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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
26/50

エリスはリンゴを振りかぶる


 しかして、エルグニヴァルと想いを確かめ合った数日後。

 ハノーニアはというと、シュエンディルに午後のお茶会へと招かれていた。表向きは、エルグニヴァル扮するルシフェエステルの護衛の一人として。包まれた内容は、勿論というか対ミノーレアについてである。


(…ついに動くか…。…いや、もうきっと動き出してるんだろうな…)


 中尉という階級に就いているのだから、ハノーニアも兵士を動かす立場ではある。とはいえ、経験は数えるほど。訓練の域を出るか出ないかだ。動かされた・使われた経験の方が圧倒的だ。故に、後者の考えが正しいのだろうとハノーニアは改めて気を引き締める。

 そうしている内に案内されたのは、先日とは異なる談話室だ。広いテラスに面している造りは似ていたが、調度品の雰囲気が質素である。飾り気の少ない内装は実用的な雰囲気が感じられる一方で、何処か冷淡さが滲む気がした。


「いらっしゃい。ようこそ」


 お茶会の主人であるシュエンディルによって朗らかに迎えられて、それぞれ席に着く。

 少し離れた控えの席へ足を向けかけたところで、ハノーニアは変化を解いたエルグニヴァルにしっかりと捕まり、そのまま彼の隣へ着席する。

 流れるように自然だった一連の動きに目を瞬くハノーニアは、隣のエルグニヴァルを見て、そして正面のシュエンディルへと顔を向ける。

 シュエンディルは必死に笑いを耐えているようだ。紫の目はぎゅっと瞑られているし、肩は大きく震えている。


「何をしている。早く話を始めろ」

「っ、くっ、はははっ! 早くいちゃつきたいからって?」

「あぁ」

「「ぶふッ!!」」


 にべもなければ躊躇いもなく頷いたエルグニヴァルに、耐えきれず噴出したのはシュエンディルだけではなかった。シジルゼートの苦しそうで且つ楽しそうな咳き込む声に、ハノーニアは宇宙を感じる猫となるしかない。

 頼みの綱となりそうなハトルヴァーンは、今この場に居ない。乱闘にはならないと思うが、精神的に先行きがとても不安であった。


「っく、ひ、くくッ…あぁ、あぁ! 分かったよ!

 協議の上、ミノーレアには代替わりしてもらうことにした。

 その作戦において、ハノーニア・ノイゼンヴェール魔導中尉を貸してもらう」

「え」

「帝国軍人としてではなく、クレヅヒェルト軍人として…貴官には作戦中行動してもらう」


 シュエンディルの紫の目に見つめられて、ハノーニアは呑み込んだ息を吐き出すのに数秒を要した。

 静かなエルグニヴァルが、怖い。

 にこりと笑みを深めたシュエンディルもまた、恐ろしい。


「なに、難しいことはないさ。貴官は私と共に、私の護衛官の一人として、ミノーレアの憐れな少女兵の護送にあたる…それだけだ。

 ちょっとばかり小国へ足を延ばして、帰ってくる。それだけだ」

「……これに、かすり傷一つでも増やしてみろ。

 もはや遺言などきかぬぞ」


 ようやく口を開いたエルグニヴァルは、不機嫌をとっくの疾うに通り越していたようだ。静かだが、その声には憤怨がありありと現れている。

 何故そこまで?とハノーニアは尋ねたかったが、シュエンディルの低く笑う声にすぐさま意識を持っていかれた。


「それは此方の台詞なんだけれど、ね。

 まったく、誰のせいでこうなったと? 誰の願いで首の皮一枚で繋がったと? 自惚れも大概にしてくれるかい」


 膨らんだ緊張は、数秒の静寂を挟んで、シュエンディルが大きく深く息を吐いたことでしぼんでいく。


「………ごめんね、ノイゼンヴェール嬢。

 こと恋愛ごとに関して、男ってば未練がましいから。嫌になるほど、ね」

「ぁ……いえ、…はい…」


 頬杖をついて此方を見るシュエンディルの微笑みがなんともさみしげに見えて、ハノーニアは小さく頷くのがやっとだった。次いで、隣のエルグニヴァルに膝上で拳を作っていた片手を繋がれたので、そちらを向く。すると、かすめるように鼻へキスを贈られて、目をぱちくりと瞬く。

 視線が合った空色の目には、かなしみがなみなみと張っていて、今にもあふれそうに思えた。


「……遺言は、もうきかぬ。…ききたくなどない…」


 掠れた小声で紡がれた願いを、ハノーニアはひとまず呑み込んだ。

 いつかその詳細を聞くことが出来たらいいなと願いながら、エルグニヴァルがしてくれたように、彼の鼻へと優しく口づける。


「なら、もう言いません。

 そして…言葉などのこさなくていいように、精一杯努めます」


 エルグニヴァルに笑いかけて、ハノーニアはシュエンディルに向き直る。そして、彼にも微笑んで見せた。


「して、小官は何になればよいのでしょうか。

 微力ではございますが、この身すべてでもってお応えいたします」


 シュエンディルが眩しそうに目を細めた。

 彼は少し長く目を瞑ると、いつものように朗らかな笑みを浮かべて頷く。


「あぁ、その言葉を待っていたよ」


 微笑んだシュエンディルが「それじゃあさっそく」とハノーニアに求めたことは、大きく二つ。

 変装技術の習得と、クレヅヒェルト語のさらなる熟練だ。

 クレヅヒェルト語と帝国が使うラルヴァ語は、発生を同じくしているとされていることもあり、体系や発音も似通っている。習得も容易な方だ。現に、ハノーニアも過去の留学中に日常会話で困ることはほとんどなかった。

 課題となるのは、確実に変装技術の習得だろう。


「名前の候補をいくつか挙げてきたから、トゥエルリッヒと一緒に選んでね」

「閣下と、ですか?」

「うん。此方で決めてもよかったんだけれど…ほら、そうしたら拗ねるでしょう。君」

「そうだろうな。名付けなど、まるで貴様のもののように感じる。至極不愉快だ」

「ほらね」


 引きつった笑みを浮かべて、何とかかんとか上質な布張りの綴じ込みを受け取ったハノーニアは、視線を感じて顔を上げる。

 シュエンディルの紫の目が、丸眼鏡の向こうから柔らかく此方を見つめていた。


「大事なものだよ、名前は。偽りの名前なんて、どうか思わないで。

 君をあらわすものにかわりないのだから」

「…はい」

「うん。いい返事」


 微笑んだシュエンディルに目礼し、ハノーニアは綴じ込みを胸に抱き寄せた。

 そんなハノーニアを、エルグニヴァルがごく自然に抱き寄せる。

 目を瞬くハノーニアは、向かいで肩を竦めたシュエンディルが大きく溜息を吐くのを眺めるしかできない。


「はいはい、分かったよ。まったく…嫉妬深くて束縛もする…。愛想尽かされないよう頑張ることだね、トゥエルリッヒ。

 さて…話は以上。各自行動を開始してくれ。連絡や報告は忘れずに頼むよ。決しておろそかにはしないように。

 ああそう。ノイゼンヴェール嬢の講師役として、情報部から人員を送るよ。面白い子たちだけれど、いい子だから。どうか仲良くしてあげてほしい」

「はい。此方こそ、どうぞよろしくお願いいたします」


 お茶会を終えてあてがわれている部屋に戻れば、ハノーニアはより一層密着してくるエルグニヴァルに苦笑を禁じ得なかった。

 恥ずかしさは勿論あるけれど、それ以上に可愛らしいと思ってしまう。慣れなのか、それとも開き直りの境地なのか。

 ハノーニアはエルグニヴァルに手を引かれるまま、窓辺の長椅子に揃って腰を下ろす。

 右手首にはめた補助演算珠に触れるエルグニヴァルの手つきは、確かめるように念入りだ。


「閣下。ちゃんと、はめております。いつも一緒です。食事の時も、寝る時も」

「入浴の時もか?」

「はい。すぐ手に取ることが出来る場所に置いています」

「そうか。なら…よい」


 空色の目を柔らかく細めたエルグニヴァルは、微かに笑みを浮かべた唇を演算珠の核であるカーネリアンに落とす。口移しされた魔力が、ぬくもりとなって伝わってきた。


「閣下…」

「……心配、というのだろうか。これを。

 配るだけの心が、わたしの中に生まれたのだろうか。

 痛むだけの心が…わたしの中で育ったのだろうか。

 自分では、分からぬ。確かめようがない」


 独り言のように言ったエルグニヴァルは顔を上げて、ゆっくりと一度瞬いた。


「お前は、貴様は…すぐにいってしまうからな」


 撫でるように優しく背中へと回された両手でもって抱き寄せられて、エルグニヴァルの胸に耳を付けながら、ハノーニアはそっと息を吐く。規則正しい鼓動がひたすらに心地よい。


「…いつも、でしょうか」

「あぁ」

「いつも、いつも…私は、閣下を…トゥエルリッヒ様を、おいていくのでしょうか?」

「あぁ、そうだ。

 お前は…そう、足がとても速いからな。わたしの足では…どうにも追い付くことが出来ない」

「トゥエルリッヒ様だって、お速いです。私は…ああも高く、速く、飛べません」

「それでも、追い付けはしないのだ。

 貴様はわたしを置いていく。いつも、いつも…。

 分かっている。寿命が違う。分かっているのだ。死は訪れる。誰も彼にも。なにもかもに」


 もう一度「分かっている」と繰り返したエルグニヴァルが、そっと身を寄せてくる。

 覆いかぶさるように抱き締められて。閉じ込められて。ハノーニアは身震いするようにすり寄った。


「…それでも。それでも私は、貴方に生きてほしい。貴方に、生きてほしいのです。トゥエルリッヒ様」

「それがお前の願いなら、あぁ、叶えよう。叶えてみせよう。

 わたしの、ハノーニア。わたしの、可愛いかわいいハノーニア」


 エルグニヴァルの囁きを聞きながら、ハノーニアは目の前にさがる荘厳な演算珠へ口づける。補助石であるサファイアが、魔力を受けて柔らかく明滅した。


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