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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
20/50

ヴァルプルギスの夜御前会議_2


 ノエリア曰く化けの皮を脱いだエルグニヴァルは、それはもう不機嫌そのものの顔だ。


「…か、かっか?」


 ハノーニアはガクブルしながら伺い見れば、秋空の目と視線が合い、そして髪と同じ朽ち葉色の眉がやんわりと八の字を描く。


「すまぬ。お前を怯えさせるつもりはなかったのだ」

「え、あ…は、い…」


 そぉっと伸ばされた彼の手に頬を撫でられていれば、向かいに座るノエリアから笑い声が聞こえた。


「女王、陛下?」

「っく、すまん。いや…ふふふ、ああだめだ。これが笑わずにいられるかっ」


 ついに、ノエリアは肘をつき片手で顔を覆ってしまう。しっかりとした肩が震えるほど笑う彼女を、ハノーニアは見詰めるしかない。


「あぁ、随分と人間らしくなったな。トゥエルリッヒ」

「…魔女王たるお前が言うのならば、そうなのだろう」


 エルグニヴァルの溜息と共に紡がれた言葉に、ノエリアは紫の左目をそっと細めて頷いた。


「私の末の子は、やはり可愛いだろう」

「お前の子であろうとなかろうと、可愛いだろう。

 そも、お前の子ではない。わが帝国(領土)で生まれた、わが血肉を持った、わがつがいだ」

「ほぉう…」


 紫の隻眼がするどく細められた。殺気ではないけれど、ぐぅっと重みを増した威圧感に、ハノーニアは反射的に身構えそうになる。


「…諦めてはいなかった、か」

「諦める? ハッ、何をだ?

 これは、わたしのものだ。はじめから、さいごまでな」


 鼻でわらったエルグニヴァルに抱き寄せられて、これっぽっちも予想していなかったハノーニアは倒れこむように彼の胸元に納まる。

 目を白黒させているうちに、額や米神、目元に頬と、彼方此方に口付けを落とされた。ついばむように軽やかでささやかなキスだ。

 それでも、ハノーニアの体温を急上昇させるには十分過ぎで。ひいては、ノエリアに微苦笑を浮かべさせ、彼女の後ろに控えていた青年を怒らせるのにも十二分だったらしい。


「図に乗るのもいい加減にしておけよ、黒鷲」

「ハトルヴァーン」

「しかし母上、いえ、陛下」


 青年――ノエリアの実子であるハトルヴァーン・エクゥート・ヴォルフォツェールは、怒り心頭といった剣幕でエルグニヴァルを睨み付ける。元々釣り目で且つ背丈もある彼の威圧感は、言っては何だが普段から半端ない。であるのに、眉間に深いしわを刻み、歯をむき出しにして、唸り声さえ聞こえてきそうな今の姿は、まさに狼を思わせる。


(……いや、私にこんな威圧感絶対出せない!)


 狼の『飛び血』だと言われたことを思いだしたハノーニアだが、やっぱり何かの間違いだろうと心の中で首を振る。

 それよりも。エルグニヴァルを守らなければ。過去――それこそ前世――で何があったかは知らないし、思い出してもいないが、背に庇うのが誰であるか、それくらいははっきりしている。


「! ……それを庇うのか、ハノーニア」

「はい。ハトルヴァーン殿下、いえ、今は准将とお呼びした方がよろしいでしょうか。

 小官は、帝国生まれの、帝国育ちであります。したがって、掲げるは双頭の鷲…。…三つ目の狼でも、三つ目の梟でも、ありません」


 エルグニヴァルの腕中からそっと抜け出したハノーニアは、彼を背に庇いながら、ハトルヴァーンから視線を外さずに答える。声も体も震えているかもしれないが、この際仕方ない。格好なんて気にしている余裕なんて欠片もないのだ。


「…お前は、お前は狼だ」

「かも、しれません。しかし。繰り返しになりますが、小官は、帝国で生まれ、育ちました。手を差し伸べてくださったのは帝国です。その帝国の手を取ったのは、他ならぬ、小官です」


 ハトルヴァーンの眉が苦しげに歪められた。痛みに耐えるような呻き声が、彼の口から洩れる。


「……またか。また、なのか」

「? 准将、」

「また、お前は鷲に殺されるのか! その心まで、無残に食い散らかされるのか!!」

「!?」


 ハトルヴァーンの叫びに、ハノーニアだけでなく、控えていたシジルゼートたちも身構えた。雷光のようにほとばしる彼の魔力に、ハノーニアは『バイカラー』となる。


「ハトルヴァーン、やめなさい」

「何故です、陛下。陛下とて、母上とて! 幾度となくお心を痛めていたではありませんか!」

「そうだ。だが…あれは、あの子も了解の上でのことだ。あの子も望んでの…結果だった」

「では、今は! 今は、どうだというのです!!」


 ハトルヴァーンの『宵の薄明』――自分とそっくりな目でギッと見詰められて、ハノーニアも力いっぱい見つめ返した。


「夢見のすべさえ知らず、教えられず、見ては忘れ、忘れては見…徒にすり減っていく寿命を、指をくわえて見ていろと。そう…仰るのですか…」

「…それは、いったい――ッぇ!?」


 どういう意味だと問おうとして、ハノーニアはまたもやエルグニヴァルに抱き寄せられた。


「か、閣下!」


 エルグニヴァルの『明の薄明』と視線が絡んだのは一瞬で、すぐさま彼の肩へ押し付けられるように顔をうずめることになった。耳を塞ぐようにまわされたエルグニヴァルの手を咄嗟に掴んだハノーニアだったが、引きはがすことに一瞬迷った。

 その一瞬で、バチリ!と音を立ててハトルヴァーンの魔力が弾けた。

 どんな言葉が、どんな行動が最もハトルヴァーンの怒りを招くのか、きっとエルグニヴァルは分かっている。分かっているが、気にも留めていない――気にする必要も価値もないのだろう。


「鷲など食うに及ばずと思っていたが、訂正だ。今すぐその首、二つ揃えて噛み千切ってやる!!!」

「ハトルヴァーン!」


 ハノーニアは、今度は迷わない。躊躇いもしない。

 『バイカラー』で強化した反応速度でもってエルグニヴァルをシジルゼートたち目掛けて投げ飛ばし、ハトルヴァーンと対峙する。武器を取り出す動作さえ惜しい。掴みかかろうと伸ばされた手を、此方から掴んでやった。途端、かかる力で肉も骨もミシミシと軋む。

 歯を食いしばりながら、ハノーニアも負けじと力の限り爪を立てた。

 同じ『バイカラー』であるけれど、基礎値が違う。体格も、ハトルヴァーンに軍配が上がる。踏ん張る足が後ろへ滑るのを感じて、唸り声が上がった。


「それを、庇うか、ハノーニア!!」

「庇い、ます、守り、ます!!」


 ハトルヴァーンの顔に苦悶の表情が浮かんだ。ハノーニアは地面を蹴り上げ、跳びかかる。

 無意識に、口を開いた。限界まで開けた口でもって、ハトルヴァーンの喉元目掛けて噛み付く。が、すんでの所で投げ飛ばされた。


「グッ!」

「ッ」


 整えられた芝生の上はよく滑る。

 受け身から素早く体勢を整えて飛び起きたハノーニアは、獲物を捕らえそこなった自分の口元を押さえる。うるさい心臓は、強者ハトルヴァーンと対峙したためだろう。つい今しがた自分がとった獣然とした行動に、血の気が引く気がした。

 それでも、ハノーニアは構える。腰を落として身を低くし、いつでもハトルヴァーンへ跳びかかれるように。彼の視線も意識も、エルグニヴァルから外れて自分へ向いているが、安心など出来ない。

 ハトルヴァーンの『宵の薄明』がそっと細められる。


「…お前は、狼だ。梟でもなく、狼だ。鷲ではない。鷲にはなれない」

「………」


 ハトルヴァーンの言葉に、ハノーニアは答えない。答えることが出来ない。

 分かっていると頷く覚悟も、分からないと首を振る勇気も、なかった。

 これから生まれるのだろうか?ただ、それを待つ時間があるとは限らない。だって、この世界には銃も剣もある。軍人兵士だっている。おまけとばかりに、魔法なんてものもある。前世よりももっとずっと、死というものは身近だ。

 ハノーニアは、一度ギュッと目を瞑る。


「……それでも。それでも、私は…この方と、共に…在りたい…。

 ………そう願うことすら、夢見ることさえ…愚かでしょうか。罪、でしょうか」

「………」


 今度は、ハトルヴァーンが押し黙る番だった。

 庭に沈黙が降りる。

 静寂の支配を打ち破ったのは、羽ばたきのような衣擦れの音だ。


「……かっか」


 ハノーニアは、傍に降り立ったエルグニヴァルにそっと抱き締められた。

 彼の羽織るロングコートの中へ引き寄せられながら、向こうでシュエンディルによって芝生の上に組み伏せられたハトルヴァーンを眺める。


「遅い」

「これでも急いで帰ってきたんだけれど。

 うんまぁ…すこーしばかり遅かったかもね。ごめんね、ノイゼンヴェール嬢。ちょーっと、甥っ子が血気盛んで…。

 あぁ姉さん。ただいま帰りました」

「あぁおかえり、シェーデ。お使い、ご苦労だった。ありがとう」


 一般家庭と見間違うようなのんびりしたやり取りに、息と共に力が抜けていく。

 抱きかかえてくれるエルグニヴァルの体温が無性にほしくて、ハノーニアは身を寄せた。


「にしても、ハトル君使ってのショック療法…なんて…らしくないねぇトゥエルリッヒ。存外、焦っているのかな?

 仕方ないさ。寿命が違うんだもの」

「黙れ」

「黙らないよ」


 ハトルヴァーンが余計な動きをしないよう部下を配置したシュエンディルが、瞬きの内に『宵の薄明』へと目を変えて此方へ歩いてくる。


「君もいい加減見なよ」

「見ている」

「へぇ、何をぉ?

 僕言ったよね。珍しく忠告したよね、この僕が。『折角、おなじ言葉をもって生まれたんだから』って。

 胸の内に仕舞って大事にするのもいいけれど、出してあらわしてあげないと…分からないよ? 誰も君じゃないんだから」


 シュエンディルが『宵の薄明』でエルグニヴァルの『明の薄明』を覗き込む。


「わたしが分かっていればいい。

 それに、自分自身でも分からぬことを、他のものが分かるとでも」

「そうやって決めつけてきたのが、溜まりにたまって、今生でつけを払うことになってるんじゃない? 他ならぬ、君の可愛いかわいい――」


 そこで言葉を区切ったシュエンディルが、そっと此方へ視線を向けてきた。思ったよりも柔らかい『宵の薄明』を、ハノーニアも静かに見上げる。


「――ハノーニアが」


 力強くエルグニヴァルに抱き締め直されながら、ハノーニアはゆっくりと瞬く。


「…私は、…小官は、一体、何をお支払いすれば、よいのですか?」

「ハノーニア…」

「どうすれば、私の願いは許されますか。どうしたら、夢を見続けることが、できますか」

「ハノーニア」

「閣下。…閣下…。どうしたら…あの悪夢を、殺すことが出来ますか?」


 エルグニヴァルを真っすぐに見つめて、ハノーニアは口を開く。


「どうしたら、私は…貴方の喉仏ここにつかえたりんご目掛けて喰らい付かずに済みますか」


 襟から覗くそこを指でなぞれば、エルグニヴァルがぴくりと震えた。反射だろうが、なんだかその仕草が可愛くて、嬉しくて。

 ハノーニアはわらってしまった。

 あどけなくも残忍さが滲むその微笑みは、しかし、すぐさまエルグニヴァルによって覆い隠されてしまう。


「あ、ほらまた隠す」

「黙れ」


 コートに包まれて見えないが、風を切る音とシュエンディルの笑う声が聞こえた。少し離れた彼の気配からして、エルグニヴァルによって払われたようだ。


「ふ、ふふふ。あははははは。あ~、おかしい。

 おかしいよ、トゥエルリッヒ」

「貴様には負ける」

「おやひどい」


 体が揺れて、エルグニヴァルが立ち上がったことを感じる。思わずしがみついた拍子に顔が外に出て、目が合ったシュエンディルに微笑まれた。ハノーニアは、何も返せない。


「さて、風も出てきたね。

 お土産話もしたいし、中でお茶会の続きといこうじゃないか。

 よろしいでしょうか、陛下」

「そうだな。そうしよう」


 ノエリアが微苦笑を浮かべて頷いた。それを合図に全員が動き出す。


「逃がしてあげられなくて、ごめんね」


 シュエンディルのそんな囁きが聞こえて、ハノーニアは大きく呼吸した。


「……いいえ。

 逃げても、しかたありません。…まぁ…逃げた先に、閣下がいるのなら、話は別ですが」


 なお一層強まった腕の力に釣られるようにして、ハノーニアはエルグニヴァルを見つめた。

 淡く灯る『明の薄明』を見開いていたエルグニヴァルが、次いでとろりと目を細める。


「ならば…逃げるか、二人で。世の果てまで」

「それは…素敵ですね、とっても」


 鼻先を寄せ合って微笑む二人の背後で、ステンドグラスの扉が閉められた。


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