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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
34/50

フレースヴェルグは奥深く口付ける


 ――ハッとして目を開ければ、不思議なところに一人佇んでいた。

 見上げた空の片方の端は黄昏時、もう片方の端はかわたれ時の色に染まっていて。中天にいくにつれ深い黒青となっている。

 見下ろした地面は地面ではなく、鏡面のように空を反射していた。思わずたたらを踏めば、それに合わせて微かな波紋が生まれては消えていく。しかし、軍靴が濡れることはない。


「……ウユニ塩湖みたーい」

「「行ったことないけど」」


 呟きは、二言目で独り言ではなくなった。

 驚いて振り向き様に飛び退ったハノーニアは、しかし背後に誰の姿を見ることも出来ない。

 ハノーニアは腰を落として身構える。ふと、足元に視線をやった。そこに仄暗く映る自分の姿、自分の影と目が合う。当然と言えば当然のこと。だが、ハノーニア自身は決して微笑んではいない。映る影とは違って。


「……重なり歩くもの(ドッペルゲンガー)


 影の笑みが深まった。

 それを見て、ハノーニアは大きく溜息を吐き脱力した。


「……死んだのか、私」


 (ドッペルゲンガー)は答えない。

 ハノーニアは念を押すように、繰り返した。


「死んだのか、私。

 あんだけ、閣下に、言っておきながら。呆気なく。死んだのか」


 喉奥が詰まるように痛んで、涙が溢れた。どうしようもないくらいの悔しさからのものだった。

 両手で掻きむしるように顔を覆う。指の間から涙と共に「ちくしょう」と罵りの言葉が零れ落ちる。肌に立てた爪が生む痛みは鮮やかだった。

 薄明が満たす世界に、ハノーニアは佇むしかなかった。


「……? ぁ、…」


 どれくらいそうして泣いていたのだろう。

 きつく閉じていた瞼越しに、優しく眼球を刺す光を感じて、ハノーニアはゆっくりと目を開ける。拍子に外した両手――その右手首にはまる補助演算珠の存在に今更気が付いて、驚愕した。途端に、早鐘を打つように心臓がうるさくなる。


「――、」

「――呼んでどうなる。呼んだって、どうにもならない」


 被せるようにドッペルゲンガーが言う。その声色は吐き捨てるような、それでいて悲しげなものだった。


「あの方は、此処にはいない。あの方は、此処にはこない」

「……分かってる。分かって、いるよ。今までの私たち(ドッペルゲンガー)

「「あの方は、此処に来てはならない」」


 声が揃うことも、言葉が重なることも、不思議だとは思わなかった。

 足元のドッペルゲンガーを見下ろす際、目に入った胸元に、しっかりと演算珠がさがっていることも、驚かなかった。


「此処は夢。あの世に繋がる夢路のそのはし」

「あの方は、まだ来てはならない。来て、ほしくない」

「「……あぁでも。もう、あと一回。あと一目、会いたかった…なんて」」


 わらいが零れた。


「欲張りなのは、元からなんだね」

「知りたくなかったよ、ほんと。もう少しマシなヒトでありたかったんだけれど…」

「……何回繰り返したの。私で…何人目?」

「さぁ…て、ねぇ」


 はぐらかすような声に、ハノーニアは天を見上げた。丁度そちらは朝焼け色の側であって、余計にエルグニヴァルを思い起こさせる。止まっていた涙が再び滲んできたので、無駄だと分かっていてもより高く顔を上げた。


「……次は、あるの?」

「分からない」

「じゃあ、今までは…どうやってきたの」

「繰り返すのは人間だけ…なんだってさ」

「……。…ちょっと、待って。待った。…その言い方だと…は、なに? 私、まるで…人間じゃないみたいじゃん」


 ハノーニアはゆっくりゆっくり――恐る恐る、顔を下ろす。

 鏡面の向こうから、『宵の薄明』が此方をじっと見つめていた。


「…怪物を、化け物を、倒すのは人間だ。最終的に勝つのは、人間だ。そう物語では決まってる。そういう御約束だって決まってる。そう…歴史は繰り返す、なんてことわざだってあるくらいだもの」


 ドッペルゲンガーが笑う。ほのかに苦味を含んだ微笑みを浮かべ、肩を竦めてみせた。


「今度こそ、今生こそは…いけると、思ったのになぁ」

「……閣下と、一緒に…」


 何処へ。何処まで。それよりもこの言葉が、ハノーニアの口を吐いて出た。その理由は、やはりハノーニア自身の願いでもあり、夢見たことでもあったからに他ならないのだろう。思ってもいないことを紡ぐのは、どうしたって難しいのだから。

 頷くドッペルゲンガーを見下ろして、ハノーニアも大きく息を吐いた。


「……誰も、閣下といけなかったんだね」

「うん」

「誰も…閣下と、来れなかったんだね…」

「うん」

「「……ああ、よかった…」」


 誰も彼もが同じ不幸の中にいた。誰も彼もが、想う相手を道連れにはしなかった。自分だけではないという、仄暗く生温かい安堵が胸にズシリと詰まった。

 その重さに釣られるように、ハノーニアはズルズルと滑るようにして尻餅をつく。


「私は、閣下を庇って死んだよ」

「私はエルンスト様だったなぁ」

「ぬぁああ…ちょっと、抉らないで…」


 自慢話のような不幸自慢のような、よく分からないものが始まった。堪らずハノーニアは演算珠ごと胸元を押さえて寝っ転がる。鏡面は波打つが、やはり濡れることはなかった。


「私はね。結婚して…そしてまさかの悪役になって死んだよ」


 そういう声は弾んでいた。痛々しさも感じるが、どこか満たされた色もあったので、ハノーニアは「そっか…」と相槌を打つだけにした。

 そうして、静寂が訪れる。

 仰向けになり四肢を伸ばしたハノーニアは、限りなく黒に近い青を見上げながら、ついつい口走る。


「……羊が、一匹」


 此処からどこにもいけないことは、なんとなく感じた。やることも、出来ることもないのなら寝てしまおう、なんて考えは自分でもどうかと思った。それで口を吐いて出た言葉がこれなのは、せめてもという後悔か。それとも、もはやただの執着だろうか。


「……愛じゃ、ないさ。愛も、恋も…もっと優しくて、もっと柔らかくて、きっとあったかい。もしかしたら…甘い、かも知れない。…それくらいの夢は、見させてほしい…」


 消えるのか、はたまた今までの自分たち(ドッペルゲンガー)と混ざるのか。どちらにせよ、なんにせよ。その時まで、走馬灯の代わりに見ていたい。

 目を細めたハノーニアは、自然と微笑んでいた。


「…羊が、二匹…」

「…羊が、三匹…」


 ハノーニアが次を唱えれば、ドッペルゲンガーの誰かが間隔を置いてその次を唱えた。距離が近くなった分、なんだか内緒話をしているようにすら感じて、妙にくすぐったくなった。


「羊が、四匹…」


 ゆっくり、穏やかに。数が増えていく。

 生前はおろか今生でも効いた試しがないおまじない。その筈なのに、一匹増えるごとにハノーニアは瞼が重くなっていくのをひしひしと感じた。


「…ひつじが…五匹…」

「……羊が、ろっぴき…」

「ヒツジが…ななひき…」

「…、…羊が…八匹…」


 瞬きをするのが、少し怖かった。忙しい平日をなんとか終えて、さぁ待ちに待った休日だ!と目覚めて、あぁまだもう少し、あと少しとうつらうつらする。瞬きをするたびに時間があっという間に過ぎていて、いつの間にか寝過ごしたと飛び起きる。そんな時と、よく似ている気がした。起きた方が良いと分かっていても、二度寝の気持ちよさにはそうそう勝てない。


(…まぁ、きっと…此処で寝たら、もう、……)


 次目を覚ました時、自分である確証はこれっぽっちもない。次がある確証もない。

 そんな恐ろしさを振り払うように、ハノーニアは寝返りを打つ。体は既に重くて仕方がなかった。


「ひつじが、九匹」

「羊が十匹」

「羊が、十一匹」


 張り付いた瞼をやっとの思いで持ち上げたのは、さいごに――さいごのさいごまで『明の薄明』を見ていたかったから。


「羊が十二匹」


 深い青から白に限りなく近い青へと変わる美しいグラデーション。その輝く地平線から突如、音が響き渡る。蹄がカツと鏡面を踏みしめる音が、ハノーニアを一瞬にしてふるわせた。

 飛び起きたハノーニアは、ゆっくりと立ち上がる。

 その間にも音は鳴りやまず、カツカツと速足の歩様で此方へ向かってきた。

 光の中から現れた金に輝く毛の牡羊は、しかしてハノーニアの目の前でその足を止める。


「…まさか」


 ドッペルゲンガーの声に、ハノーニアは思わず手を伸ばした。


「……閣下? ――ぁ、」


 伸ばした手のひらに羊の温かさを感じた瞬間だった。恐らく背後から衝撃を受けて、ハノーニアは耐えきれずに体勢を崩す。丁度羊に覆いかぶさるように倒れ込んだハノーニアは、煌く金色が半分ほど暗く見えにくくなっている気がした。


「…ぁ、ん、だ? …ッ?」


 身を起こしながら、視界の違和感に手をやる。触れたものをとってみれば、それは黒い羽根だった。烏のような濡れ羽色とよく似た、しかしそれではない漆黒を見て、またもやハノーニアは口走る。


「――閣下?」


 羽ばたくような音に反射的に振り向いたところで、ハノーニアはもう一度羊の背中に倒れ込む。

 ソレは、何もかもが真っ黒だった。大きな翼も、ぐるぐると渦を巻くような角も、ハノーニアを押し倒してガッチリと踏みしめる鋭いかぎ爪を生やした強靭な脚も。

 その、空色の目を除いて。


「ぁ…閣、下…」


 輪郭が金色の陽炎のように揺らぐソレは、まさしく怪物と呼ぶにふさわしい。

 だのに、ハノーニアの口からはそう零れた。慌てて口を押えたくても、羊の金毛ごと腕を掴み押さえこむかかぎ爪はビクともしない。


『…許さぬ』

「ぅ、ぁ…か…っか」


 ソレはエルグニヴァルの声で言う。口は動いていない。そもそも口があるのかどうかも分からない。直接耳から脳へ吹き込むように響くそれは、確かにエルグニヴァルの声でそう言った。

 ソレは、翼を大きく広げ、強く羽ばたき、なお続けた。


『許さぬ 許さぬぞ。

 わたしを置いて、あぁ、お前は、貴様は、こんなところにいたのか』

「あ…かっか、閣下! ごめんなさい! ごめんなさい私」

『許さぬ わたしをおいていくなど  もう 許してなるものか  』


 息を呑んだハノーニアは戦慄き、目を見開いた。

 ――その左目目掛けて、ソレは素早くそして強く、深く。鋭い嘴を突き出したのだ。


「――ぁあああああああああああ!!!?」


 突き刺した左目から、悲鳴を迸らせる口から、ソレはハノーニアへと入り込む。鋭い爪のついた脚でもって彼女をとらえる。大きな翼でもって包み込む。

 そうして、絶叫が止んだ後には何も残っていなかった。影すらなくなっていた。

 静寂だけが、ただひたすらにそこを支配していった。


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