ヴァルプルギスの夜御前会議_3
案内されたのは談話室だろうか。応接室然としつつも、どこか親しみやすさを感じた。
相変わらずエルグニヴァルに抱き抱えられたまま、ハノーニアは彼と共にソファに腰を下ろす。少し離れた場所に腰を下ろすシジルゼートたち。目の前のローテーブルに用意されていく軽食の数々。それらを眺めたあと、ハノーニアはエルグニヴァルを見た。
「…閣下。その、重くはありませんか?」
「丁度良い」
「馬鹿。馬鹿正直。そこは軽いっていいなよ」
「嘘をつけと?」
「嘘ついたことがないって? あ、いや…なさそうだね君って。言わないことは多々あるけど。というか、言わないことがほとんどだけど。聞かれたことさえ君って答えないだろう。この自己完結の極みめ」
隣の一人掛けソファに腰かけたシュエンディルが肘をついて笑う。彼からも、再び向かい合わせに座ったノエリアからも『宵の薄明』は消えていた。
「ハトル君は今水かぶりに行ってるから。すぐに戻ってくるよ。
ちょっと心配だろうけど、もう喧嘩には発展させないから。あの子にも聞いてほしいからね…。引き続き同席を許してほしい」
シュエンディルとエルグニヴァルから視線で答えを促されたハノーニアは、やや置いて首肯する。
「よいのか?」
「はい。次があっても、お守りいたします。…必ず。
…あ、それよりも! 閣下! 閣下こそお体は? 小官、思いっ切りぶん投げました…お、お怪我は?!」
ハッとして、いくら余裕をなくしていたとはいえ今更すぎるだろうと、ハノーニアは顔を青くした。甘えて膝上にのっかっている場合ではなかったと慌てて身じろぐが、笑みを零したエルグニヴァルにガッチリと捕獲されてしまう。
「閣下!」
「大事ない。
だからいくな。どこにも」
「……はい」
諦めて体を預けたハノーニアは、口元に手を当てて目を見開くシュエンディルに気が付いて、しかし目をそらすしか出来なかった。
「見るな。わたしのつがいだぞ」
「あ、うん。ごちそうさま」
シュエンディルの生温かい視線に晒される時間は、頭を冷やして戻ってきたハトルヴァーンによって終わりとなる。
「……すまなかった。ノイゼンヴェール。…エルグニヴァル」
「ふん」
「…はい。…ですが、次は…無いことに越したことはありませんが…。…万が一あった場合、次は投げ飛ばしてご覧にいれます」
鼻を鳴らして手でもって払うエルグニヴァルに続いて、頷いたハノーニアはそう笑って見せた。目を瞬いたハトルヴァーンは、すぐさま笑みを浮かべて頷き返して来た。
「それはそれは…楽しみだと言いたいところだが、御免被る。お前とは、もう十分にやり合った…」
そっと外された紫の瞳に悲しむような悔いるような感情の欠片を見た気がして、ハノーニアはそれ以上何も言わず、ノエリアの隣へ腰を下ろすハトルヴァーンを見送った。
「さぁて、と。用意も人も整ったようだし、始めようか。第二回戦。
何から話そうね。まぁどれから話すにしても時間はかかるから、適当に摘まみながら飲みながら…と、いこうじゃないか」
足を組み、両手を合わせて笑みを零すシュエンディルは優雅だ。だのに、その形の良い唇から紡がれる言葉は時々俗っぽい。その食い違いが、良くも悪くも彼の魅力である。
「ではまず、ミノーレアについての報告を聞こうか」
ノエリアの言葉に、シュエンディルは頷いて口を開いた。
「結論を言えば、何もありませんでした」
どう聞いても含みのある言い方だった。現に、シュエンディルの顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。恐怖で内心すくみ上るハノーニアを知ってか知らずか、ハトルヴァーンが「さっさと詳細を語れ」とぞんざいな口調で促した。
「せっかちさんだねぇ、ハトル君。急いては事を仕損じる、だよ。ちゃあんと仕留めないと、根絶やしに出来ないだろう。
今言った通り、なかったのさ。なんにもね。残るべき…遺されるべきものが、なかったんだ。
さて、ここで最初のすり合わせなんだけれど…。通常、持ち主が死んだ後の演算珠、ひいては星座石はどうする? クレヅヒェルトでは浄化の後、遺体が残っていれば一緒に埋葬だけれど…。記憶が正しければ、帝国もおんなじだよね」
シュエンディルが首をかしげて見せた。回答者であるはずのエルグニヴァルは、しかし我関せずといった風にハノーニアの髪を優しくいじっている。
「ちょっと、トゥエルリッヒ。…あー、ノイゼンヴェール嬢か、もしくはシジルゼート君。合ってる? よね?」
「えぇ、はい。その通りでございます」
「少将に同じく。小官もそう記憶しております。……というより、それが国際的な決まりでは?」
星座石が魔法を使うにあたり重要な触媒であることから、この世界では宝石やその原石に当たる鉱石を扱うにおいて厳しい決まりがある。
特に、演算珠の核として実際に使われた宝石の始末においては、より一層の規則厳守が求められている。
「そう。それが普通。正しいことだ。
世界と僕らを繋いでくれた星の欠片に感謝を込めて、次へ巡ること祈り、土へ還す。まぁ、『バイカラー』の演算珠とか、浄化に時間のかかるものもあるけれど。すべからく、星座石は遺される。…はずなんだけれど、ねぇ。
おかしいよね。亡骸と、生前苦楽を共にしてきたまさに一心同体であったはずの星座石とで、ずれというか…結びつきが弱すぎるものがあったんだよ。
僕の目が悪くなったのかなぁ…なんて思って、ミノーレアでは黙っていたんだけれど」
「……死亡する直前に、それまで使っていた星座石が破損、新調されたということも、なくはありません」
シジルゼートの静かな返答を聞きながら、ハノーニアは「ア、すみません。二回ぶっ壊しました。二回」ととてつもなく気まずくなった。
「うん、なくはないね。実際ノイゼンヴェール嬢はすでに二回壊れちゃって…今三個目だっったよね」
「ハイ、ソウデアリマス。申し訳ございません」
「お前はなにも悪くはない。お前に合ったものを用意できなかったゲオルグども、ひいては帝国軍が至らなかったのだ。本当にすまなかった」
「イエ」
心を配ってもらえるのは有難いし嬉しいが、そっとしておいてもらえたら…とも思ってしまう。片言になりつつ、ハノーニアなんとか返事をした。
「そう。それで、他に考えられるのは……石のすり替え。および、使いまわし」
「……そうであったのならば、ミノーレアは国際的な非難を免れませんぞ。
あんな小国…いえ、失礼。…自分たちがどう言われているか、見られているか、ミノーレアとて分かっていない筈がない」
「『列強諸国の中庭』。『花壇』…なんて、素敵な呼び名だよね」
眉をしかめたシジルゼートの言葉に、シュエンディルが酷薄な微笑を浮かべて頷いた。
「……まぁ、今までその大きさに比べて優れた魔導師を多く抱えてきたからね。それが驕りにつながったのか、それとも別の考えがあるのか。それについては調査を継続中。
で、此処に来る前にアルス・ゲシェンクの諸報告、追加のものを見てきたんだけれど…いやぁ、あれ、やっぱりやばいよ。聖遺物? そんなきれいな言葉で包んでも包み切れないほどやばい。念のため高位魔導師で固めて調査解析したけれど…何人か、療養させなきゃいけなくなってね。『混線』…『雑音』か。もうひどい。怨讐の大合唱っていうの? ひっさびさに聞いたかもねぇ…。
姉さんもハトル君も手伝ってくれたって聞いたけれど、大丈夫?」
「今のところな」
「そう、ひとまず安心かな…。ちゃんと休んでね。浄化も欠かさずに」
「あぁ」
けらけらと笑いを交えて話すシュエンディルにも、平然と頷くノエリアやハトルヴァーンにも、ゾッとする。思わず自分の演算珠を握りしめて、ハノーニアは息を殺した。
「一人二人じゃないね。いや、二桁三桁いくんじゃないかな。年代物には間違いない。あーぁ……かっわいそうに」
「…特級越えの呪物はそうつくれまい。近頃は、ひとまず大きな戦争はなかったからな」
シュエンディルの言葉を聞いて、ノエリアが黒革の眼帯に覆われた右目を撫でた。
「アルス・ゲシェンク、およびその演算珠は引き続き保管せよ。なお、扱いにおいては超特級へ格上げとする。対処も全員『バイカラー』で当たれ。
ミノーレアも黙ってはいないだろうが…その時は、なに、代わりの石でもくれてやろう」
「御意」
命令を受け、控えていた従者と軍人が静かに駆けていく。
その靴音を見送っていたハノーニアは、視線を感じて振り向く。
「ミノーレアの話はひとまずここまで。後でまた書面にまとめたのを渡すね。
じゃあ、お待ちかね。君についてのお話しだよ、ノイゼンヴェール嬢」
「……。…はい」
ハノーニアは、自然と両手を組んだ。
胸のあたりで演算珠を包んだその手を、エルグニヴァルの手が包んでくれた。
「君も『混線』しているね」
「はい」
「でも、それは一人分…君自身だ。前世と、ひとまず呼んでおこう」
「…恐らくは。
お恥ずかしながら、自分だけでは判断出来かねます。かと言って、どなたかにご相談することも…憚られました」
「まぁそうだね。民間では古くから伝わり信じられている『混線』や『雑音』――つまりは生まれ変わりだけれど…。なかなかいい気分ともいかないものだしね。知らなくてもいいことを知っていたり、気付いたり…。…それを、狙われたりもする」
「はい…」
シュエンディルが安心させるように表情を和らげた。
「誰が…生まれ変わりやすいと思う?」
「……恐らくは、高魔力保持者。…『バイカラー』、かと」
「そうだね。『混線』もしやすい。けれど、それに耐えうる魔力も持っている。
でも、だいたいは自分自身の一人分。前世一回分が限度ってところかな」
「…であるから、彼女――アルス・ゲシェンクは……」
「呑まれかけている。今生との区別がつかない。境界が曖昧だ。お察しの通り、長くはないだろうね。
幾つも前世を抱えて、今生の自我を保つことは不可能じゃない。でもその代わりというのか、短命になる傾向だ。まるで、容量を確保するために寿命を削る…みたいに。
繰り返すのは人間だけれど…受け入れられる量は、そんなに大きくはないからね…」
「……シュエンディル殿下は、いえ…殿下のみならず、ノエリア陛下、ハトルヴァーン殿下。それに…。…エルグニヴァル閣下は……いくつ、憶えていらっしゃるのですか?」
ハノーニアはゆっくりと顔を巡らせ、最後にエルグニヴァルを見つめる。
「今、人間は繰り返すと仰いました。ならば、狼であるという陛下たちは。梟であるという殿下は。鷲であるという…閣下は。
……私は。本来ならば、幾つ憶えているはずなのでしょうか」
深呼吸をして、痛む気がする胸を押さえながら、ハノーニアは尋ねた。
「私は、どうしたら、あなたのハノーニアに、なれるのですか」
「…お前は、すでになっている。お前は、わたしのハノーニアだ」
「……本当に?」
「あぁ、本当だとも」
「――でも、不安なんだよ。好きだからこそ、ね」
「……知った風な口をきくな」
歯をむき出しにして唸るエルグニヴァルに睨まれても、シュエンディルはどこ吹く風。「おぉ怖いお顔」なんて仰け反りつつも、その口元には笑みが浮かんでいる。
そんな二人を見ながら、ハノーニアはゆっくりと瞬いた。
「……そう、ですね。
不安、です。不安で、怖くて…しかたありません。好きで、あるから。だからこそ…恐れ多くも、どうか、私を…見て、いただきたくて…。……っ」
感情から溢れた涙を見られたくなくて俯くハノーニアだったが、エルグニヴァルにその涙を吸い取られてにっちもさっちもいかなくなる。
「いやぁ、熱々ですね。
その熱々のままでいいから、聞いてよ」
「ぅ、はい…もうしわけ、ありません」
シュエンディルは「ノイゼンヴェール嬢は悪くないよー」と手を振って、続きを口にする。
「ひとつ前の世界の話をしよう。
その時、ノイゼンヴェール嬢はクレヅヒェルトで生まれて、育って、『バイカラー』として、『宵の薄明』として、狼として、この国になくてはならない存在だった。
そこで、トゥエルリッヒのご登場だ。何処でどう見初めたかは省くけれど、まぁあの手この手を使って君を捕まえてねぇ…。婚約までやっちゃうんだよね」
あまりのことに、ハノーニアは言葉が見付からない。涙も止まった気がする。
シュエンディルが大きくため息を吐いた。
「やー、ひどかった。ひどかった。なんにもなければ僕のお嫁さんだったのに。下手な皇族よりもやばい君が相手だもんだから、結局なっちゃうし。なっちゃったし…。ノイゼンヴェール嬢――ハノーニアも、まぁまんざらでもなかったみたいだったからね。
幸せになるんだったら。今度こそ、幸せになれるんだったら…。…なって、欲しかったよ。本当に、心から。
――ねぇ、トゥエルリッヒ」
肘掛で頬杖をついたシュエンディルから、激情が滴る声が放たれた。
「…分かってる。分かってるんだ。君たち自身に恋だ愛だがあったとしても…あぁ周りもそうだとは限らない。分かってる、分かっていたんだ。それでも、今度は…今度こそ…。……そうして、ここまできてしまったよ。
君は――ノイゼンヴェール嬢は、帝国内乱に利用された」
「………そうでしたか」
「その顔だと、やっぱりもう見ていたみたいだね。……見てほしく、なかったなぁ」
苦く笑ったシュエンディルに、ハノーニアも苦笑して首を振った。
「そのお気遣いだけでも、大変嬉しく思います…」
「ありがとう…。…なんて、言う権利もないんだけれどね。僕も、君を利用したから。クレヅヒェルトを守るために」
「…はい。当然です。
当然です。軍人、だったのでしょう。軍人だったのですから…国を守ることが使命です。
……使ってください」
「…ハノーニア」
エルグニヴァルに笑いかけ、ハノーニアは正面に向き直る。
「使ってください。今生でも」
諦めと嬉しさに似た何かがない混ぜになる。それが微笑みとなって、言葉と共に零れた。
「お使いください。この身、この命…私には、これだけしかありません。これしかありません。
お使いください。
……ですから、どうか…。…どうか今生も、幸せな夢を見ることをお許しください」
少しだけ勢いを付けて、ハノーニアはエルグニヴァルにもたれかかる。
「春を夢見ることを、お許しください」
琥珀の目を閉じて、心から祈った。
「夢で、よいのか」
「えぇ」
「夢のままで、よいというのか」
「はい」
擦り寄せられたエルグニヴァルの唇が、肌を滑ってくすぐったい。
「恋は盲目、なんて言葉もありますしね」
エルグニヴァルからの返事はない。
代わりに、ノエリアから号令が下った。
「帝国生まれの、帝国育ちの狼よ。そなたの願い、この魔女王が叶えてやろう。
その代わり。その身、その命、捧げよ。せめてもの情けだ。その心は、憐れな黒鷲にくれてやれ」
目の開けたハノーニアは立ち上がろうとして、やはりエルグニヴァルによって阻まれる。笑いが零れて、湧き上がる感情のまま、その秋空色の目元へキスを贈る。
「御意。
グランデム・ヴォルフォツェールの御心のままに」
あまたの視線を集めながら、ハノーニアは宣誓する。
するりと紡がれた言葉や既視感は、気のせいだと鼻で笑い飛ばしてやった。




