横顔が美しいのはしっている
対ミノーレア共同戦線が、帝国とクレヅヒェルトとの間で結ばれた。勿論水面下での取り決めであるそれにおいて、ハノーニアは図らずも役を振られた。
なんとも裏切り者らしい言葉だったなと先日のでき事を振り返って、自嘲的な笑みが零れるのは身勝手だろうか。
「…浮かない顔ですな、ノイゼンヴェール様」
「シジルゼート少将…。…えぇ、それは…まぁ。
…ミノーレアの憐れな少女兵の言葉を思い出しまして。まさしく『裏切り者』に、なってしまったなぁ…なんて」
マガドヴィウム魔導学園の図書館。その禁書区域の奥にて、ハノーニアの溜息が零れ落ちる。手入れが行き届いているそこで、拍子に埃が舞うことはなかった。
「……裏切り者では、ありません」
「そう言ってもらえると、ありがたいです。…まぁ、腹芸なんてちっとも出来る気がしませんし、それを陛下方も分かっていらっしゃるでしょう。
…ですが。知らずのうちに、本当にそうなってしまったら…。…その時は、頼みます」
夢のように。なんて続きは、流石に口にすることをやめた。振り向いた先で見たシジルゼートの顔が、あんまりにも苦悶に満ちていたから。
「……。そうならぬよう、努めてください。小官も、力を尽くします」
「はい。それは勿論」
「当然です」
シジルゼートが大きくため息を吐いた。吐き出された息に、欠片でも安堵が含まれていたらいいなと思いつつ、ハノーニアは開いていた本を閉じて棚に戻す。
「…ところで、何をお調べに?」
「『バイカラー』と『混線』、もしくは生まれ変わりについて、ですね。
…あぁそういえば。一般書架にアグリコラ博士の著書がありました。やはりすごい御方ですね」
「えぇ、色々と」
「えぇ」
ほんのりと遠くを見つめた緑青の目を見上げて、シジルゼートも大変だなぁと、ハノーニアは彼と同じく遠くを見つめた。時代や年齢は違っても、恐らく見つめる過去は似たような状況だと分かる。
「……あとは、『リンシュガルデン』という家名について」
「…ミノーレアの娘が口走っていましたな」
「えぇ…。ただ、此方については結果が報告できます。…名鑑を見てみたのですが、現存はしていませんでした。
前世での、クレヅヒェルトでの名前だったのかもしれません。機会があれば、陛下や殿下方にお尋ねしてみたいものです」
「………。それで、閣下のもとから、姿を消すおつもりですか」
「シジルゼート少将?」
思いもよらない言葉に、ハノーニアは目を瞬いた。
シジルゼートは腕を胸辺りで組み、書架にもたれかかる。緑青の目に答えを促すようにジッと見つめられて、ハノーニアはしっかりと首を振った。
「いいえ。去るつもりはありませんよ。毛頭も。…厚顔無恥であるのは、百も承知ですが…」
「貴女はもっと図太くあるべきだ。もっとご自身に、自信を持つべきです」
「自信…ですか」
もっとも足りないものだと、ハノーニアは苦笑いに歪む顔を押さえられない。
「…例えば、どのような?」
「どのような? ハハ、おかしなことをおっしゃる。
例えるまでもありません。貴女は閣下の寵愛を受けていらっしゃるではありませんか」
言い切ったシジルゼートに、つい眉が寄ってしまった。
「おやおや、なんてお顔をなさるのですか。
…貴女は、一体何を恐れているのです」
「……何も」
「何を不安に思うのです」
「…いいえ。何も」
シジルゼートが溜息と共に笑った。憐憫が滲む微苦笑に、ハノーニアは訳が分からなくなる。そんな表情をされる理由はない筈だ。
「……閣下を、どうか…どうか、信じてさしあげてください」
「……信じて、おります」
「でしたら、もっと…。…もっと、見てさしあげてください」
「…見て、おります…」
喉が渇いて、ハノーニアは唾を呑み込んだ。けれど、欠片も潤った気がしない。
煌く水面のように美しい緑青の目から、顔をそらしたくてたまらない。
シジルゼートが口を開く前に、ハノーニアは言う。
「信じております。見ております。
……ですが。えぇですが、足りないのかも…しれません…。
………想うからこそ、好きで…あるからこそ…。…こわい、のでしょうか…。…正面から、あの方を…見ることが、できないのでしょうか…」
「…かも、しれませんね…」
微苦笑を浮かべて頷いたシジルゼートに、ハノーニアも苦笑いをこらえ切れなかった。
「そこは…ぜひともご指導くださいよ、シジルゼート少将。人生の…先達として。
…あぁでも、鷲と狼じゃ…色々勝手も違いますかね…。
あーぁ…前の私は、一体どうやっていたんだろう…。…なんて、考えても仕方ないことを、つい…考えてしまいます。探して…しまいます」
「そうですか…」
もう一度大きく息を吐いて、ハノーニアは歩き出す。
道を開けたシジルゼートが、そのまま随行してくる。
「どちらへ?」
「…閣下のところへ。
過去に学ぶのも、えぇ間違いではないでしょう。でも…なんだかもう、その時間さえ惜しい気がしてきまして…」
長い足を駆使して難なく横に並んだシジルゼートへ、ハノーニアは言う。
「残された時間なんて、流石に目のいい鷲でも見えませんでしょう?」
「?! ノイゼンヴェール様!」
掴まれた手を振り解くことはせず、ハノーニアは引っ張られるままに足を止めた。
一変して真剣というより深刻な表情になったシジルゼートが、戦慄かせた口を開いた。
「何をする気だ。何を見た」
「何も。…ほんとうです。小官が見たのは、本当に…取るに足らない日常の欠片ばかり…。
……そして。閣下に届かず、けれどお優しいあの方によって、その腕の中で呆気なく最期を迎えた……憐れな女のことだけです。
…小官は…私は、もう、そんな憐れな女になりたくありません。御免被ります。
ですから、動きます。やれることをやります。所詮、考えるほどの頭も持っておりません。ならば、足も手も、在るうちに動かさねば」
「……本当だな」
「えぇ」
「………ならば、よし。
…いきましょうか…」
とんと背中を叩かれて、ハノーニアは歩みを再開する。先ほどと同じように、再び横を歩き出すシジルゼートを見上げて、笑った。
「骨は拾ってくだいね」
「…万が一にもあり得ませんが…えぇ、拾って差し上げましょう。
欠片一つ残さず拾い上げ、組み立て直し、また閣下の御前へ押し出してあげますよ」
「鬼畜ですか」




