夢うつつファンタスマゴリア_2
ハノーニアは夢と現を頻繁に行き来した。
重たいまどろみの中で「外的魔力の吸収率の値がこれほどまで高まるとは」とか「まさに超人的な身体強化だ。詳細なデータがほしい」とか、聞かない方が身のためのような会話が聞こえた。
知りたくないとそっぽを向きたくても、体はいまだ満足に動かせない。鎮静剤のお陰か痛みで眠れないなんてことはなかったが、指一本動かすこと、呼吸一つすることさえ億劫だった。
「――…、…?」
何度目かの目覚め。非常灯がたかれる薄暗い中に、ハノーニアは自分以外の気配を感じた。
ゆっくりゆっくり首を巡らせれば、ベッドのそばに誰かが腰かけていることが辛うじて分かった。
「起こしてしまったか」
静かな男の声だった。薄闇の中で、その青い目が灯りに照らされて煌く。
「…、ぁ…」
「よい。ああだが…喉は渇いているか?」
ハノーニアが答える前に、男は脇机に置かれていたコップを差し出してきた。
男の腕に支えられながら、ハノーニアはゆっくりと水を飲んだ。潤う喉の感覚に安堵の息が漏れ、それを聞いた男がそっと笑う。
再びベッドへ横たえられながら、これは夢と現のどちらだろうとハノーニアは考える。しかし、薬と未だ体内が高濃度の魔力に満たされる状況では、すぐに思考はぼやけてばらけていく。せめて視界だけでもはっきりさせようと瞬きをすれば、男の指が頬に触れた。
「っ」
「ああすまぬ。つい、な…」
平坦な声は、しかし親愛すら感じるように柔らかい気がした。同期の生き残りだろうか。それとも、先にヴァルハラへと旅立った同胞がよしみで迎えに来てくれたのだろうか。
「……おとこの、ワルキューレも、いたんだ…」
「っ、く…くく、はははっ」
つい、ハノーニアは口走ってしまった。しかし男は不快にするどころか、至極愉快そうに笑うだけ。夜に相応しいひそめられた笑い声は、なんだか心地よかった。
「ワルキューレは、むしろ貴様であろう。ノイゼンベール。いやむしろ、奴らの天敵か…。
ルシフェエステル司令官以下多数を危機から救い、此方の損害を最小限に留めたこと、褒めてつかわす」
「――……か、っか…?」
目の前の人物が誰であるか思い当って、ハノーニアは飛び起きたかった。
それとも、やはりこれは夢なのだろうかとも思う。だってそうだろう。軍のトップである人物が、いくら優秀な働きをしたとしても訓練兵の見舞いに来るだろうか。魔導兵で、かつ『バイカラー』となったからだろうか。自国の抱える宝石を、自ら目利きに来たとでもいうのだろうか。
「ご、ぶれいを…おゆるしください、かっか…」
「よい。貴様は傷を癒すことが最優先事項だ。そして付け加えるのなら…無礼というはわたしだろう」
「?」
「夜、こうして未婚の女性の元へ赴いているのだ。すまぬ、許してくれ」
「……じょせい…」
なんだかこの場に似合わない言葉が聞こえて、その単語を舌の上で転がしてみて、ハノーニアは笑ってしまった。途端に肺かどこかが引きつるように痛んだので眉は寄ってしまったが、それでも笑みが零れた。
久しぶりの感覚だった。人間に、ようやく戻ってこれた気がした。例え束の間でも、欠片でも。
男――エルグニヴァル総統も、一緒になって笑ってくれたのがまた、嬉しかった。
「も、もうしわけ、ありません、閣下…。…ああ、ゆめ、みたい…」
「夢である方が、気兼ねないか?」
「ふふ、そう…ですね…。わたし、いえ、小官のような者が、普段お会いできる方では、ありませんので…」
「そうか。そうであるな」
笑いを含んだ柔らかい声でそう言い、エルグニヴァルはもう一度ハノーニアの頬を撫でる。
ガーゼが擦れたが不思議と痛みは感じず、むしろくすぐったかった。ハノーニアは目をつむって笑みを零す。
「…ノイゼンベール」
「はい、かっか」
「貴様はこれを夢のようだという。ならば、望みはなんだ?
夢ならば何をしてもよい、などという言葉もあるのだろう?
貴様は…なにがしたい?」
言われて、ハノーニアはぱちくりと目を瞬く。その間も、エルグニヴァルは柔らかい表情で此方を見ていた。澄んだ空色の目が美しいと、若干思考をずらす。
さて、これはいよいよ魔力過多で幻覚症状が現れたのかと、ハノーニアは苦く笑った。凡そおかしな夢だ。直接言葉を交わしたこともある訳がない。遠目でしか見たことのないエルグニヴァルは、だがきっとこんな話題は振らないだろう。
魔導兵だなんだと言われても、自分も結局はまだ夢見がちな子どもなんだ。ハノーニアは心底おかしくなって、怪我に響くのも構わずにわらった。
「どうした、ノイゼンヴェール」
「いえ、いいえ閣下。失礼いたしました。
ああ小官もまだ、子どもなんだと。まだ子どもであったのだと。がっかりしたような…安心したような…、なんとも、おかしな気分でありまして…」
生前の記憶が朧げに残っていて、混ざっていて、それに由来した言動で大人びた扱いを受けていたけれど。近しい扱いであって、大人ではなかった。
魔力があって魔導師になったけれど、上には上がいる。当たり前のことだった。
宥めるようにまた頬をなでられて、ハノーニアはエルグニヴァルを見上げる。
この帝国軍の最上位。そんな雲の上の存在を夢に招くなんて、なんてことをしているのか。いや、そんな事が出来るのだから、やはり夢の中なのだろう。
ならば、口走ってみようか。夢を。ハノーニアは微笑んだ。
「閣下。どんな願いでも、よろしいでしょうか?」
「ああ。貴様はそれだけのことをした」
「ふふ、恐れ多いです…。
……閣下。小官は、孤児であります。帝国のとある孤児院で育てていただき、魔力という縁でもって、こうして今ここにおります」
「ああ。知っている」
「まぁ…閣下のお耳にはいっているだなんて…。嬉しいような、恥ずかしいような…」
「恥ずべきことは何もない」
「ありがとうございます。恐悦至極であります、閣下。
……小官は、恵まれております。よい孤児院でありました。院長も、職員の方も、一緒に過ごすことになった子たちも…。
…だのに、これを望むのは…きっと、おごっているのかもしれません…」
束の間、ハノーニアは目をつむる。
前世の家族はおぼろげもいいところだ。声も顔もはっきりしない。それでも、好きだったと思う。嫌いではなかった。親より先に死ぬという不孝の一つを冒してしまったのだろうと後悔で深く項垂れるくらいには、未だどこかで想っている。
だから、だろう。こんなことを口にしてしまうのは。
「閣下。小官は……小官は、家族が、ほしいのです」
エルグニヴァルが目を瞬く。それを見て、ハノーニアはさらに笑みを零した。あどけない少女然とした瑞々しい笑みだった。
「いってきますと、いってらっしゃい。おかえりと、ただいま。おはように、おはようと返して…。おやすみなさいに、また明日と…そう、言い合える家族が、ほしいのです」
前の生ではあって当然のものとされていた。今の生での、なんと遠いものだろうか。
「……さみしい…」
その言葉と共に、ハノーニアの『バイカラー』の目から涙が零れる。
ぽろりぽろりとこぼれ落ちるそれを、エルグニヴァルの指がそっと拭っていく。触れ合う肌から直接伝わるぬくもりが、堪らなく離れがたかった。
「夢…ゆめだけど…、…あぁ…さめないで、ほしい」
「貴様がそう望むなら、そうしてやろう」
「…かっか?」
涙でピントがずれる視界の中、ハノーニアは必死にエルグニヴァルと目を合わせようとする。
「貴様が望むのならば、叶えてやろう」
ぼけた輪郭の世界の中心で、男が微笑む。いっそ甘い声音で、囁くのだ。
「言ってごらん」
ハノーニアは目をつむる。孤児院でした、食事の前のお祈りのように。
「家族を、ください」
「ああ。しかと聞いた。叶えてやろう、わたしが」
返事にハノーニアは目を開けようとしたが、手のひらでやんわりと押さえられて出来ない。
「貴様に相応しい者を、しっかりと見繕おう。
……だがもし、もしも。世界中を探してもわたしの眼鏡にかなう者がいなかった場合は、わたしのそばに来てくれるか?」
ああ流石私の夢! 混ざりにまざったおかしな私に相応しい最後だ。ハノーニアは目をつむったまま、笑って頷いた。
「えぇ勿論。光栄です閣下。
あぁその時はぜひ、可愛がってくださいませ」
「ああ。約束だ」
「はい。約束です」
柔らかい微笑みの感触を最後に、ハノーニアの意識は沈んだ。
***
「――………ゆめ、か…」
肺を目一杯膨らませた状態で覚醒したハノーニアは、ゆっくりと息を吐き出しながらもう一度呟く。
「夢、だよね…」
その言葉は、今見た長い追憶のような夢に対してか。それとも、間違っても病室とは言えない絢爛な室内へ向けられたものか。口にしたハノーニア本人も判断ができない。
胸元に手を伸ばすも、やはりというか、そこに十二宮演算珠はさげられていなかった。夢の中――現在ではしっかりと公的な報告書に記されたあの戦闘で壊れ、そして新たに『バイカラー』の魔力に耐えられるよう改良を施されたお守りは、果たして無事なのだろうか。
「ッ!」
そう思案出来たのも束の間。広い室内の向こう――唯一の出入り口である扉が開けられる。
軋み一つ上げず開いた扉をくぐってきたのは、エルグニヴァルだ。
「ああ。目覚めていたか、ハノーニア」
「か、閣下」
居住まいを正そうと立ち上がりかけたハノーニアを、エルグニヴァルは「よい」とただ一言で制する。
ベッド脇の椅子に腰を下ろしたエルグニヴァルは、満足げな笑みを浮かべた。
「思い出してくれたのか、ハノーニア」
「ッ」
「ああ安心してほしい。心を覗いた訳ではない。お前には、決してしないと誓っている。
ただ、そうであってほしいと望んでいた。それが叶えばと強く思っていた。
つい口に出てしまったが……うむ、出してみるものだな」
「か…かっか」
確か、エルグニヴァルは中年に差し掛かるころだと聞いたことがある。しかし、今目の前で喜色を滲ませて微笑む姿はとても若々しい。よく見れば、目元や口元には淡く微かにしわが現れ始めているが、果たして幾つなのだろうか。
「……あまり見つめてくれるな。照れで火照ってしまう」
「! し、失礼いたしました閣下! ご無礼をお許し下さい!」
「ああそっぽを向いてくれるな。それはさみしい。体の芯まで凍える気分だ。
…うむ、難解極まるな…」
「さ、さようでございますか…」
顎に手を当てて唸り考え込むエルグニヴァルを、ハノーニアも心底困った表情で伺い見る。視線は目でなく、指先あたり――首元に結ぶことにした。
「……ハノーニア」
「っ。はい、閣下」
「世界の隅々まで見て回ったが、少なくとも現時点ではお前に相応しいと思えるものは見つからなかった。
故に。約束の通り、わたしのもとへ来てほしい」
「……発言の、許可をいただけますでしょうか。閣下」
「ああ。よいぞ」
「……。…あれは…、あの御約束は、っ…夢、では…なかったのですか」
こくりと、ハノーニアは唾を呑み込んだ。それでも喉はからからだ。ちっとも潤わない。
そんなハノーニアを見つめて、エルグニヴァルは微笑む。悪戯の成功を喜ぶような、鋭さが覗く笑みだった。
「ああ、夢だった。お前の夢の、話だった」
夢と頷かれて、ハノーニアは無意識に首を振っていた。彼女がいう夢は、睡眠中の幻覚・心的現象のことをさす。だがしかし。答えたエルグニヴァルは、違うものをさしているように聞こえてならない。
「……現実からはなれた、むなしくはかない空想でした…。お恥ずかしい限りであります、閣下」
「そうか? わたしは、とてもよいものだと感じた。
将来と言わず、すぐにでも実現するべき素晴らしい願いだ。とな」
「閣下…」
震えのように首を振ったハノーニアへ、エルグニヴァルは手を伸ばす。
頬を輪郭に沿って撫でられて、ハノーニアはつい目をつむってしまう。
「お前の幸せを願っている。お前が幸せになるところを見届けたい。いや、せねばならぬ。
…だが、お前の幸福は、わたしには分からぬ。わたしはまだ、お前の一部、一欠片ほどしか知らぬからな…」
そこで言葉を区切ったエルグニヴァルは、両手でハノーニアの手を持つと、自らの額を寄せた。
「お前を、想っている。深く、強く…。叶うならば、わたしが幸せにしてやりたい。
だがしかし。敗戦の将に一体何が出来るだろうか」
「…閣下?」
顔を上げたエルグニヴァルが、困ったように笑った。
「惚れた方が負け。であるならば、敗者はわたしだ」
「………へ、え?」
「惚れた病に薬なし、とも言われたな」
「…は、い?」
「あぁそれと。お前の美しさはちゃんと分かっている。惚れた欲目でないぞ」
「ぅえ!?」
張りつめた空気は何処へ行った。そう感じていたのは自分だけだったのか。緊張に強張っていたはずの喉からついにおかしな悲鳴が上がって、ハノーニアは繋がれていないもう片手でもって慌てて口元を覆った。
そんな場合ではないと分かっている。だのに、照れと嬉しさに頬が熱くなるのを感じる。
咄嗟に逸らしてしまった視線を戻せば、途端柔らかくほころぶエルグニヴァルの顔が目に入って、熱が加速した。
「改めて。謝罪と訂正をさせてもらおう、ハノーニア。
時間をかけたにもかかわらず、妥協策への着地を許してほしい。
そして、どうかわたしのそばにいてほしい。お前に…お前が真に望む家族が見付かるまで」
「………」
澄みわたった空色の目と見つめ合って、数秒。ハノーニアに出来たことは呼吸をすることぐらいだった。
(だ れ か た す け て)
そんな心内のままに天を仰ぎたかったが、ここで視線を逸らすのはまずい気がした。
会話の内容では、エルグニヴァルがハノーニアに惚れたため此方が優位に聞こえる。だがしかし、相手はエルグニヴァルだ。
若くして軍の最上位に登り詰めた男。血筋がどうこうと言う輩もいるが、それさえ踏み潰すほどの手腕でもって、この帝国をゆるぎないものとしている。存続と繁栄のためにはなくてはならない存在だ。
そんな男が、ただの魔導師――『バイカラー』となって早数年、幾らか練度も上げてきたが――つまりは一介の兵士一人に、こうも甘い言葉を吐くものだろうか。
思い出した頃にぷかりと浮かんでは泡のように弾けて消える前世では、有難くも平和ボケしていたハノーニアだが、この世でなんとか成人するまで漕ぎつけた。経験値なんて比べることすらおこがましい差があるのは承知の上だが、此方だって幾らかは酸いも甘いも嚙み分けてきたつもりだ。
(これが幼年学校を出たばかりの少女だったら、運命だなんだって飛び上がって喜ぶんだろうか)
前世では、そんなときめく出会いはなかった。少なくとも思い出してはいない。
今生では、軍人なんて大層なものになってしまったのだから、人並みの幸せなんて遠いところだろうと諦めに似た思いだった。
(いっそ『バイカラー』の囲い込みの一環だと思った方が楽、だ……あ)
そう考えて、ハノーニアの中で何かがすとんと落ちた。ついでに熱も落ちていく。
舞い上がっていた自覚がざっと嵩を増し、身も心も冷えていった。自然と、自嘲的な微笑が浮かんだ。
ハノーニアは深呼吸を一つして、エルグニヴァルへ声をかける。
「……閣下」
「ああ」
「小官には、身に余る光栄です。閣下が、そのお心をくださるなんて…まさに夢のようです」
魔導師というある種の特別階級故に少尉なんて地位に就けたが、自分は使われる側の人間だとハノーニアは自覚している。顔に出やすい性質なので、腹芸なんてものもまるで向いていない。
それでも、笑うことは出来る。
嘘ではないのだ。だって、嬉しさはちゃんとある。好きか嫌いかと問われれば、好きだと頷くことが出来る。同じくらいあるさみしさやむなしさからは、即刻そっぽを向くだけだ。
そうして。ハノーニアはとびっきりと思う笑みを浮かべ、エルグニヴァルへ答えた。
「閣下。ああ、閣下…っ、どうか…どうか可愛がってくださいませ」
「ああ、勿論だとも。大事にすると、誓おう」
秋の空のように澄みわたった淡い青色の目が、とろりと細められた。
エルグニヴァルに両手で抱き締められて、ハノーニアは体を預けた。
(この夢が、長くながく続きますように。どうか私が死ぬ、その瞬間まで)
そう願いながら、彼女は琥珀色の目を閉じる。




