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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第二部
38/50

01:ヴィイの瞳はこんなにも美しい


「――はい、真っすぐ見てください」


 医師の指示に従って、ハノーニアは視線を真っすぐ向かいに座る医師へと向ける。親指で下まぶたをそっと押さえられながら「次は上、右、下、左」と眼球を動かしつつ、ハノーニアは懐かしさについ目を細めそうになった。何とか耐えて、診察を終える。


(前…前世は目が良くなかったもんね。眼科にはお世話になりっぱなしだった)


 ハノーニアはそっと息を吐き、外しているノエリアから貰った黒革の眼帯をそっと握りながら、医師が経過をカルテに書き記すのを大人しく待つ。


「経過は良好です。視力も戻ってきておりますよ、ノイゼンヴェール様」

「ありがとうございます」


 終始丁寧な言動で接してくるこの医師は、やはりというかエルグニヴァル直属の医師の一人で。つまりは、一連の事件(出来事)についても粗方知っている人物である。

 さらに付け加えるのなら、ハノーニアが『宵の薄明』をその目に灯した時にいたあの医官だったりする。クレヅヒェルトからの帰りの列車の中で紹介された時は、残念というか当然というか、ハノーニアはすぐには思い出せなかった。帰国してからの定期健診をしてもらう中、会話をするうちに「…もしかして」とハノーニアが尋ねて、分かったことである。


「ですが、念のため、もうしばらく眼帯をお付けください。かの魔女王陛下直々の御品ですからね。…あぁ、それにしても…やはり、お美しい色でいらっしゃる」


 うっとりと目を細めて言葉を零す医師に、ハノーニアは引きつった笑みを返すしかない。このやり取りはお決まりだった。

 用意されている鏡を見ながら、ハノーニアは眼帯を装着していく。流石に手つきも慣れた。元々柔らかくなめされていた革は、施された守りのまじないと共により一層肌に馴染んできたと感じる。そんな黒革の上から、エルグニヴァルのものだった左目をそぉっと撫でて、ハノーニアは椅子から立ち上がった。


「ありがとうございました」

「いえ、此方こそ。

 くれぐれも、お大事になさってください」


 同じく立ち上がった医師に見送られて、ハノーニアは診察室を後にする。

 部屋を出たところで、廊下で待機していた二人の護衛――ニクラスとオリヴァーがすぐさま歩み寄ってきた。同期であり友人である二人が仲間になったのは嬉しいが、やはりどこかほんの少し苦しさも覚える。


(…我が儘め…)


 心の内でそっと自分を詰って、ハノーニアは二人に「待たせた」と声をかけた。


「異常は?」

「ない」

「眼帯は…まだとれない、か」

「念のためということだ。視力は戻ってきた…というか、恐らく以前よりいい。ものすごくよく見える。しいて言うなら、問題というか課題なのは、左右の視力差をどう補う、もしくは抑えるか…だろうな」

「眼鏡か?」

「かもな」


 ニクラスとオリヴァーに挟まれるようにして歩き出しながら、ハノーニアは肩を竦める。


(眼帯にクラスチェンジしたと思えば、次は眼鏡っ子…要素多い、というか子っていうほどの歳でもなくなってるから)


 ハノーニアが内心で溜息を零した時だ。向こうから駆け足が響いてきた。

 一瞬で身構えた護衛の同期二人に、しかしハノーニアはその肩を叩いて力を抜くよう示す。


「ノイゼンヴェール中尉?」

「麗しき御令嬢の登場だ」


 二人をそっと押し退けるようにして前へ進み出たハノーニアは、そうして両手を広げる。

 境の扉が開け放たれて、陽光が窓から差し込む廊下に現れたのは、白衣を着、プラチナブロンドをきれいにまとめ結い上げた妙齢の女性だった。


「ハノーニア!」

「はい、此処におりますよ。シャルロッテ様」


 シャルロッテ・フォン・エーデルロート侯爵令嬢は、その真紅の目を煌かせ、ブーツで軽やかに残りの距離を詰めると、ハノーニアが広げた両手の中に飛び込んできた。

 勢いはあったが、そこは職業婦人同士と言えども、医師と軍人。男性平均はある恵まれた体躯のハノーニアがちっとも揺らがないのは当然のこと。


「むぅ、相変わらずフリでもよろめいてはくださらないのね。意地悪だわ」

「お言葉ですが。したらしたで、今の比ではないくらいご機嫌斜めになられるのは、既に経験済みですので」

「ふ、うふふ、そうね。そうよ」


 シャルロッテはぎゅうとハノーニアを抱き締めて、体を離した。

 ハノーニアは頬にかかったプラチナブロンドの横髪を、指先でそぉっとどけてやる。それがくすぐったかったのか、それとも嬉しかったのか、シャルロッテは柔らかく破顔した。


「お仕事はよろしいのでしょうか?」

「ちゃんと切り上げてきましてよ。わたくし、まだまだ世間知らずではあれど、その辺りはきちんとしておりますわ」

「存じております」


 ハノーニアが頷けば、シャルロッテも浮かべる笑みを一層鮮やかなものとした。


「お二人も、お久しゅうございます。エーデルロート侯爵家が娘、シャルロッテでございますわ」

「「はっ。ありがとうございます」」


 白衣とその下のロングスカートを品よく摘まみ上げてカーテシーをしたシャルロッテに、ニクラスとオリヴァーたちは切れある敬礼を返した。

 挨拶を終えたシャルロッテが、再びハノーニアを見上げて笑う。彼女の赤い目は、さながら煮詰められたいちごジャムのように煌いていた。


「ところで。ノイゼンヴェール中尉方は、この後少しお時間ありまして?

 もしよければ…ほんの少し、お茶の一杯だけでも…ご一緒していただけませんこと?」


 ハノーニアはチラリと護衛の二人を見やる。今日は定期健診ということで、予め一日休みを言い渡されていた。懐中時計で時間を確認すれば、昼にかかる頃。


「こほん。ちなみに…お肉のサンドイッチが付きましてよ?

 お嫌いでは…なかったでしょう?」


 小首をかしげて上目遣いをされれば、自分でなくてもコロッといくだろう。なんて、ハノーニアは笑みを零しながら頷いた。


「アグリコラ博士との面会予定がありますが、生憎午後からでして。

 お時間と、おいしいサンドイッチ、是非ともいただけますでしょうか。シャルロッテ様」

「勿論。えぇぜひ。

 あぁ、お二人は護衛だから…でも。包んで持ち帰るぐらいなら、こっそり出来ましてよね?」


 片眼を瞑り、立てた人差し指を唇に当てて笑むシャルロッテは、大変蠱惑的だ。

 ハノーニアはエスコートのために手を差し出しながら、一つ咳払いした。


「ありがとうございます、シャルロッテ様。

 時に、シャルロッテ様。あまりそのような笑みを振りまくことをなさいませんように。大変魅力的ですが、それ故に、自制できない不埒な輩が寄ってきては一大事です」

「あら。ハノーニアは守ってくださらないの?」

「当然お守りいたします。ですが、心配なのです。心配ゆえの、小言でございます」

「うふふ。小言は嫌いだけれど…貴方からなら喜んで。

 貴方にだけよ、ハノーニア」

「光栄です」


 そうして、ハノーニアたちは連れ立って個室へ足を向ける。

 シャルロッテにあてがわれた個人研究室は、様々なものや器具が所狭しとあるが、部屋の主の几帳面さを窺わせるように整理整頓されていて、圧迫感など少しもなかった。元々部屋の広さが十分すぎるというのも、勿論あるけれど。

 助手兼侍女の手を借りてセットされていく軽い昼食を、案内されたソファに腰を下ろして見つめながら。ハノーニアはふっと柔らかい溜息を零した。


「どうかしまして? ハノーニア。大丈夫?」

「えぇ、大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます、シャルロッテ様。

 ……ただ、帰って…きたのだなぁと。改めて、思った次第であります」


 隣に腰を下ろしたシャルロッテが、一瞬視線を下げた後、勢いを付けて寄りかかってきた。

 当然、ハノーニアは微動だにしない。


「シャルロッテ様?」

「そうよ。貴方は帰ってきたの。

 ……お仕事だって分かっているわ。お仕事が大事なのは、わたくしだって知っております。それでも、心配だったのよ。とてもとても、心配したのよ。大きくて、深い…こんな怪我をしたって…聞いた時、わたしく、あたくし…心臓が止まった気がしたもの」

「シャルロッテ様…」


 こう見えても、ハノーニアはシャルロッテとそれなりに長い付き合いがあった。

 高位貴族令嬢のシャルロッテと、孤児で軍人のハノーニア。そんな通常なら接点などない二人の出会いのきっかけは、やはりというか魔力適性だ。魔眼『バイカラー』を輩出してきたエーデルロート家の、当代きっての『バイカラー』がシャルロッテで。まだ幼かった彼女と、『バイカラー』に覚醒したてのハノーニアが出会ったのも、この研究所だった。

 きっといい思い出よりもよくない思い出が多く詰まっているだろうこの場所を、シャルロッテが自分の務めを果たす場所と決めて早数年。今では、魔導師たちの診察や整備に携わる主力研究員として一目も二目も置かれている。

 そんな頼れるシャルロッテは、しかし、ハノーニアの腕に自分の腕を絡めると、またもや上目遣いで首をちょこっと傾げた。ハノーニアの欲目もありそうだが、つまり、その仕草は大変可愛い。


「いつものように呼んでちょうだい。そうしてくれないと…あぁ、あたくしの心臓はいつまでたっても冷たいままよ?」


 ハノーニアは小さく唸る。チラリと辺りを見渡せば、護衛の二人もシャルロッテの助手兼侍女も「何も見ていません、聞こえていません」とばかりにそっぽを向いている。仕事上よくないことは誰もが承知しているが、此処は素早く我が儘を叶えた方が得策である。

 そっとシャルロッテへ身を寄せるハノーニアの顔は、優しく、そして柔らかくほころんでいる。

 ハノーニアを待つシャルロッテの顔も、そっぽを向く三人の顔も、とてもよく似た表情だ。


「…ただいま、ロッテ。遅くなって、ごめんなさい。心配してくれて、ありがとう」

「……うん。おかえりなさい、ハノン。あたくしの、大事なお友だち。大好きな人」


 頬に触れるだけの優しいキスを贈り合ったところで、小さな昼餐は始まった。



(22/01/03)


▽シャルロッテ・フォン・エーデルロート

 プラチナブロンドの髪、真紅の目。十代後半。

 魔眼『バイカラー』。

 侯爵家令嬢。

*幼い頃に『バイカラー』を覚醒させ、その特性から研究所で幼少期のほとんどを過ごした。ハノーニアとはその頃に出会い、以降交流を深めて現在に至る。

*外見から【吸血鬼】など言う口さがない輩もおり、精神的にまいっていた頃もあるが、今では逆に「似合っているでしょう?」と艶やかに笑い返すしたたかさを身につけた。

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