06:ヴァルキュリアの演奏会
歩く度に、手にした花束から百合の芳香がふわりと立ち上ってハノーニアの鼻を掠める。
今生では、昔から鼻が利いた。そのため化粧品や香水といった強い香り・においのものは避けていた。ただ何事にも例外はあるもので、食べ物や花といったものは大丈夫だった。好きな部類にさえ入っているとハノーニアは自覚している。
「…そう言えば、百合の花の強い香りって魔除けの効果もあるって話を聞いたことがあるな」
それがこの世でなのか、前世でだったのかは、やはり曖昧だけれど。
「ポマンダーもそうだっけ…あれは疫病予防のお守りだっけ」
シナモンの香りは好きだが、ミントのように味までは好きになれないなぁ、なんて。どうでもいい事をつらつらと思いながら、ハノーニアはたどり着いた墓石の前で足を止めた。
百合をメインとした花束をそっと置いて、そのまま膝まづき、演算珠を両手で包み込んで手を組む。目を閉じている間、鳥の声や風の音が近く、人の声や雑踏の音は遠くに聞こえた。
「……涙は枯れて久しいよ。思ったより、私は薄情者だったみたい」
祈りを終えて目を開けたハノーニアは、苦く笑いながら墓石に刻まれた名前をそぉっと指先でなぞって撫でた。
手を離し、再び目を瞑る。深い呼吸を一つして、ハノーニアは『宵の薄明』を灯した目を開く。
人ならざるものを見るとされた狭間の色の目で見ても、墓石の上には何もいなかった。
「……そうだね。お墓にはいないんだよね。…嗚呼――」
虚しさとさみしさと、安堵に似た感情がない交ぜになっていく。それが思った以上に気持ち悪いというか苦しいというか、そんな気分であったので、ハノーニアは演算珠ごと胸元の服地を掴んだ。
落ち着くまで少し時間を要した。息を吐いて気を取り直したハノーニアは、肩にかけていたライフル銃を両手に持つ。
「…本当に、ライフル銃にいるの?」
『宵の薄明』で見ているからか、星座石の煌きがよりはっきり見えた気がする。胸元の演算珠もほんのりとあたたかさを感じる。
(…まぁ、付喪神なんて存在もいるからね。違和感は少ないし…きっと受け入れてもいるんだろうとは、思うんだ…)
はあ…と息を吐いて、ハノーニアはもう一度墓石を見つめた。
「ここには、いないんだね」
念を押すように独り言ちて、それを最後にハノーニアは軍人墓地を後にした。
***
総統府敷地内に整備された練兵場は、出入り口に警戒のための兵士が立ち、囲う塀には人払いの術式が施されていた。
普段とは違う雰囲気の中、ハノーニアは護衛となったアンハイサーとベルツを伴って進んだ。だだっ広い運動場のようなそこには、何人もの軍人や技術局の職員が待機している。
「ハノーニア・ノイゼンヴェール中尉、参上いたしました」
「お待ち申し上げておりました、中尉」
ハノーニアが敬礼すれば、今日この場の責任者となったアグリコラ博士が落ち着いた声で返事をする。ただ、その両目はこれでもかと魔力光で煌いている。高揚や興奮が高まりすぎて、逆に冷静に見える、まさにそんな状態らしかった。
ハノーニアもわざわざそれを口にすることもせず、博士の案内に従って少し移動する。
案内された先では、先日同様、台の上に幾つものトランクケースが置かれていて。ハノーニアが到着すると一斉にその蓋を開けられた。
「お久しぶりでございます、中尉殿」
「あなたは…」
声をかけられて振り向けば、クレヅヒェルトで世話になった一人――情報局の男性士官が敬礼してみせる。ハノーニアも敬礼を返しながら、彼をしっかりと見つめた。どうやら今日は、ちゃんと彼本人のようだ。においも何もかも、揺らぐことなく確かだった。
「大将でしたら、本日は身を潜めております。…その、まぁ…色々と今更かとお思いになるでしょうが…」
探ったことと思っていたことを言い当てられて、ハノーニアは彼と同じく苦笑いを浮かべるしかなかった。
帝国とクレヅヒェルトは、比較的仲は悪くない。友好的かと言われれば首を傾げるか、苦笑を浮かべて沈黙するかの二つに一つだが。ただ水面下でのルートが幾つも、また何種類もあるのは、何処だって同じ。半ば公然の秘密となっている物・事だって少なくはない。
クレヅヒェルトの軍人がこの場にいることも、また、その一つ。
「――では、早速始めましょうか」
「…分かりました」
事前に今日の事についての説明は与えられた。
言われたことは頭に入れたが、未だに信じられない気持ちだ。だが、やれと命令されたのなら、やらねばならないのが軍人兵士。溜息を吐きたいのをぐっとこらえて、ハノーニアはトランクケースに向き直る。肩に提げていたライフル銃も、台の上に置く。
「ノイゼンヴェール中尉。心配無用、大丈夫です。
中尉でしたら難なく御出来になりますとも」
少し距離を空けた位置に着いた彼の言葉に、ハノーニアはスンとした顔になる。
(…ウン。出来る人の「大丈夫」ほど恐ろしいものはない)
つい溜息――ではなく、深呼吸をして、ハノーニアは集中する。
『宵の薄明』を灯した目を開き、ライフル銃に埋め込まれた星座石に触れる。初めて渡された時とは比べ物にならないほど滑らかに、そして素早く、魔力が繋がり駆け巡る。
「…リートミュラー。オイゲン伍長、ケーグル上等兵、ブランク上等兵」
懐かしい者の名前を口にしても、ハノーニアの胸は痛まない。
魔力が星座石を起点とし、他のトランクケース――そこに収められている武器にも伝播していく。
ぶわ、と。魔力で熱せられた空気が膨れ上がり、風を生む。
――その突風を、ハノーニアの魔力をまとった拳銃が撃ち破った。
死角から飛んできた皿状の標的のど真ん中を撃ち抜いた拳銃は、ハノーニアの手の届かないトランクケースに入っていた。そしてそれは、今、ハノーニアの魔力によって浮遊し、照準を咄嗟に合わせ、ひとりでに引き金を引いたのだ。
その拳銃だけではない。トランクケースに収められていたすべての武器が浮き上がり、隊列を組むようにしてハノーニアの周囲に集まった。
細くひそめた息を吐き、ハノーニアが『宵の薄明』を瞬いた時だ。再び飛来物を察知して、彼女はその方向へ向かって片腕を薙ぐ。
別の拳銃も加わって、計三丁の一斉射撃を受けた先ほどよりも大きい皿状の標的は、耐えきれず砕けて落ちた。
――それからは、第三、第四…と標的が此方目掛けて飛んでくる。絶妙な緩急でもって続く飛来に、練兵場中を駆け回り撃ち落としながら、ハノーニアは内心で絶叫していた。
(こんな! こんな過酷なクレー射撃なんて聞いてない!!!)
――今わの際の相手から手渡された魔力が、自分の中に遺されていて。その他者と共存する魔力を、星座石を触媒にしてその相手が生前使用していた武器へ流し込み巡らせることで、思いのままに操作できる。つまりは、念力を使えるようになったはずだ、とハノーニアはシュエンディルから改めて説明された。そして、ハノーニアはその通り出来た。
――「今度、お披露目を兼ねて、少し模擬戦をしようか」とも、確かにその時言われた。言われたが。
(少しってどれくらい!? 大将の求める少しって、どれ、くらい!? まだ!!? ねえまだ!?)
バイアスロンやトライアスロンの方がマシなのか。それとも、平坦な陸上であるからこちらの方がマシなのか。ハノーニアはそんな現実逃避をしつつも、疾走し、跳躍し、魔力を移した銃器を何とか操り、力の限りで応戦した。それが功を奏しているのか、今のところ撃ち漏らしはなかった。
それが暫く続いた後。仕上げとばかりに、大小織り交ぜた標的が一斉に投擲される。四方八方から迫る、遠近感が一瞬でも狂いそうなそれらを、しかしハノーニアは的確にすべて撃ち落とした。
(…あぁ、なんだっけ、これ…。…あぁそうか、オルガン砲…)
何丁もの銃器を並べ、サーベルや銃剣を従え。臨戦態勢のまま、ハノーニアはふとそんなことを思う。
本物とは違い、此方は使用者であるハノーニアの魔力が尽きない限り連続して射撃が可能だ。移動だって、自立しているのでより簡単。
(……あぁ、嗚呼…使い勝手は、悪くない…と思いたい)
ついつい、微苦笑がハノーニアの唇から漏れた。
――高い位置から、拍手が降ってくる。
顔を上げれば、貴賓席にあたる高場から此方を見下ろすエルグニヴァルの姿があった。距離はあるが、今のハノーニアには問題なく彼の表情が見える。秋空色の目が柔らかく細められ、口元に浮かぶ淡い笑みがどこか満足そうに感じた。
(都合がいい、なんて…重々承知しているさ)
エルグニヴァルから他の高官や軍人たちに伝染した拍手は、今や喝采となって練兵場に響いている。
その中で、ハノーニアは静かに敬礼した。
そんな彼女の周りで、武器たちもお行儀よく、筒先や切っ先を下げて制止していた。
(22/02/20)




