さて皆さま、終末のご予定は?
窓から陽光が差し込む。レース地のカーテンが時折そよ風に吹かれてひらりと踊る。
部屋の中央に置かれた円卓につくエルグニヴァルは、長い足を組み頬杖を付いている。一人分の席を開けた隣にはルシフェステルの姿があった。その二人の守護につくシジルゼートとシュッツエは少しの距離を置いて直立している。
静かだった。窓の外から小鳥のさえずりや梢の鳴る音だけがそっと聞こえてくる。
扉を注視していたシジルゼートとシュッツエは、不意にエルグニヴァルがフンと鼻で笑う音を拾う。
空気の流れを感じて反射的に振り向けば、一つ残されていた席にシュエンディルの姿があった。
「やあ。遅くなって悪かったね」
「まったくだ。あれと過ごす時間が減っていく。どうしてくれようか」
「また何か理由を付けて家に軟禁するつもりでしょうに。怪我の療養とか…ってこれは事実か。
ふぅ…傷、増えちゃったなぁ…」
「軟禁云々については俺も反対だ。彼女には彼女の時間というものがある」
「エルンスト君の言う通り」
「あれはわたしのものだ」
シュエンディルの登場の仕方にも、会話にもついて行けないシジルゼートは小さく肩を竦めて微苦笑した。大人しく事の成り行きを見守ろうと思って、傍らのシュッツエに目をやる。
「…准尉。だいぶ素敵な顔になっているぞ」
「………もとよりこの顔です」
歯を食いしばるまでは辛うじていっていないようだが、彼の菫青の目はなんだかとてもおどろおどろしく感じた。
「…まぁ、飛び掛からんでくれればいいさ。優秀な部下を失うのは大変な痛手だからな」
「善処いたします」
シュッツエの答えに、シジルゼートは肩を竦めた。その時だ。
重なるようにシュエンディルの口から大きな溜息が吐かれた。
「あのさぁ。いい加減ちゃんと名前で呼びなよ。二人っきりの時は出来てるんでしょう、辛うじて。
今更なにを恐れているのさ。天下の双頭の鷲ともあろうものが」
心底呆れたという顔でエルグニヴァルを見つめるシュエンディルは、そうして頬杖を付いた。
エルグニヴァルは閉じていたまぶたを上げ、明の薄明の双眸でもってシュエンディルを睨み付ける。
ルシフェステルは一瞬だけ眼を見開き、長く息を吐くとともに視線を俯けた。
「あの子には名前が必要だ。名前でもって縛ることが必要だ。存在を確かにしなければならない。此処にいるんだと、此処にいなさいと、打ち付けておかなければならない。
もう今までに。今回のことを含めて何度死にかけたと思ってるんだい。
名前がなければ、呼べない。呼びかけられない。呼び戻せない。
君が一番知っている。その筈だろう。そうだろう。
君が一番、あの子を死に追いやっているんだからさ」
瞬きを挟んでシュエンディルは尚も弁舌をふるった。エルグニヴァルを射るその瞳は、宵の薄明にギラギラと輝いている。
「ハノーニア・ノイゼンヴェール。ハノーニア・ヅスク・リンシュガルテン。ウルリカ・ベルシュタイン。全部ぜんぶ、全員、君があの世へと追いやった。お前が殺したんだ。双頭の黒鷲め」
静寂は、しかしエルグニヴァルのハッという嗤い声で撃ち破られる。
「お前が言うのか。貴様が言うか。
あれを、ハノーニアを売った張本人である貴様が言うか」
嘲笑は、一瞬の間を置いてシュエンディルの口から迸った。
形の良い唇は三日月のように鋭く弧を描き、細められた瞼の間から覗く薄明かりの眼が妖しく灯る。
「そうだ、そうだよ。ぼくが売った。ぼくが売ってあげたんだ。欲しいっていう君にね。
あの子が…可愛いかわいいハノーニアが、そう望んだから。うんと高く売ってくださいってお願いされたから。うんと高く君に、お前に、貴様に、売ってやったんだよ。いつも、いつも…何度も何度も…。
世界の寿命を延ばすために」
吐息でもってそう言ったシュエンディルは、瑞々しい唇を微笑の形にする。
「ハノーニア・ノイゼンヴェール帝国魔導中尉は、クレヅヒェルト首都イールアーデェはおろかマガドヴィウム魔導学園を出ていない。その記録しかない。護送任務に当たっていたのは我が軍の魔導大尉ウルリカ・ベルシュタインである。
……なぁんて、屁理屈みたいな事実は言わないさ。
君に対する罪悪感なんてやっぱり欠片も湧かないけれど。可愛いあの子には、ずっとすまないと思っているからね。これでもさ…。自己満足? 当然だろう。自分が満足しなきゃ、どうして他にしてやれるってんだい? キレイゴトじゃあ何もなせやしない。美化できるのは思い出くらいなもんだよ。
君だって知ってるだろう、トゥエルリッヒ」
灰色の軍服の長い裾をひるがえして立ち上がったシュエンディルは、エルグニヴァルに向かって両手を広げてわらう。
「ぼくの首くらいなら今すぐにでも用意できる。丁度名剣士もいることだしね」
突然視線で指名を受けたシジルゼートは、息を呑むことをなんとか最小限に抑えて深々と頭を下げた。
「どうか、何卒ご容赦くださいませ。シュエンディル殿下、いえ…この場ではヴォルフォツェール大将とお呼びするべきでしょうか。小官如きではとてもとても…」
「ふふ、謙遜もいいねぇ。君が夜目も利くのは知ってるつもりだけれど…」
にまっと微笑するシュエンディルに怖気に似たものを感じながら、シジルゼートも微笑み返した。
笑みを深めたシュエンディルは、そうしてゆっくりとエルグニヴァルに向き直る。
審判はほどなく下された。
「いらぬ。貴様の首など。もしあれに見つかりでもしたらどうしてくれる。知られでもしたらどうしてくれる。
あれは泣くだろう。胸を痛めるだろう。自分を責めるやもしれん。
そうしてあれの心に、記憶に、夢に残ろうという貴様の魂胆……嗚呼、嗚呼反吐が出る」
静かに声を荒らげるエルグニヴァルとは真逆に、シュエンディルは笑い声を弾けさせた。
しなやかに上体を反らしたシュエンディルは笑う。息も絶え絶えになりつつ、しかしそれでもわらい声を零し続ける姿は、シジルゼートとて総毛立つのを耐えられない。
「――あ、あぁ…わらったわらった。いつぶりだろう、こんなにわらったのは。
ザンネン。ばれていたんなら仕方ない。この方法は諦めよう、今は」
「次があると思っているか。おめでたい奴め」
「人の心を分かろうとしない君よりマシだと思うけれどねぇ。
人は繰り返す。何度だって」
それこそ人好きのする笑みを浮かべたシュエンディルは、ふうっと一息を付いて着席し直した。
「それじゃあ、あの子が持ち帰ったお土産…君の分枝だけれど。うちでしばらく預かっていいよね。亡命ってことで。
整えたらそっちにおくるよ。滅多に生まれない…いや、ようやく生まれたと言うべきか。そんな貴重な蛇使い座だ。
欲しくはないかもしれないけれど、必要でしょう? ハノーニアを生かすために」
エルグニヴァルの表情は動かない。ただジッと明の薄明でもってシュエンディルの宵の薄明を射貫き見据えている。
テーブルに肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せたシュエンディルは、にたりと微笑む。
「だって、あの子はこれからも死にかける。何度も何度も、生と死の間をいききする。何の拍子でいったままになるか分かったもんじゃない。手はあったほうが良い。それが例え、君自身は信じてもいなければ好きでもない、伝説に縋るものだったとしても…。
君自身がそうしてきただろう? まぁ、なくしてからじゃあ遅いのだけれども。ね」
一閃が走った。
シジルゼートたちが身構えた時は既に、シュエンディルの姿は音すら残さず消えている。代わりに、彼が一瞬前まで座っていたはずの肘掛け椅子はその背もたれをエルグニヴァルのステッキに撃ち抜かれていた。
精巧な刺繡を施された布からまろび出た綿がフワフワと辺りに舞う。
「修繕費としてそれはくれてやろう。
早々に取り掛かることだな」
「ん、ふふふ。君ってば存外短気で乱暴だよねえ。
今生こそ。長く続くといいね、蜜月ってやつがさあ」
木霊したシュエンディルの声は、そうして静寂へとけていった。
立ち上がるエルグニヴァルに続き、ルシフェステル、そしてシジルゼートとシュッツエが部屋を出る。
照明がたかれていない広く長い廊下は、大きな窓から差し込む光と、その光が届かない影との境がより一層くっきりとしていて。少なくともシジルゼートは目に痛みを感じるほどだった。
「やはり、俺の後にも続きがあったか」
独り言ちたのはルシフェステルだ。彼は小さくわらった。
「あぁ、なりたいものが増えていく」
窓から咲き込む日の光、それが当たらない影。その中を進む彼は、髪を濃い金に、目を澄み渡った空色に変え――否、返して先を行くエルグニヴァルの後頭部を見据えた。
「ならば励め。努々しくじるな。欠片一つ取りこぼすでないぞ」
エルグニヴァルは言う。振り向きもせず、一瞥すら与えずに。
「わたしになってみせろ。わたしを消してみせろ」
それを聞きながら、シジルゼートは苦くわらうしかない。
臣下として、反逆ともとれるこの言動を見過ごすわけにはいかないだろう。しかし、湧き上がる既視感によって制止の言葉は呑み込まれ、代わりとばかりに出てきたのは諦めが滲む吐息だった。
だから。シジルゼートは微苦笑のままこう口にする。
「お供いたします。何処へなりとも。何処までも」
恐らく過去世の自分たちも言ったであろう言葉を。そっと、しかし確かに。紡ぐしかなかった。
エピローグ兼プロローグ




