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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
33/50

ニーズヘッグの巣_4


「――それは、君にも返ってくるのではないか?」


 心配そうにしかめられた男の顔をチラリと見て、ハノーニアは微苦笑と共に息を吐いた。


「やっぱりそう思うか」

「『混線』や『雑音』もあるのなら、十二分にその可能性はある。危険では?」

「とはいえ、今考え付くのはこれくらいだ。

 ……幸い、私には三つある。私を繋ぐもの。私をあらわすもの。私を、私に縛るもの。

 心配するな。貴様にも、ちゃんと仕事はしてもらう。あの少女の心の平静さを崩す起爆剤として、もう少しの流血と…あぁ、あの祭壇上にでも寝転がって適当に苦しがってもらう。あとは…」

「あとは?」


 手早く男の頬や手など、見えるところに浅く傷を作ってから、ハノーニアは深く呼吸した。


「仕上げに、名前を呼んでやれ。アルス・ゲシェンク、と。

 大事な幼馴染だとおっしゃった王子の声でもいい。本体たる閣下の御声でもいい。うまく声を真似てくれ。

 貴様にかける」

「…承った。

 しかと鳴いてみせよう」


 頷いた男に、ハノーニアも頷き返した。そして、自分たちが入ってきた鉄扉が音を立てて押し開かれるのと同時に、男の胸倉を掴み上げ、床を蹴り、祭壇の上目掛けて叩きつける。

 力加減も魔力での防御もした上での必要な暴挙は、しかして、絶好のタイミングでアルスに目撃された。


 * * *


 そこから始まった戦闘は、まさに叩いて蹴って、撃って、投げての繰り返しだった。

 フレスコ画は大きく割れ、精巧な飾りは崩れて落ち、数多の瓦礫と化している。

 拳銃は全弾を撃ち終わる前に暴発し、短剣も早々に折れた。言われた通り、使い手であるハノーニアと、ぶつかるアルスの魔力に耐えきれなかったのだ。悪いと思う暇すらなく投げ捨てたので、きっと瓦礫の下敷きになっているだろう。しかし、男の物であったから、例え見つかったとしてもクレズヒェルトや帝国へ繋ぐことは出来ない筈だ。

 ハノーニアは大きく息を吐いて、魔力と共に呪文をまた一つ、二つと注ぎ込む。

 星座石を握る手がブルブルと震え、腕がガクガクと揺れてくる。原因理由は、此方を押し返し、あまつさえ逆流してこようとするアルスの魔力か。それとも、早くも返ってきた呪文だろうか。なんて、彼女はわらう。


「答えろ。

 答えてみせろ。

 お前は、誰だ」


 ピシピシという、薄氷を踏むような音と感触に、もう片手も使って星座石を抑え込む。

 見下ろす自分と似て非なる『宵の薄明』が、大きく見開かれる。魔力光で輝く目が、揺れる。


「―― お前は 誰だ !! 」


 ハノーニアは叫んだ。全体重をかけて、魔力を押し込んだ。


(まるで心臓マッサージ、みたい)


 なんて。こんな時でも、無駄なことばかり思い出す自分にわらうしかなかった。


(…あぁでも、いっそ、そうだったらいいのに。そうなったら、いいのに…)


 急激な魔力量の減少で朦朧としだす意識をなんとか繋ぎとめるハノーニアは、そこで男の声を聞いた。


「―― アルス 」


 玲瓏とした声だった。

 決して叫んだわけではなかった。張り上げられたわけではなかった。だのに、その声は礼拝堂に響き渡った。

 ハノーニアは身動きをやめる。終わってはいないのに、目を閉じてその声の響きに浸った。

 ティハルトのように若く瑞々しい声のようでいて、エルグニヴァルのように深く内部にまで響くような心地よい重さのある声のようだった。

 どちらにも聞こえる声だ。どちらもが合わさったような声だった。重なり編み込まれたような声だった。

 しかし。


(…嗚呼、さすが…。…閣下に、そっくりだ…)


 ハノーニアは、エルグニヴァルを想起した。

 そして――。


「―― …ティハルト、さま…? 」


 少女――アルス・ゲシェンクは、大事だと言われた幼馴染(王子様)を思い出した。

 か細い声で、けれども確かに紡がれた縁。それを再び蝕もうとする怨念が詰め込まれた宝石を、ハノーニアは力一杯もぎ取った。

 勢いのまま後ろ向きに倒れ込む。受け身を取る余力など残っていなくて、したたかに打ち付けた背中から腹まで、衝撃が突き抜けた。

 駆け寄ってくる音を床伝いに感じれば、ぼやける薄い視界に男の顔が映り込む。


「しっかりしろ」

「……、ぁ、るス、ゲ、シェ…ク、は…」

「生きている。呼吸も…大丈夫だ、ちゃんとある」

「…び、…け…」


 恐ろしいほどの眠気に似た何かが押し寄せてくる。ハノーニアは、耳を近づけてくる男に「呼び続けろ」とやっとのことで伝えた。


「アルス」


 男が呼びかけを再開する。今度はちゃんとというか、より一層ティハルトの声に聞こえるそれを耳で受けながら、ハノーニアは男から応急処置を施された。


「骨が折れていないというのは流石だな。しかし、内出血や魔力による裂傷に熱傷…む、これは古傷か」


 勝手に見るなと怒鳴るのが先か。それとも、ティハルトの声と元の自分の声を瞬時に切り替える器用さを純粋にほめるのが先か。いよいよ回らなくなってきた頭で、しかしハノーニアはなんとか意識を保つために考える。


「手を開くことは出来るか? あぁしゃべらずともいい。頷くか、首を振るか…いや、それもままならないか…」

「……、、…」


 お見通しかとハノーニアはわらおうとしたが、最早唇の端さえ重く感じた。

 これは流石にヤバいんじゃなかろうか、と思ったところで、男の息の呑む音が聞こえる。


「…なるべく、痛まないようにする。……が、期待はしないでほしい」


 どうせなら最後の言葉は言わないでほしかった。そう思いながら、ハノーニアは来るだろう痛みに耐えるため奥歯を噛み締める。とは言え、その力はなんとも弱々しいものだった。

 アルスへの呼びかけの合間に、男が「どうだ?」と具合を尋ねてくるが、ハノーニアはなにも感じなかった。痛みは勿論のこと。触覚は、辛うじて何かが触れていると伝わってくる程度にまで鈍化していた。


「―― ハノーニア 」


 名前を呼ばれた。

 落ちていく聴覚さえ一発で覚ますその声に、笑みが零れる。


「……れは、ずる、ぃ…かっか、の、こえ、…ぁ…まねる、なんて……――ッ」


 匂いに包まれた。その途端、あらゆる感覚が戻ってきた。


「ハノーニア」


 瞼をこじ開け、一呼吸一呼吸刻むように顔を上げる。

 秋空色の瞳が、そこにはあった。


「か…、か?」

「あぁ。わたしの、可愛いかわいい、ハノーニア。

 すまぬ。遅く、なってしまった。あぁ、すまぬ」


 何がどうなっているのかは、さっぱりだった。

 ただ、エルグニヴァルの腕の中にいることは分かった。呪物と成り果てていた星座石が取り除かれた手を、彼の大きな手にしっかりと繋がれていることも分かった。

 その繋がれた手や包まれる全身からエルグニヴァルの魔力が伝わってきて、あまりの心地よさにやっと開けた瞼が再び閉じてしまう。


(…あ、あぁ…)


 抱き起してくれたエルグニヴァルにもたれかかりながら、ハノーニアは笑う。笑ってしまった。


(…あぁ、もう…だいじょうだ…)


 深い安堵が湧き上がり、多幸感に包まれる。

 そんなところへ水を差すのは、まさかのエルグニヴァルだ。


「…死ぬのか、ハノーニア」


 あんまりな言葉に、ハノーニアは噴き出すように咳き込んだ。なんだか口の中が粘ついたような、苦いような、そんな感じはしたけれど。気のせいだと思うことにした。


「し…死ねません、よ…。…死にたく、ありません。

 ……閣下を、のこして、死ねません」


 笑いながら、不意に脳裏をいつか見た悪夢が過っていった。今、冷たい鉄の手錠ははまっていない。自由である手は、これでもかというほど重く、思うように持ち上がってくれない。それでもなんとか片手を挙げたハノーニアは、指を伸ばす。

 気付いたエルグニヴァルがその手を取ってくれた。指先が肌に触れ、手のひらで彼の頬の温度を感じる。

 体温だけではない。触れ合う手をはじめ、抱き抱えられる体のあちこちからエルグニヴァルの魔力が伝わってくる。乱れに乱れた自分の魔力を補い整えようと巡りだす彼の魔力が、しかし、注がれるなり零れ落ちていく。ハノーニアが思った以上に体は傷付き、ひび割れているようだった。

 嗚呼…と、ハノーニアは声を漏らした。


「……嗚呼、あぁでも…。

 でも、例えば……死ぬなら、今が、いい」

「ハノーニア」


 エルグニヴァルが呼ぶ。その声には珍しく咎めるような色があった。しかし、ハノーニアの口は閉じられることはなかった。


「ぁ…貴方の、そば。

 あなたの、うでのなか。幸せの…絶頂。

 ……ああ。…いまなら。

 わたし、しんだって、いい」


 ハノーニアは口走ってしまってから、はたと気づく。

 前の私たちも、きっとそうだったのではないか、と。

 しかし、そう思ったのはハノーニアだけのようだ。エルグニヴァルの秋空の目が、きつく細められた。


「……また、また置いていくのか。此度もまた、わたしをのこして、お前はいくのか。

 それほどまでに、お前は…貴様は、わたしを嫌うか」


 思ってもみなかった言葉をエルグニヴァルが吐いたので、ハノーニアは呼吸を忘れて眼を見開いた。


「……か、かっか? 閣下、いいえ、いいえ、ちが、違います、閣下っ、くっ、ちがう…ちがい、ます」

「何が、違うというのだ。嫌いであるから、わたしの前から去るのだろう。わたしの前で、消えるのだろう」

「…ぁ…、嗚呼…」


 ハノーニアは、自分が使う側ではなく使われる側であることを分かっている。座学でも実戦でも、なんとか喰らい付いてはいけたけれど、所詮自分がその程度であることを分かっている。そんなハノーニアでも、確信をもって言えることが一つ、今分かった。


「…嗚呼、ああっ。貴方でも、分からないことが、あるんですね。あなたでも、察することが、できないものが、あるんですね。閣下。

 あ、ああ…なんにも、伝わって、いなかったんです、ね」


 ハノーニアは詰まるように痛む胸の所為で、わらってしまった。拍子に、ポロリと涙がこぼれ落ちる。もう片手もなんとか伸ばして、ハノーニアはエルグニヴァルの両頬を包む。


「ハノーニア?」

「かっか、ああ、閣下。トゥエルリッヒ、さま。

 好き、です。好き、なんです、よ。

 好き、だから、…だから、きっと、貴方の前で死ぬんです。好き、だから…貴方の傍で。しあわせの、なかで。…しにたい…」


 ハノーニアは一度目を閉じて、深く呼吸する。肺が痛んだ。だが、痛みを感じるということは、まだ生きている。まだ、大丈夫だ。まだだ。


「っ、…まだ、…まだしね、ない。

 前の、私、よりも…前の、前の、私、よりっ、もっ……もっと、しあわせに、なりたい。…もっと、あなたと、いたい、…ので。

 だから…、ぃ、…ま、だ、死ねません。死にません。……あぁ…、死にたく、ない…」


 ポロリと、涙と共にハノーニアの本音がこぼれた。

 その願いを、エルグニヴァルが涙ごと吸い上げる。


「…ならば、死ぬな。

 死ぬな。

 ―― 死なないでくれ、ハノーニア 」


 それは、きっと魔法の言葉だったのだ。

 だって、ぼやけていよいよ光の粒になりかけていた世界が、瞬く間に輪郭を取り戻したのだから。全部の色が混ざってきっと真っ暗になっていく視界が、鮮やかに生き返ったのだから。


「貴様の願い、その全てを叶えてやる。お前が望むのなら、世界とてくれてやろう。

 だらから、いくな。どこへもいくな。いかないでくれ、ハノーニア」

「……世界なんて、そんなもの、いらない…。頂いても、どうしていいか、わか、りません…。…ぅ…そ、れよりも。それよりも、貴方がほしい。貴方が、ほしいんです。閣下。トゥエルリッヒ、さま」

「ああ、それなら、今すぐにやろう。お前のものになろう。お前のものに、しておくれ。

 だから、ああ、だから。死ぬな。

 死なないでくれ、ハノーニア。

 わたしを、おいていかないでくれ」


 ふわりと軽くなった体で、ハノーニアは大きく息をした。湧き上がる想いのままに、微笑むことが出来た。


「――あぁ、あぁ閣下。

 その言葉が、欲しかった。ずっと、ずっ…と。ほしかった。

 その言葉さえ、あれば、わたし」


 近づいてくるエルグニヴァルの顔を見て、ハノーニアは反射的に目を閉じる。

 キスは、涙の味だ。より直接的に注ぎ込まれ、巡っていく魔力が心地よい。ほんの少ししょっぱいようなこの感触を、ずっと忘れないでいたい。

 どこかへ落ちていくような、はたまたのぼっていくような感覚の中で、彼女はそう願った。


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