夢うつつファンタスマゴリア_1
目に見えないもの、力はいつくもある。
その中の一つに、魔力というものがあげられる。
魔力は何処にでもある。様々なものに宿っている。人間も、例外ではない。ただ、それを力――魔法として行使できる者は、限られている。まるで全か無の法則のように、一定の値以上の魔力量を保有していなければ、魔法を使うことは勿論、魔力を視認することさえ難しい。
また、魔法と称されるこの力も限定的なものである。何もない所に炎や水を出すといったこと、風や大地を操るなんていうことは、おとぎ話の中だけ。夢の夢。せいぜい、自分の体を強くするぐらい。
例えば。
足を強くして、速く走ることが出来るようにしたり、高く跳躍できるようにする。
目を良くして、遠くの物を見ることが出来るようにしたり、暗闇でも見えるようにする。
力を強くして、狩で獣との戦いに勝ちやすくしたり、仲間を守ったりする。
そんな力が軍事力として注目され、そんな力を使える者たちが軍事利用されるまで、そうかからなかった。有史時代にはすでに、魔法を使える者は魔導師と称され、その身を軍に――戦争の中に投じていた。祖国のため。想う者のため。自分のため。彼らは世界中で日夜務めを果たしている。
彼女がハノーニア・ノイゼンヴェールとして新たな生を受けた世界は、そういうルールの世界だった。
魔力なんてものがエネルギーの一種として認識されており、限定的ではあるが超常現象を操る。それを可能にしている技術が科学と共に進歩してきた世界であるからだろうか。彼女は『自分がハノーニアになる前』を憶えていることを、すんなりと受け入れた。受け入れざるを得なかった――諦めるしかなかったという方が正確かも知れない。
全部を事細かに憶えているわけではない。既視感に首をかしげ唸り、ハッとしたり。起きて五分もしない内に消えていく夢のようだったり。非常にムラと波があった。
「空を飛んでみたかった」
そんな彼女――ハノーニアは、周囲よりも幾分早く物心がついた頃、心底そう思った。空を身一つで飛ぶのはやはり夢である。いや、やはり箒に跨ってまでがセットかもしれない。
否、夢物語ではなかった。いるにはいるのだ、空を飛べる種類の人間は。航空魔導兵という人間が、いるのだ。つまるところ、軍人である。
「軍人さんにはなりたくないなぁ…」
時折聞こえてくる大人たちのひそめた会話は、何やらきな臭かった。前世――または生前を憶えていなければ、きっと感じなかった不安だろう。他の子どもたちと一緒に「カッコイイ!」なんて笑い、日々軍人ごっこに勤しんだだろう。
(軍服は格好いいけれどね…)
前世でもあの機能美を好む人は一定数いた。何を隠そう、ハノーニアもそうだった――という記憶がうすぼんやりある。
(……死に装束、か。そんな事言うのも思うのもあれなんだけど…)
そういう職務だ。平時ならともかく、今はなんとなく戦時よりの空気を感じていた。
「……軍人兵士、暇がいい…」
ほんとにね。そう独り言ちた。
そんなハノーニアが、自分もその魔導師に該当すると知ったのは、幼年期における帝国の一斉検査の時だった。健康診断で行われたそれで、一定値以上の魔力量を保有していると診断されたハノーニアは、軍の寄宿学校へ入学することになった。孤児であったハノーニアを引き留める者はいない。否、例え親がいようともそうなる。それが決まりだからだ。この帝国のみならず、世界各国の普通だった。
寄宿舎学校では基礎学力を磨くとともに、魔力や魔法について学習した。
自分の星座に対応する宝石を核に埋め込まれた魔導力運用装置を受け取った時は、震えた。懐中時計ほどの大きさのこの金属製の装置――通称 十二宮演算珠が、堪らなく重く感じた。同時に、自分の命もきっとこれくらいなのだろう、なんて。恐怖とさみしさで、夜にひっそりと泣いた。
教師――教官たちに適性を見極められ、選別され、より軍事向きとみなされた生徒はそのまま幼年学校へあがった。不向きとされた者は、それぞれの適正に合った軍属の専門学校へあがり、卒業後は予備役として市民生活を送ると説明された。
何の因果か、ハノーニアは軍事向きとみなされ幼年学校行きとなり、士官学校へ入学を果たすこととなった。
重たい装備にも慣れた。銃を撃った反動で手や腕が痺れることもなくなった。硝煙の匂いは嗅ぎすぎて逆に分からなくなった。十二宮演算珠に魔力を込めることも、最適化された魔力を体の隅々まで伝えることも、自然と出来るようになった。ならざるを得なかった。
(死にたく、ない)
ひとえに、それだけだった。軍人としては落第以前の心だろうけれど、ハノーニアは死にたくなかった。そのために、死に物狂いで訓練した。鍛練した。その賜物だろうか、小柄だった体はぐんぐん成長し、いつの間にか男性平均と同じくらいになっていた。声も顔立ちも中性的なお陰で元々からかわれることも間違われることも多かったが、より一層拍車がかかった。
「やっぱり、ノイゼンヴェールは男だったのか」
「馬鹿言え。貴様、下についてないのはもう見ただろう」
「それなんだが。実を言うとその時の記憶がない。もう一度って言ったらどうなる?」
「その時以上の記憶障害を引き起こすことになる」
「そうか。なら遠慮しておく」
そう両手を挙げて降参を示しながら笑った同期は、元気だろうか。いいぞもっとやれとはやし立てた同窓は、航空魔導兵として今頃どこの空を飛んでいるのだろう。くだらないやり取りがこうも輝き眩しく思えるなんて。
重力を振り切り続けるほどの魔力量と適性がなかったハノーニアは、魔導歩兵科の実地訓練として赴いた地で、ひんやりとした塹壕の壁に背を預けながら思いを馳せた。
初日に接敵し、戦闘を経験した。撃って、銃剣で突いて、突いて、撃った。ベテランの伍長に「もういい」と止められるまで、続けてしまった。生還はできたが、果たして本当にそうなのか。人間には、戻ってくることが出来ているのだろうか。野営地の隅で黄色い胃液になってもまだ吐き続けている同期の背中を撫でながら、ハノーニアはぼんやりそんなことを思った。
「し、しにたく、ねぇ、よ」
「あぁ」
「っ、ぐ、ぅえっ、っ…こ、ころしたくも、ねぇっ…ぇ、ぉ…」
「あぁ…あぁ、そうだな」
涙と血と、脂と、胃液でぐちゃぐちゃな顔でもって、やっとのことでそう吐き出した同期は、数日後に二階級特進した。
呆気ないものだった。明日は我が身。いっその事、それの方が楽になれるのかもしれない。なんて思いつつも、次の瞬間には、魔力で引き上げた反応速度でもって仇をとっているのだから。
「……おそろしい」
数日ぶりの湯浴み――というには名ばかりの、お湯で濡らしたタオルで体を清拭していた際、ぽつりと零れた心根だった。見張りとしてついてくれていた伍長が「そうだな」とだけ、相槌を打ってくれた。お湯でどこかがほぐれたのか、いつの間にか零れていた涙はしばらく止まらなかった。
それからまた数日後だった。膠着していた事態が、まさかの実地訓練最終日に動いたのだ。
敵の強襲にまさかの防衛戦線が突破され、野営地への接近を許してしまうという最悪極まる形だった。
もう候補生も、訓練も、何もあったものではなかった。後になって考えれば、既に動員数なりどこかが破綻していたのかもしれない。ハノーニアたちは貴重な魔導兵ではあったけれど、捨て駒に数えられていたのかもしれない。真実は分からない。新兵未満にそんなものは伝わってこない。分かるのは、自分が体験し直面した事実だけだ。
「司令官!!」
「!!」
叫んだのは誰だったか。すでに馴染みとなった伍長だったか、それとも他の兵士だっただろうか。すでに敵味方入り乱れていた。怒号、銃声、剣戟、魔法弾。様々なものが飛び交うその中で、魔導強化したハノーニアの耳は確かにそれを拾った。
十二宮演算珠がはじき出す座標を頭から足先まで叩き込むと同時に地面を蹴り飛ばす。増強された筋肉によって、体は高く長く遠く跳躍する。迫る銃弾や銃剣の切っ先を局所的な魔導防壁で弾き、着地した周囲を一掃する。魔力を伝わらせた銃身でもって向かってきた敵兵を薙げば、まるで熟れた果物のように斬れて爆ぜた。飛び散る血しぶきや臓物よりも高く、ハノーニアは再び跳んだ。
「魔導兵だ! そいつからやれ!!」
司令官や副官たちに群がる敵兵たちが、迫るハノーニアを見た。
向こうの魔導歩兵から魔導弾で狙撃され、ヘルメットとゴーグルが弾け飛んだ。直撃は免れたが、衝撃で着地がずれた。ぬかるんだ地面を転がって受け身を取り、勢いを利用して低姿勢で駆けた。倒れ事切れた兵士の手から銃を拝借し、二丁でもって突撃する。この際銃弾の残りは気にしない。銃剣や体術での接近戦だ。
「ああクソ! クソったれがこの魔導師め!!」
「くらいやがれ!!」
銃剣の切っ先が迫るが、ハノーニアは身を捻ることで避ける。あくまで直撃をだ。傷は浅い。それでいい。肉薄した相手の喉を、首を、ハノーニアは銃剣の切っ先で力一杯掻き切った。魔導で強化された刃と筋力でもって断たれた頭はよく飛んだ。目を見開いた顔が、泥沼の戦場を見下ろし、落下して誰とも知らない足に蹴られて踏みにじられていく。
「あああああ!!!」
叫んだのは、ハノーニアか、はたまた敵か、味方か。
阿鼻叫喚の中で、ハノーニアは体中が徐々に熱くなっていくのを感じた。負傷もあったが、それだけではない。それではない。
遠く過ぎ去ってしまった平穏な時に感じた春風のようなぬくもりが、陽光に当たり熱せられ、ぽかぽかしていくような。いっそ場違いなまでの多幸感に包まれる。そんな気がした。
「ッ、魔力が、収束して……!?」
魔力は何処にでもあるとされている。誰にでも宿るとされている。
今、この場にある魔力がハノーニアを中心にして渦巻いた。彼女に集中した。
大気にすら影響する魔力の流れの中央にて、ハノーニアは閉じていた目を開く。
「『バイカラー』だと!?」
「観測手の情報にはなかったぞ!! 未確認、いや今覚醒したのか!?」
「クソ!! こんな時に!! 総員突撃じゅん――」
――ハノーニアの記憶は、此処で途切れている。次目を覚ました時は、建て直された本部の一角、看護区域のベッドの上だった。
痛覚どころか時間感覚すら麻痺した満身創痍のハノーニアへ告げられたのは、こんな言葉だった。
「ご帰還なによりです、ノイゼンヴェール訓練兵。
そして、『バイカラー』への覚醒おめでとうございます」
担当の医官は何処か恍惚とした表情で、持っていた鏡を差し出した。
自力では身動ぎすらままならないハノーニアは、されるがまま鏡に映し出され、そして目にした光景に色を失った。
ハノーニアの目は琥珀色だ。いわゆる『オオカミの目』だった。白に近い灰髪と相まって、愛称にはオオカミにちなんだものだってあった。
そんな目が、変わっていた。
生来の琥珀色を下半分に残し、上半分は鮮やかな紫色へと変貌していた。加えて、淡く光を発している。それは、高魔力を使う時に見られる光に間違いなかった。
「…あぁ、本当に。なんとお美しい『バイカラー』だ…」
「バイ、カラー…」
学校で習った。魔導師には稀に、瞳の色が変化するものがいる。生来の色ともう一色、合わせて二色になることから、宝石にちなんで『バイカラー』と称される。
『バイカラー』は、総じて魔力保有量が高い。元々あった限界値が引き上げられるためだ。貴重とされる魔導師の中でも、また輪をかけて数が少ない。故に各国間で魔導師以上に取り合いが起きている存在だ。
そんなおそろしいものに、ハノーニアはなってしまったらしい。
ついに流れた涙によって潤んだ彼女の『バイカラー』の瞳は、成程確かに、みる者が息を呑むほど美しかった。




