた。
しまった。
やりすぎたかもしれない。
だが、少女は震えながらも頭を下げた。
「……あ、ありがとうございました……!」
それに続くように、大人たちも次々と膝をつく。
「お、お救いいただき、感謝を……!」 「冥王……様……?」 「まさか、本当に……」
ヴァルシアが誇らしげに告げる。
「頭を垂れなさい。貴様らの前におわすは、世界の終焉を統べる唯一絶対の王にございます」
話が大きい。
しかし今さら訂正もできない。
冥斗は静かに目を閉じた。
助けられた。
それだけで、とりあえず良しとしよう。
するとその瞬間、空気が変わった。
ぞわり、と背筋を撫でるような悪寒。
魔眼が反応する。
森の奥。
さらに強い敵意。
人ではない、巨大な何か。
冥斗は即座に目を開いた。
「ヴァルシア、下がれ」
「我が王?」
「来るぞ」
次の瞬間、森をなぎ倒しながら、巨大な影が姿を現した。
黒鉄色の外殻。
六本の脚。
人の家ほどもある巨体。
複眼をぎらつかせ、牙のような顎を鳴らす異形の魔獣。
村人たちが悲鳴を上げる。
「魔甲虫だと!?」 「そんな、こんな場所に出るはずが……!」
ヴァルシアが剣を構える。
だがその横で、冥斗は乾いた笑みを浮かべた。
初陣で盗賊を片づけたと思ったら、今度はボス戦らしい。
いいだろう。
どうせここまで来たのだ。
冥王として、最後までやってやる。
「面白い」
冥斗は左手をゆっくりと持ち上げた。
「では、我が目覚めに相応しき供物となれ」
魔甲虫が咆哮し、大地が震える。
冥斗の右目が、昏い光を宿した。
冥王の本当の戦いは、ここからだった。




