03:シーリンの歌で踊ろう_2
女の美貌を持つ梟は羽ばたき再び飛び上がると、ハノーニアとシュエンディルの頭上を悠然と旋回する。
《美しいわ美しいわ! そしてとっても可愛いわ! あぁお願いどうか怖がらないで、お嫌いにならないで。そんなことされたら心が凍えてひび割れて、粉々に砕けて散ってしまうから》
通り過ぎざまに翼で柔らかく頭を撫でられて、ハノーニアはハッとする。呑み込んでいた息をそっと吐きだして、ギュッと強く瞬きをした。
改めてシュエンディルの肩に止まった人面梟は確かに存在しており、視線が合ったことに嬉しそうな笑みを零して見せてきた。
シュエンディルがくすぐるように梟を指先で撫でる。その表情はとてつもなく満足そうだった。
「あぁ、やっぱり…見えるんだね。そして聞こえもするし、話せもする……素晴らしい」
あっと言う間もなく、ハノーニアはシュエンディルに手を取られてその場でくるくると踊る。
ステップもあってないようなものであるそれに対して、不満の声が鋭く上がった。
鷲の鳴き声によく似ている、なんて。そう思ったハノーニアは間違っていなかった。
「ッ」
「おっと」
《ほんっとう、無粋ねっ!》
バサリと音を立てて、より一層大きな影が飛んでくる。咄嗟にシュエンディルの手を引いて自分の背に庇ったハノーニアは、頭上でぶつかり合う猛禽類たちを見上げるしかなかった。シャンデリアのまばゆい灯りがしみるのか、左目がツキツキと痛む気がした。
《ハッ! なによ人の言葉も喋れないくせにしゃしゃり出てきて! この子に付け込んでる時点で気に入らないってのに!! 愛の囁き一つさえ言えないなんて愚かにもほどがあるわ!! これだから亡骸ばっか喰ってる奴は陰気で嫌いなのよッ!!》
怒りに歪もうとも、梟の顔は美しい。鋭い舌鋒と共に翼で、かぎ爪で、間髪入れず大鷲に攻撃する様は思わず仰け反るほど迫力がある。
(美人…美、人?は怒ったって美人なんだ)
引きつった顔でそんなことを思って現実逃避をしていたハノーニアは、ひと際鋭い鷲の鳴き声にビクリと身を引き締める。
《やかましい! あさましい!! お前なんてお前なんか! 終末の後始末しか出来ないくせに!!》
梟が怒鳴った。
ズキンと左目が痛んだ気がした。咄嗟に手で押さえたハノーニアは、息を呑む。そして、吠えた。
《―― やめろ!!! 》
ぐわん、と空気が震えた。
空中戦を繰り広げていた梟と大鷲は、揃って仰け反るように身をよじって固まり、次の瞬間には音を立てて絨毯の上に落下する。
「っ!?
…ッ、ぁ、はッ? ぅ、ぁッ?」
ハノーニアは詰まったような痛みを感じて、今度は喉元を抑えた。全速力で走った直後かのように、呼吸が苦しい。ついでに触れている演算珠が熱を持っている気がする。
混乱し始める頭を少しでも落ち着けようと、ハノーニアは無理やりでも深呼吸しようと口を大きく開ける。
「――ハノーニア」
「ぁ…ぅ、かっか…っく、ぅ」
深く吸い込んだ息と共に、好きな匂いが肺を満たす。ぬくもりに柔らかく包まれて、全身が楽になった。
頬をなでる手に促されてハノーニアが顔を上げれば、思った通り、エルグニヴァルの顔が間近にあった。残っていた余計な力みが、ほぅっと吐いた息と共に抜けた。
「喉が痛むのか?」
「かっか、いえ、もう…だいじょうぶ、です。もうしわけ、ありません、おみぐるしい、ところを…うわッ!?」
体に手が回されたと思った途端に浮遊感を味わい、ハノーニアは思わず声が出た。咄嗟にエルグニヴァルへとしがみ付いてしまう。
「か、閣下!?
……ぇ?」
エルグニヴァルに抱き抱えられたハノーニアは、彼に下ろしてほしいと伝えようとして、周囲の光景を見て言葉を失う。
部屋にいたほとんどの人間が、床に倒れていたのだ。
アグリコラ博士をはじめとする研究員たちは、皺ひとつなかった白衣をくしゃくしゃにして、その体をぐったりと丸めている。護衛の軍人たちは、完全に倒れ伏している者こそ少ないが、ほぼ全員が膝をついている。起立の姿勢を保っているシジルゼートは、しかし浮かべる笑みは幾らか苦そうだ。
ハノーニアは、自分の口元を両手で覆う。
「……わ、わたし、しょうかん、が…?」
「そうだよ」
「ッ!?」
いつの間に。梟と大鷲を両腕で抱えたシュエンディルが、満面の笑みで此方を見ていた。
『宵の薄明』に灯る魔眼が、丸眼鏡の奥から射貫いてくる。
「そうだよ、ノイゼンヴェール嬢。ハノーニア。君がやったんだ。
君は出来るんだ。君はやっぱり出来るんだよ。
見ることも、聞くことも、話すことも。あぁ吠えることだって」
「で、でん、か?」
ハノーニアは震えるように首を振っていた。それは無意識で、彼女本人よりも気付いたエルグニヴァルが、宥めるように片手で頭を撫でる。
シュエンディルを無視するように足をすすめたエルグニヴァルが、ハノーニアを大事に抱き抱えたまま、座っていた肘掛け椅子に再び腰を下ろす。
エルグニヴァルによって、視界を遮るように顔を彼の首元へ導かれたハノーニアの耳に、シュエンディルの笑い声が追いすがる。
それは軽やかで、しっとりしとして、柔らかい、なんとも甘やかすような声だった。
「トゥエルリッヒ。やっぱりその子ちょうだいな。いや、返してよ」
「言ったはずだが。まぁよい、特別だ。何度でも言ってやろう。
断る、とな」
シュエンディルの低い笑い声が這い寄ってくる。
「帝国じゃあ満足に教えることもできないくせに。その所為で、今まで何度死にかけたと思ってるんだい?」
「留学させたのは何のためだと思っている。魔女王との約束を果たすだけでも良かったのだぞ。これの時間を無駄にしおって」
「あの時点での必要最低限は教えたさ。その子だってちゃんとものにして帰ってきただろう。それに――」
シュエンディルの大きな溜息が聞こえる。
「――それに、さあ。あの時じゃあ、まさか君がこうなるだなんて予想出来なかったんだ。
折角教えたのに、折角出来るようになったのに…また君に殺されちゃあたまったもんじゃないからねえ」
思わず、ハノーニアはエルグニヴァルを見上げてしまった。
視線を感じたエルグニヴァルが、此方を見下ろす。『明の薄明』が蝋燭の火のように揺らいでいる気がしたのは、錯覚だろうか。
「――まぁ、信じようか。君の変化が、よい方向へ向かいますようにって。お星さまにでもお願いしつつ…」
シュエンディルが、肩を竦めて微苦笑を浮かべた気がした。
風を切る音がして、ハノーニアはエルグニヴァルから顔を反らす。丁度、此方へ悠々と滑空してくる大鷲と目が合った。
大鷲は肘掛に止まると、エルグニヴァルとよく似た目でもってハノーニアを見つめてくる。首をかしげる仕草がなんとなく心配げに見えて、ハノーニアはぽそりと口走った。
「…おどかして、ごめんね…」
甘えるような柔らかい声で鳴いた大鷲に、ハノーニアもほんの少し口元が綻ぶのを感じた。
「ハノーニア。君が謝ることなんてないよ。君が強いだけだもの。
君は『飛び血』。君は狼。君は犬。吠えるのは当然で、それに恐れ戦くものがいるのも当たり前。ね」
視界は既に解放されている。エルグニヴァルの手は、今は優しく髪をすき撫でているだけだ。ハノーニアは身動ぎ、エルグニヴァルと視線を交わしてからシュエンディルを見た。
シュエンディルは人好きのする笑みを浮かべていた。彼の肩にとまった梟はその逆で、美貌を気まずそうに俯けている。
なにを言えばいいのか、何を言ったら大丈夫なのか、ハノーニアには分からなかった。ただ自分に――少なくともこの『宵の薄明』に灯る両の目には、利用価値があることは知っているつもりだ。
「…私は、小官、は…一体、何をすれば、よいのでしょうか」
「したいことを、すればいいんだよ」
柔らかい声でそうシュエンディルに言われて、ハノーニアは困惑する。
顔に出てしまったようで、シュエンディルがふふふっと優しく笑った。
「うーん。じゃあ…ハノーニア、君は死にたい?」
「ッ…いいえ。いいえ、ですが…命令とあらば。命をかけろと、ご命令があれば。御意のままに」
前世なら、きっと思いもしない――出来ないことだ。それでも、何の因果か今生では軍人兵士として生きているのだから。この回答は、少なくとも間違いではないはずだ。
「そうだね…うん。うん、だから、強くなろうか」
少し長い瞬きをしたシュエンディルが、にっこり笑う。
「死なないためにも。お仕事をこなすためにも。
もっと、もっと…強くなろう。ハノーニア」
(22/01/23)




