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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
6/50

プロセルピナもこうだったのか

 大佐はきっと苦労人。もしくは貧乏くじをひく人。


 ハノーニアとエルグニヴァルの抱擁は、しばらく続く。

 その間、エルグニヴァルに身を預けていたハノーニアは(案外、筋肉がついているんだな)とか、(閣下は着痩せする性質なんだろうか)なんて、ずれにずれたことを考えた。そうでなければ、羞恥でどうにかなりそうだったのだ。


(……乙女か! …いや、乙女だよ…)


 発破をかけたつもりがなんだか余計に恥ずかしくなってきて、ハノーニアはつい項垂れる。エルグニヴァルの肩に顔をうずめる形になってハッとしたが、他ならぬ彼の手でもって頭を撫でられたので、そのままでいることにした。後は野となれ山となれ――つまり、諦めたとも言える。

 それぞれの内心は置いておいて。室内は穏やかな雰囲気で満たされていた。

 しかし、ここでにわかに廊下が騒がしくなる。

 軍人としての習慣で、貴人たるエルグニヴァルを庇おうとベッドから飛び起きようとしたハノーニアは、またしても制される。気付けば、エルグニヴァルの膝上に座っていたのだから、驚きが極まって硬直した。


「――か! 閣下!?」

「ふむ、肉付きもよいな…」

「ひゃッ!?」


 エルグニヴァルにするりと腹部から脇腹にかけてを撫でられて、ハノーニアは短い悲鳴を上げてしまった。


「か、かっか」

「ふふ、すまぬ。ついな」


 両手で口元を覆い震えるハノーニアは、なんとも煽情的であった。少なくとも、抱きかかえるエルグニヴァルにはそう思えた。湧き上がってくる熱をうつしてやろうかと唇を寄せた自分に、その思考に、彼は空色の目をぱちりと瞬いた。

 その次の瞬間だ。部屋の扉が音を立てて開け放たれる。まるで至近距離で発砲したかのような衝撃に、ハノーニアの体は反射的に動くが、やはりエルグニヴァルには敵わない。最高官職はやはり伊達ではなかった。

 視線で見上げたエルグニヴァルは、心底つまらないといった表情で闖入者を睥睨していた。ハノーニアはそんな彼から目をそらす形で扉へと顔を向ける。


「遅かったな」

「――た、大佐…」


 扉を開け放った男は、ルシフェステル大佐。ハノーニアが数年前、自身の満身創痍と引き換えに危機から救い、その縁あって今の直属の上司である。

 仁王立ちするルシフェステルは表情こそ静かであったが、その形の良い唇はわなわなと震えていた。エルグニヴァルよりも幾らか深い空色の目は、淡く魔力光をたたえて此方を睨みつけている。

 臨戦態勢の気配に、ハノーニアも魔力を全身に伝えた。紫と琥珀の『バイカラー』へと瞬時に変わる目を見開いて、迎撃態勢を取ろうと必死に動く。だが、エルグニヴァルの腕はちっとも外れない。


「閣下!!」

「……無事か、ノイゼンヴェール少尉…」

「ッ、大佐…」

「なにも、されてはいないか? 例えば子供が出来るようなことなど」

「ええッ!?」

「フン、相も変わらず感受性の細やかさに欠けるやつめ。このわたしを貴様らと同等に扱うか?」

「怪物には聞いていない。ノイゼンヴェール、無事か?」

(ここで私に振りますか大佐!?)


 そう正直に叫びたかったが、他にもいろいろと叫びだしたい気分であったが、ハノーニアは一つ深呼吸の後にルシフェステルへ返答する。


「は、はい…無事で、あります、大佐」

「…そうか…、そうか…」

「そうだとも。好き勝手に盛る貴様らとは違うぞ。なにせわたしは怪物だからな。

 番う時はしっかりと同意を取る」

「ハッ! 同意も会議の決定も待たずに寝込みをかっさらった者が何を言う。流石怪物、成程道理が違うか」

「言わずとも分かっておるではないか。貴様も少しは賢くなったか」

「ほざけ怪物」

(か え り た い)


 言葉という目には見えない弾丸が、エルグニヴァルとルシフェステルの間で飛び交う。直撃こそないが、それでも掠るほど至近距離にいるハノーニアは心底そう思った。

 普段、どちらかと言えばルシフェステルは寡黙だった。言葉数こそ少ないが、それでも貴賤上下の別なく接する彼を慕う者は多い。ハノーニアもその一人だ。

 必要とあれば上層部にもしっかりと物申す。しかし、今のこの状況はなんだか違う空気だ。

 軍という組織内のやり取りというよりは、どこか身内らしさが滲むとでも言えばいいのだろうか。今生では孤児であるハノーニアは、その身内という感覚は曖昧であるけれど、なんとなくそんな縁を感じ取った。つまりは、少なくとも命の危険はなさそうだということ。


(…そもそも、同軍だ。お二人がどういったご関係であろうと、私にとってはどちらも上司上官で、守るべき立場の御方でるのは違いない…)


 さて、『バイカラー』――高魔力集中状態を解こうか現状維持すべきか。そう思案しつつ、ハノーニアは二人のやり取りを息と気配を潜めて見守る。


「そもそも。わたしが是と頷けばそうなる」

「その是とする御方がいつの間にかご不在であったのでね。副官たちを始め、各々血眼で探し回った」

「ほう。それはそれは。ご苦労」

「…ノイゼンヴェール少尉にまで同じことをさせるのか?」

「え?」


 いきなり出された自分の名前に、ハノーニアはまさに流れ弾に当たった気分だった。

 次いで、ルシフェステルとエルグニヴァルの二人に視線を結ばれて、身動ぎすらできなくなる。

 労わるようなかわいそうなものを見るような眼差しでハノーニアを見た後、ルシフェステルは再びエルグニヴァルを鋭く睨み付けた。


「なんの説明もなしか」

「これからしようと思っていた。なに、時間はある。

 これだけの怪我には、しっかりとした療養が必要だ」

「それこそ病院、医者の役目だ」

「つがいの肌をむやみに晒せと?」

「そちらこそ馬鹿を言え。ノイゼンヴェールを痴女扱いしないでいただきたい。

 そもそも、そのつがいというのがおかしな話だ」


 ルシフェステルの言葉に、ハノーニアも頷く。

 一介の魔導少尉であるハノーニアは孤児で、入隊時の調査で平民であることが確認されている。総統の地位に就くエルグニヴァルは、やはりというか貴族だ。付け加えるなら、ルシフェステルもやんごとなき血統である。

 実力も身分も違いすぎる。分かっているが、改めて突きつけられると胸の奥が痛んだ。そんな痛む自分の胸に、ハノーニアは自嘲的な笑みが零れるのを禁じ得ない。


「怪物に嫁ぐ娘が、無事でいたためしはない。神話やおとぎ話で学ばなかったか」

「生憎、読み聞かせてくれる者がいるようなあたたかな所で育ったわけではないのでな。

 貴様とそうだろう」

「…あぁ、そうだったな」


 鼻で笑った二人の顔は、よく似ていた。俯きがちにそれを見たハノーニアは、目を瞬く。


「……ノイゼンヴェール」

「はい、大佐」

「まず、驚かせてすまなかった。

 『バイカラー』を解いてくれるか。流石にその目で見つめられると落ち着かない」

「失礼いたしました、大佐」


 集中を解いたハノーニアは、そのまま次の言葉を待機する。

 ルシフェステルは一度エルグニヴァルを見て、ハノーニアへ視線を戻すと口を開いた。


「お前の現状であるが…怪我の療養ということは間違いない。場所は…その怪物が暴れたせいでこんなところへ変わってしまったが。お前が希望するなら、病院へ戻れるよう手を尽くす」

「医者が来ればよい。そもそも、専属医がいるので必要ない」

(…“病院が来い”を生で聞いてしまった。そんな気がする)


 ルシフェステルが「駄々をこねないでいただきたい。みっともない」とエルグニヴァルに向かって吠える中、ハノーニアはふっと遠くを見つめた。


「…大佐、閣下。発言の許可を」

「ああ」

「よいぞ」

「その…この療養の後、小官は…一体どうなるのでしょうか」

「勿論、わたしのそばに来てもらう」


 間髪入れずにエルグニヴァルが微笑んだ。ルシフェステルがついに、足音も荒く距離を詰めてきた。


「省きすぎだと何度申し上げればいいのか、この怪物め。ノイゼンヴェールは人間だぞ」

「あぁ……今はな」

「ッ!?」


 笑みを含んだ低い声がエルグニヴァルから聞こえて、ハノーニアは思わず振り向いた。

 向き合ったエルグニヴァルは、思った通り微笑んでいる。


「お前に相応しい相手は見付からなかった。

 このまま見つからなければ…否。見つかる前に、わたしがそうなろう。お前に相応しいつがいになるため、誠心誠意努めよう」

「………ぇ、ぁ……」


 空色の目に見つめられて、ハノーニアは言葉が出ない。

 ルシフェステルが、ぽつりとつぶやいた。


「――怪物め。人の心を持たぬ貴様が、心がなにか分からぬ貴様が…出来るわけなかろう」


 それは凍える声だった。冷え切った心から紡がれた言葉に、自分が刺された訳ではなかったが、それでもハノーニアは息をするのがやっとだった。

 微かに震えるその体を優しく撫でたのは、エルグニヴァルの大きな手。促されるまま肩に顔をうずめたハノーニアは、耳元で囁かれる。


「可愛い、可愛いわたしのハノーニア。ああかわいそうに、こんなに震えて。

 案ずるな。わたしのそばで生きていればいい。

 宝石よりも美しいその目でわたしを見てくれ。カナリアなんぞよりも愛らしい声でわたしを呼んでくれ。それでいい」

「……わた、しょうかん、は……小官は、軍人です」

「ふむ…職務を望むか?」

「はい。……お言葉ですが。小官は、囲われるほど儚くはないつもりです」


 飼い殺しにされるのは、もう構わない。それでも、気まぐれでも選択肢が与えられているのならば、せめて役に立たなくなった後がいい。

 変なところで反骨精神だなと、自分で自分に呆れた。楽をして生きることが出来れば、なんといい事だろう。ただ、自分が好きなことも出来たらもっといいだろう、なんて。

 ハノーニアはエルグニヴァルを見つめて、口の端をきゅっと上げて見せた。


「給料分の仕事はしたく存じます」

「…っふ」


 笑ったのはルシフェステルだ。エルグニヴァルは空色の目を瞬いたあと、唇をゆるいへの字に結んだ。


「職業婦人は強い。そう進言したはずだが?」

「黙れ…。

 …分かった。お前がそう望むのなら、是と頷いてくるとしよう」


 大きく息を吐いたエルグニヴァルはそう言うと、ハノーニアの頬に手を添え視線を結ぶ。


「ハノーニア・ノイゼンヴェール少尉。貴様は今を持って、総統府付き魔導護衛官とする」

「は……ハッ!?」


 条件反射で敬礼をしたが、ハノーニアの口から出た声には驚愕が色濃く出ている。

 視界の端で、ルシフェステルが苦々しく顔を歪めているのが見えた。


「…やはりそうするか、怪物め」

「籠に囲えぬのならこうするほかない。

 なに、怪物の道理だ。はなから人間に理解を求めていない」


 栄転の筈。だが、おかしいな。全くもって嬉しくない。いや、実はほんの少しだけ嬉しい気はする。ハノーニアは今度こそ天井を仰ぎ見た。天井絵は相変わらず美しい。


「ゆっくり、しっかりと治してゆこう。残ってしまった以前の痕も、消してしまえるように」


 腕、足、背中、腹、そして首。全身を優しく撫でるエルグニヴァルにそう言われて、ハノーニアは息を呑んだ。


「場所を憶えるほど見たのか怪物!! 貴様未婚の女性に何をしている!!」


 代わりに、ルシフェステルの怒声が部屋いっぱいに響いた。


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