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Come back to the moon water  作者: 白古賀
Chapter1 <Days at home with ***>
8/10

1-7

 人物データ。キラナ・ラートリ。

 インド北西部国営特別再開発居住地区<ナスタディア>出身。父親と母親、祖父母と5人兄弟の中で暮らしている。

 家族の経済的状況は――特別再開発居住地区なら誰もがそうだが――お世辞にも良いとは言えない。貧困というべきものだ。


 家庭環境の細かいデータはない。

 だが、キラナを含め親も兄弟姉妹も初等教育しか受けていない。


(ありえない……)


 彼女のパーソナルデータを改めて照会したベレンは思う。

 彼女の知能は、少なくとも一般的な大学生を凌駕している。

 今から何か研究論文の共同執筆を依頼しても、十分に貢献してくれそうだ。

 だが――データから読み取れる彼女の生育環境を見る限り、それはあり得ないのだ。


 仮に遺伝的に極めて優れた知能を持っていたとしても、それでも最低限の教育、いや、教育でなくても知識を得る手段にアクセスできなければ、ああいう風にはならない。

 彼女は地頭が良いだけではなく、人並み以上に専門知識とそれに基づいた理解力を有している。


 もし、彼女の環境でそれほどの知識を得る機会があるとすればそれは、地区内に用意されたオープン・ライブラリか、あるいは――


(<ルナティック・レイカー>……もしや、あの場所が彼女を変えたのか? 彼女に尋常ならざる知能と知性を与えたのか……?)


 ベレンは一通りのデータを読み返し、しかし自分の思考に何の進展も無いことを確認すると、徐にPCの画面を閉じた。


(もうやめだ。意味がない)


 そう――意味がない。

 所詮データだけで人間を分析しようなど、まったくおこがましいことだ。


(すぐ近くに居るじゃないか、本人が。データより本物を見ればいい)


 ベレンは頭でっかちな自分の行動を反省し、椅子の上で伸びをして凝り固まった身体をほぐした。

 それから立ち上がり、自室を出る。


 キラナはリビングの窓際に居た。

 何をするでもなく、夜の空を見上げていた。


「どうした? 珍しくぼんやりとしているじゃないか」


 ベレンが声をかけると、キラナは「月が綺麗だと思ったので」と返す。

 彼女らしくない感覚的な答えだ。


 しかし、確かに夜空を見て見ると綺麗な満月だった。

 月の光を遮る雲もほとんどない。


「本当だな。月の綺麗な夜だ」

「はい」


 キラナは頷き、


「昔、人類は月に月面都市を作る計画があったと知りました」

「ああ……そうだな」

「ですが今は、月ではなく火星開発がメインになっています。月には少数の研究施設があるのみで、多くの国や企業は火星への進出ばかりに注力している。これは……なぜなのでしょうか」

「確かに……そうだな」


 言われて初めて、ベレンはそのことを意識した。

 ベレンにとってはそれが当たり前の事実で、既に疑問を覚える段階を過ぎていたからだ。

 キラナの言葉を契機に、改めて考えを纏めながら話し始める。


「色々と理由はあると思う。一つは、歴史的な経緯だ」

「歴史的な経緯?」

「そう。ある意味偶然の産物かもしれない。月開発と火星開発……その主体となった組織と、実績の差だ」

「というと……?」


 キラナの問いにベレンは「少し話が長くなるが」と前置きして語り始めた。 


「月面開発の歴史は、火星開発よりも圧倒的に古い。人類で最初の月面探査である旧ソ連のルナ計画、人類で最初の有人月面着陸であるアポロ計画はあくまで探査の域を出なかった。本格的な月面開発――その第一歩となった計画は、そこから半世紀ほど経って本格的に始動された――『アルテミス計画』だ」

「名前は知っています」


 キラナは頷いた。


「米国が主導で行っていた月面探査計画ですね」

「そうだ。『アルテミス計画』は米国が――NASAが主導して行われたアメリカの国家事業とも言える一大プロジェクトだった。月面探査もそうだが、将来的には月面基地の建設計画もあった。だが――詳しい経緯は省くが――『アルテミス計画』は頓挫した。初期の月面探査、船外活動こそ順調に進んだものの、本格的な月面基地の敷設に入った直後、重大な事故が発生した。オリオン宇宙船は爆発し、6人のクルーは全員死亡した」


 その事故に関しては、世界中でニュースになったが、結局具体的な原因ははっきりしないままだった。

 そのせいで様々な陰謀論も囁かれ、果ては「事故は宇宙人の仕業である」というような荒唐無稽な話までまことしやかに言われるほどだった。

 当時はかなりの混乱があったものだ。


「その事件がきっかけで、NASA主導の月面開発は下火になった。一方で火星開発を牽引したのは、国家ではなくある民間企業だった。その企業はそれまでの常識を覆すような新型ロケットを次々に開発し、遂に熱核ロケットエンジンを実用化した。――開発主体の差と、成功と失敗。その差がその後の開発の明暗を分けた。結局開発のリソースはより見込みのあるその企業に――火星に振られることになったわけだ」

「なるほど……確かにそういうことはありますね」


 キラナは頷いた。


「それから別の理由としては、月と火星の重力の差だ。火星は月に比べて距離は遠いが、月と異なり、ほとんど地球同様の重力がある。こと人間居住空間を作るならむしろ、月よりも都合が良い。さらに火星ならテラフォーミングを行なって、より本格的に人類の移住先にできる可能性がある。一方で月を開発しても、そのようなメリットはない」

「なるほど……確かにそうです」


 キラナは頷いた。


「だから月には、いまだに『研究施設』しかないわけですか。月の弱い重力は人間の居住区核には適さない。しかし、研究施設を作るには都合が良い部分もある。複雑な機械の設置と稼働はむしろ月の微重力こそが最適……そういう話も聞きました」

「ああ、その通りだ。我々人類にとって月は……近くて遠い。不思議なものだ。火星にはあれだけ人間や資本が群がっているというのにな……」


 それから、しばらく会話は途切れた。

 キラナはただ月を見上げるのみだ。


「ベレンさん」


 しばらくして、キラナは言った。


「今、月へ行く方法は無いんですか?」

「前も言ったがしばらく月に行く方法はない。現在も月方面への移動は規制され、シャトルは全て運航中止になっている。それに――まだ月面からは有害な放射線が観測され続けているんだ。今移動できたとして、危険が伴う」

「そうですか……」


 キラナは少し考え、


「月面の研究施設や月軌道ステーションからも人は引き上げたのですか?」

「ああ……おそらく」

「では月周辺の観測情報は? 有害な放射線が観測され続けていると言っていましたが、観測機器は無人のままでも動作し続け、その情報を入手しているということでしょうか」

「ああ、その通りだ」

「では……」


 ベレンの言葉に、キラナは少しだけ躊躇ってから口を開く。


「ベレンさんは……その月周辺の観測データを入手することは可能ですか。放射線観測値だけでなく、重力場とデブリの散布図を」


 ベレンはキラナの思わぬ言葉に少し困惑したが、正直に答える。


「それは……可能だ。そのくらいの情報なら民間宇宙輸送会社に広く提供されている。もちろん宇宙犯罪捜査局(我々)にも」

「でしたら、それをいただきたいです。私も調べてみたんですけど、さすがに詳細なデータはフリーアクセスではなかったので」

「それはいいが……一体何のために?」

「月に行くためです」

「行くと言ってもな、さっき話した通り月への移動は制限が……」


 言いかけたベレンは、途中で言葉を切った。

 何か考えがあるのだ、この少女は。しかし、それを今ベレンに言う気はないらしい。


(一般航宙関連情報か……)


 キラナの求めるデータは、特段特別な機密というものではない。

 詳細データまで一般公開されていなのは、表向きは犯罪抑止のためだが、実際は業界利権によるところが大きい。

 彼女に渡したところで、それほど支障があるとも思えない。


「わかった……手配しよう。ただし、君に渡せるのは読み込み専用(リードオンリー)データだ」

「はい、それで充分です」


 キラナは頷いた。

 ベレンには、ほとんど感情を表に出さない彼女が、心なしか少し嬉しそうに見えた。

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