トリックスターもつらいよ
護送列車に乗り込む一歩前。彼女はふと空を見上げた。
澄みわたった空はとても高く感じた。それが、まだ先の季節を思わせて、堪らなく嬉しく感じて、ついつい笑みが零れる。
「――ベルシュタイン大尉、いかがされましたか?」
「…いいや、なんにも。ただ、良く晴れた日だなぁと思ってね」
「確かに」
「…帰りまで、変わらずにいい天気であってほしいものだと願わずにはいられないよ」
「そうでありますね」
しっかりと頷いた下士官に笑いかけた彼女は、制帽をきっちりと被り直して乗車した。
通路を歩いていれば、向こうからやって来た別の下士官から伝令を貰う。
「ヴォルフォツェール大将が至急お呼びです」
「…早速かな。
了解。すぐ向かう」
マガレイトに結われた深い灰髪を弾ませて、彼女は下士官と共に車内を颯爽と行く。
貴賓室の扉を打って到着を告げれば、「お入りなさい」と柔らかい声で許しが出た。
「さ、掛けて。楽にして」
「ありがとうございます、閣下」
促されるまま向かいの席に腰を下ろせば、肘をつき声を漏らして笑うシュエンディルに肩を竦めるしかない。
「閣下。いい加減慣れていただきたく思います」
「いや、すまない。っふ、く…くくく、やぁ、こんなにいい気分なんてそうそう味わえないからね。
いいなぁ、トゥエルリッヒー」
上げられた顔は堪らなく楽しそうで、丸眼鏡の奥の紫の瞳は波打つ水面のように煌いている。これまで何度どなく見た表情だ。それ故に、彼女は溜息を禁じ得ない。
「クレヅヒェルト軍人だけではないのですよ」
「そうだね。ミノーレア御一行もいるものねぇ」
むしろ、そちらが本命だろう。
クツクツと笑い続けるシュエンディルに、彼女はもう一度溜息を零した。
「突然の魔力暴走による意識混濁。
とある帝国軍人への固執、執着…いっそ、執念と言ってもいい思い。
制御しきれず、突き動かされるままの行動で、あわれミノーレアは帝国に睨まれることになってしまった」
「…帝国が執念――恨み辛みの的になるのは今更でしょう。
積もりに積もったそれらが、あの少女兵という形になって現れた…というのは、まぁ、ほんの少しだけ同情いたしますが」
「ふぅん、どれにだい?」
「どれにも、ですよ。
周囲を敵に囲まれて、周囲の敵になるしか道はなかったような帝国にも。
列強諸国に見下ろされ、眺められ、愛でられるしかなかったミノーレアにも。
そこに生まれ、そこで育った者たちにも」
シュエンディルと彼女は、そっくりな顔でもって笑い合う。
そっと上体を丸めて顔を近づけてきたシュエンディルに、彼女も片耳を差し出すように顔を寄せた。
「そう、みんなかわいそうだ。誰も彼もが、引き金を引く理由を持っている。
つまり、分からないことだらけだ。
だからこそ…唯一はっきりした反応があったといっていい君を連れていく」
「えぇ、存じております。…とはいえ、餌にしては、若干貧相かもしれませんが…」
「そんなことないさ。君はとっても魅力的だ。可愛いかわいい、ぼくらのいとし子。
この任務から帰ったら、誰も彼もがこぞって君を手に入れようとするだろうね。
まぁ、そのあたりは彼にもうバレているだろうから。ははは、ぼくが先か世界が先か微妙なとこだけれど…トゥエルリッヒに殺されたら、骨とは言わないけれど、羽根の一枚ぐらいは拾ってくれたら嬉しい限りだよ」
「…出立のお言葉がそれとは…。幸先不安ですよ。殿下」
シュエンディルの朗らかな笑いが室内に響くと同時に、出発を知らせる汽笛が鳴った。
――クレヅヒェルトを発って早数時間。ミノーレア行きの護送列車内で車窓風景を眺めていた彼女は、ゆるく頭を振って笑い声の幻聴共々一抹の不安を遠くへと飛ばす。
取り出した懐中時計を確認すれば、もうすぐ見回りの時間だった。
魔導大国として地位を確立しているクレヅヒェルトではあるが、人口で言えば帝国を含めた周辺諸国におくれをとる。故に、軍は量より質を取らざるを得ない。文字通り少数精鋭で構成されているため、上下士官に関わらず手足にもなるし頭にもなる。
軍刀や拳銃、それから演算珠の確認をして一歩歩き出せば、少し離れた場所で待機していた下士官が随行してくる。
「大将のお相手をしていただけるだけでも有難いですのに…」
「っく…おやまぁ、よほどあの御方は手に余ると見える」
「ハトルヴァーン殿下――ヴォルフォツェール准将も頑張って手綱を握っていらっしゃいますが…。
あの御方を従えることが出来るのは姉であり女王であるノエリア陛下ぐらいです。渡り合えるのは、黒鷲閣下――エルグニヴァル総統のみかと」
「わたしは遊び相手ぐらいには好かれている…なんて、うぬぼれてもいいかしら」
「ご謙遜を」
琥珀色の目を細めて笑う下士官は、何を隠そうシュエンディルが寄越した情報部員だ。授業を経て仲良くなった――というのはいささか馴れ馴れしすぎるかもしれないが――今日、こうしてウルリカ・ベルシュタインとなったハノーニアを手厚く支援してくれる一人だ。他にも数名が上下士官、鉄道関係者となって紛れている。
そんな彼とつかず離れずの距離を保ちながら、巡回を行っていく。
「めちゃくちゃというか破天荒というか。奇想天外ともいうか。いたずら者というのはああいう御方の事をいうんだろうとはつくづく思うよ。
まぁ、そこが魅力的ではあるかな。添い遂げたいと覚悟が出来るかは別だが」
「ふぅむ、もう一声ですか」
「何がだよ」
顎に手を当てて唸る彼に、ウルリカは肩を竦めて苦笑した。
「いえ。この任務が終わっても、ベルシュタイン大尉には是非とも本国に留まっていただきたいと、我々一同心から願っておりまして。
やはり、帝国へ行かれるので?」
「そりゃあね。
期間限定の任務だ。君たちと一緒なのは心強いがね…」
「帝国では、貴女様の味方は多くありませんよ」
「そうだね…」
「黒鷲閣下とて、天下を取っているわけではありません。足元を掬おうとする輩はおります」
「あぁその通り。
あの黒鷲閣下とて、すべてを掌握しているわけではない。帝国は一枚岩たり得ていない。分かっているよ、感じているよ」
「…幸か不幸か、貴女様は女性です。望まぬ行為を、強要されることも…」
「そうだね、あるだろうね。ないに越したことはないが…。…あれだ、歴史は繰り返す、なんて言葉もあるくらいだし。
はぁ…戦争の引き金にだけは、なりたくないなぁ」
今は睨み合っていないだけで、現在は表向きだろうが国交も滞っていないだけで、クレヅヒェルトと帝国がずっと仲良しこよしだったわけではないことを知っている。学んでいる。
前世ではやはりどこか対岸の火事だったそれが、今生では皮一枚のところに感じる。
ウルリカは細く長く息を吐いた。
「…まぁ、わたし自身のことは追い追い。
後回しにしたい訳ではないが、それよりもアレが先決問題だ」
「それは、確かに」
二人は揃って嘆息し、進行方向――護送車両の扉前で睨み合う数人を眺めた。
「――ですから、何度も申し上げております通りです。いかにティハルト殿下におかれましても、この先への立ち入りは許可出来かねます」
衛兵の声が聞こえてきて、ウルリカたちは「またか」と視線で頷き合った。
丁度もう一人の衛兵と視線が合ったので、それを合図に舞台へと上がることにした。
「おやまぁ、いかがいたしましたか? ティハルト殿下」
「っ、あなたは…ベルシュタイン大尉」
声をかければ、びくりと面白いくらいに肩を跳ねさせてから、青年――ミノーレア国の王子ティハルトは振り向いた。鮮やかな金髪をきれいに撫でつけた姿はなかなか美男子であるが、苦しげに寄せられた眉がどこか儚げな雰囲気を出している。
ティハルト王子は一度瞬くと、その常緑樹を思わせる瑞々しい瞳をキリリと険しくしてウルリカたちへ歩み寄ってきた。
咄嗟に庇おうと進み出る下士官を片手で制し、ウルリカはにっこりと笑みを作って相対する。内心は冷や汗でいっそ凍えそうだが。
「御記憶いただけていたようで光栄です、殿下。はい、小官はウルリカ・ベルシュタイン大尉であります。
…して、いかがいたしましたか? 何か…お困りごとでも?」
「白々しい。これで何度目だと!」
「よさないか。…失礼。取り乱して申し訳ない。
改めて、御機嫌よう、ベルシュタイン大尉。この度は帰路の手配を賜り、誠にありがとうございます」
「勿体なきお言葉です、殿下」
いきり立つ従者を抑えて礼を取るティハルトに、ウルリカたちも礼を返す。
「…ベルシュタイン大尉。どうか、どうかあなたからも進言していただけないだろうか。
ほんのひと時…ほんの一目でいい。アルスとの面会を、どうか、どうか許可していただきたい」
(ウワ来ター)
内心では片言になるも、今はウルリカだ。ハノーニアならいざ知らず、ウルリカで百面相など出来る訳もない。
「…殿下…。小官どもでは許可出来かねます。恐らく、其方の者からも同じ返答だったかと…」
「、…分かっている。……だが、大事な…人なんだ。小さい頃からの、私の、大切な…幼馴染なのだ…」
情報部員扮する下士官と肩を竦めながら、しかしウルリカの心は大荒れである。
ティハルト王子との初対面は、この護送計画の中でだった。
初めてはハノーニアとして。非公式であるが、故意ではないといえ自国民が起こしてしまった惨事を謝罪に来た。成人の一歩手前である彼は、謝罪の後に陰りのある微笑でもってこう言ったのだ。
――「わたしの…僕の、大事な幼馴染、なんだ」
まさかこんなことになるなんて、とティハルトの独り言に近い懺悔は続いていたが、ハノーニアはそれどころではなかった。吹き荒れる白昼夢――前世の記憶によって、叫びださないようにするのに必死だった。
【ティハルト王子】 小国ミノーレアの王子。主人公の幼馴染でもあり、マガドヴィウム魔導学園にて再会したことを心より喜んでいる。
そんな説明書きの一部がでかでかと脳裏を過ったハノーニアは、口走りかけた。
(攻 略 対 象!!!!!)
咄嗟に噛み締め、両手で覆った唇は痛んだが、背に腹は代えられない。王子をはじめとするミノーレア側には、その行動がどうしてか『王子とその大切な幼馴染に降りかかった不幸に心を痛める優しき帝国軍人』と受け取られたので、もう棚ぼたと思うことにした。
(…王子様と幼馴染とか、まぁよくあるパターンですよね。いくら小国、いくら『バイカラー』、いくら『宵の薄明』っていっても…はぁ、ヒロイン怖い)
そう思い返しながらハノーニア――ウルリカは、もう一度、今度は控えめな溜息を吐く。王子の従者である騎士然とした男からは厳しい視線を貰うことになったが、ニコリと笑みを深めてやった。
「そのことについては、事前の説明でこちらも把握しております。
ですが…幼馴染というだけでは、どうにも…。…これが例えば、殿下の婚約者でいらっしゃるというのであれば、いくらか状況は変わってまいりますが…」
思い出した記憶で、ティハルト王子ルートも朧げだが把握した。正直な感想、一番平和だ。帝国にとっても、クレヅヒェルトにとっても、当のミノーレアにとっても。
魔導師――『バイカラー』で『宵の薄明』の国外流出を防ぐことが出来る。つまりは、いたずらにパワーバランスを刺激しないのだ。典型的だなんだと言われていたが、現実として生きている身にとっては最良なルートと言っても過言ではない。
「それは…」
「そうなる予定だったのだ。マガドヴィウム魔導学園を卒業された暁には!」
しかし、やはり現実はそう優しくない。話は出ていて且つ進んでいるようだが、確約はまだのようだった。魔導学園にて、あわよくば列強諸国の有力者と結ばれる。そうでなくても、仲介役くらいにはなることが望まれているのだろう。
(……明日は我が身)
同じ『バイカラー』――『宵の薄明』として欠片は同情するが、深入りは御免被る。
そんな気持ちを微笑で包み込んで、ウルリカは返答する。
「予定のお話をされても、困るのです。それはあくまでも貴国ミノーレアのご都合…。
クレヅヒェルトには…厳しい言い方となりますが、関係ありません」
「貴様ッ」
「剣を抜きますか? 此処で?」
「……舐めるなよ、魔女の子め」
騎士が吐いた言葉に、ウルリカ以外のクレヅヒェルト軍人たちが反応した。
膨れ上がった魔力が内側から窓ガラスを圧迫するのを、ウルリカは一つ拍手することで霧散させる。
魔力と怒気に当てられて堪らず膝を折り、呼吸もままならずに喘ぐ騎士を見下ろして、ウルリカはゆるく首を振った。
「一つ、従者たるもの、騎士たるもの。主人を無暗に危険にさらしてどうしますか。貴方は囮ではなく、守護する者でしょうに。
一つ、魔女の子…それは我々クレヅヒェルト人にとっては、敬称であり蔑称でもある。使いどころがとても難しい言葉なんです。
一つ、此処はミノーレアではありませんよ。
お勉強になりましたか? それはなにより。
ティハルト殿下は…あぁ、素敵な護符ですね。えぇよきものです。今後も大事にされるとよいでしょう」
辛うじて立っているティハルトが握りしめている演算珠から守護の気配を感じて、ウルリカは柔らかい笑みを浮かべてみせる。
騒ぎと魔力の突沸を感じて駆けてきた軍人に向き直り、両手を広げて指示を出す。
「お部屋へ御戻りだそうです。送って差し上げて」
「了解いたしました」
数名の軍人に付き添われていくティハルトたちを見送りながら、ウルリカは溜息と共に言葉を吐く。
「あなた様が、どれほどアルス・ゲシェンク様を想っていらっしゃるか。それだけは、ヴォルフォツェール大将へお伝えしておきます」
「……感謝、する…」
「いいえ。
では、どうぞ残りの鉄道の旅を、ごゆっくり、お部屋で満喫してくださいませ」
一礼した後、ウルリカは王子たちが車両を跨いでいなくなるまで見送った。
扉が閉まり、靴音も気配も遠くへ消えてから、ウルリカはゆっくりと壁際までたどり着くと、背中を預けて力を抜いた。
「うぇ…お腹痛い…」
「おや、それはいけません。帝国とクレヅヒェルトでは食事も似ておりますから大丈夫だとうぬぼれておりました。どれがお気に召しませんでしたか?」
「違います…。…緊張というか、なんというか…その他もろもろが、ぐぅッ」
このまま壁伝いにズルズルと座り込んでしまいたい。そんな気持ちをなんとか抑えて、ウルリカ――ハノーニアは鳩尾辺りをしきりにさするしかなかった。
柔らかく微苦笑した情報部員が肩を貸し、加えて背中を優しく撫でてくれた。
「頑張っておられますよ、とても」
「ありがとう、ございます…。…その言葉と、皆さまのお陰でやっていけます、なんとか…」
「嬉しい限りです。
えぇこのまま、ずっと大尉と仕事が出来れば…なお一層嬉しいです」
「は、ははは…。御冗談を」
「いえ、なに。冗談を誠にすることにおいては、そこそこ自信があります。
まぁ、大将には及びませんがね」
とくとくと注がれる柔らかい笑みに、ハノーニアは唇を笑みの形に引き結ぶしかなかった。




