(力なきものはこたえてはならない)
閑話、または寝言。
忘れるべきであり、こたえてはならない。
この光景を、この場に居合わせた誰もが忘れられないだろう。生き残っていれば、という条件があるが。
「クソ!! こんな時に!! 総員突撃じゅん――」
すべてを言い切る前に、その敵兵は事切れた。包囲していた少女兵によって、その首を銃剣でもって掻き切られたからだ。それはもう、あっさりと、すっぱりと。
少女兵は泥濘をものともせず、足音軽くに降り立ち、刈り取ったばかりの敵兵の目を撫でるようにして閉じさせた。そっと地面に置く手つきは丁寧で、慈愛さえ感じられる。
すっくと立ちあがった少女兵が、振り向いて此方を見た。
『宵の薄明』に灯る両目でもって、周りをゆっくりと見渡した。
静寂の中。帝国軍司令官――ルシフェステル大佐は、口の動きだけでこう命じる。
誰も、動くな。誰も、口を開くな。
少女兵――ハノーニア・ノイゼンヴェールと、目が合った。自然と魔力が集中し、『明の薄明』となる。
「……ああ、嗚呼…やっぱり、きれい、ですね…」
ハノーニアが微笑む。無邪気で瑞々しい微笑みだった。
年相応の少女らしいその声は、この泥と血にまみれた戦場には、相応しくない。そして、相応しくないものは、不安と恐怖を手招いた。
それに呑まれたのが敵だったのは、恐らく幸運だったのだろう。
雄たけび――になり損なった悲鳴を上げた敵兵が何人も、ハノーニア目掛けて突撃した。加勢に動きかけたのはルシフェステルだけではなかったが、その全員がすぐさま動きを止める。
ハノーニアが高く跳躍する。相手の銃剣が空を切った。本能的な恐怖にかられ引きつったその顔に、背後から少女のほっそりとした手が添えられて。息を呑む間もなく、首を捻じ曲げられ絶命する。
後ろから羽交い締めにされたかと思えば、地面を蹴ってその背後を取り直す。同士討ちを避けたいと思うのは、正常だろう。その正常さが僅かな隙を生む。
敵の背中を蹴り飛ばし、それをなんとか受け止めた兵士たち目掛けて、いつの間にか抜き取った敵の演算珠を投げつける。それは丁度、敵兵たちに着弾するとともに、無理やり流し込まれた本来の持ち主とは違う魔力との激しい反発によって爆発する。
一帯は、先ほどとはまた違う阿鼻叫喚の巷と化した。それも、たった一人の少女兵によって。
「……これが、これが…『宵の薄明』…」
そんな誰かの囁きをルシフェステルは咎めることも忘れて、ハノーニアに見入った。
戦闘でほどけてしまったのだろう。尾のように流れる白みがかった彼女の髪は、案外長い。それを目で、顔で追ってしまうのは、まるで猫になった気分だった。
――トン、と軽い音を立ててハノーニアが目の前に着地する。ハッと息を呑んだルシフェステルだったが、動く気にはならなかった。
「…ああ、やっぱり、きれい…」
先ほどと同じ言葉を囁くハノーニアの向こうでは、静寂の中に幾つもの亡骸が転がっている。
いっそ悪夢だったら。そんな現実の中で、ルシフェステルはより一層近付くハノーニアの顔を、じっと待った。
背後で、周りで、部下に緊張が走ったのを感じ取る。彼らを手で制したルシフェステルは、するりと頬を寄せてきたハノーニアを受け入れる。
「……ああ、でも…やっぱり、貴方とは、違うんですね」
「ッ」
顔を上げたハノーニアに釣られるようにして、ルシフェステルは背後に降り立った気配を振り返る。
「……怪物」
トゥエルリッヒ・フォン・エルグニヴァルが、居た。
彼の『明の薄明』となった両目がルシフェステルを――否、その傍にピタリと寄り添うハノーニアを見つめている。
「嗚呼…ああ、陛下」
「、ノイゼンヴェール?」
ルシフェステルは目を剥いた。今、彼女はなんと言った? なんと怪物を呼んだ?
ルシフェステルは自分から離れていくハノーニアを咄嗟に抱き締めようとして、エルグニヴァルの魔力によって弾かれた。倒れるほどではなかったが、それでも両手は痺れ、しばらく使い物にならないだろう。そんな状態になった手をたらしながら、ルシフェステルは相対する二人を見守るしかなかった。
「陛下。ごきげんよう。……ううん? あれ、もしかして、まだ陛下ではない?」
「……ああ、違う」
「おや、それは失礼いたしました。では…ふむ、軍服をお召ですから、閣下、とお呼びしても?」
「好きにするがいい」
「では、そうさせていただきます。閣下」
凡そ、部下が、臣下がとるべきではない態度。しかし、それは妙に今のハノーニアに似合っている。そんなことをルシフェステルが感じていれば、エルグニヴァルが伸ばした手をハノーニアがひらりと跳んでかわした。
「………」
「いやです。そんなお顔をしたって、いけません。お分かりの筈でしょう、閣下。
あなたは、私が愛した御方ではありません。それと同じように、私は、貴方が愛すべき…可愛がるべき私ではありません。
だって。だって…私は死んでしまっているんですもの」
ハノーニアが微笑む。ハノーニアの姿形をしたものが、さみしげに微笑む。
「これは夢。これは寝言。私は、夢路に潜む残滓。そこより這い出た影。もはや死者にもなりきれぬ、魂の欠片、その寄せ集め」
「…言うな」
「いいえ、いいえ。言います、言いますとも。言わせていただきますとも。
あなたが殺した、あなたが呪った、成仏も出来ない、地獄にもいけない、あわれなあわれな成れの果て。
化けて出てくることさえ出来ない…。…こうして、今生の私が生死の境を彷徨うその瞬間、束の間、壊れかけの入れ物を借りてだけ、存在……ふふ、してるんでしょうか、ね」
さみしげにわらった少女を、ついにエルグニヴァルの両手がとらえた。
「……つかまえたからには、助けてくださいよ」
エルグニヴァルの『明の薄明』と見つめあう彼女の口の端から、血が零れる。口からだけではない。目からも、鼻からも。急速に下がっていく魔力の反応と反比例するように、体の至る所に出来た傷からも、血――命が流れていく。
「責任を、もって、最後の…最期まで、面倒をみてください…」
「…そうして。また貴様はわたしを置いていくのか」
エルグニヴァルの静かな声に、少女は一瞬の間を置いて、朗らかに笑った。
「そりゃそうです。寿命が、違うんですもの」
それを最後に、彼女はカクリと首をさげてしまった。
「ノイゼンヴェール!!」
「気安く呼ぶな」
ルシフェステルの呼びかけは、しかしエルグニヴァルの冷え冷えとした声に叩き落される。
気を失ったらしいハノーニアを抱き抱えて踵を返すエルグニヴァルの背に、ルシフェステルは鋭く問う。
「助かるのか」
「助けるのだ。馬鹿め」
そう言って一瞥もくれず歩いていくエルグニヴァルを、ルシフェステルは追う。
そんな彼らの後に、まるで金縛りから解放されたかのような心地の生き残りの部下が、覚束ない足取りで何とか続いた。
(21/09/26)




