スーザン
何もない空を指差す理楊。
バーミンには理楊が何を言っているのか理解出来なかった。
まだ何かやる事があると言ってフクニーグが持つ事すら出来なかった鉄球を大きく振りかぶる。
「う~ん..当たるかな?アタシこういうの得意だから大丈夫だと思うけど.....」
理楊は綺麗な投球フォームでスッと左足を折り曲げ、体を開きながら左足を一気に落とす。
その際に体は軸を保ったまま体を捻り、鉄球を持つ右手は腕だけで鉄球を投げるのでは無く体の動きに合わせて全身の動きで投げるようにした。
その際に予め鉄球に造っておいた溝で指を引っ掛けるのを忘れてはいけない。スピードも上がるし、何よりこの指先の動きで投げたい場所をコントロール出来るからだ。
理楊がこの投球スタイルになったのは、経験上一番速度と威力があり、的を射るのが最も正確であるからだ。
そして理楊の指から放たれた鉄球はドンッと大きな音と共にヒューと風を裂いていきながら遥か上空へと飛んでいった。
「あっ...これなら大丈夫そうだね?」
「あの..理楊ちゃん...?何やってるの?」
何かを確信した理楊がカッツポーズを決めているので単純に疑問に思ったバーミン。
「え?何って空にいるあれじゃんアレ!」
「......アレ?」
「え?見えないの?まあ時期に分かるかもね?結局何処に落ちるか分かんないし。」
「え?どういうこと?」
バーミンの疑問は晴れてはいなかったが、理楊はバーミンの疑問より「うおおおお!」と叫びながら今も痛がっているフクニーグの方へ近寄っていった。
そして手をかざすと何もない所から小瓶が出てきて、この小瓶に入った液体をフクニーグに飲ませた。
するとーーー。
「...うお?痛くねぇ?なっ...どうなってんだ?」
フクニーグは理楊から渡された鉄球で潰された手の痛みが全く無くなったのを感じた。
まるでそれは賀露島が使っていた大容量ポーションのようだった。
「おい理楊!お前もしかして賀露島と同じポーションが使えるのか!?」
「おいフクニーグお前!?」
「あっ....」
賀露島の名前は理楊にはタブーだ。理楊は賀露島の事を自分自身考えないようにしている。
賀露島の名前を口に出した日には信頼関係を築いているフクニーグの言葉でさえ聞こえなくなる。そう誰にも止められない。
フクニーグ達は彼女のこの状態を賀露島から聞いた言葉を用いて、こう呼んだ。
ーーヤンデレモードーー
「......おっ...」
急に雰囲気が暗くなる理楊。下を向いたまま動かない。
フクニーグ達は息をゴクリと飲み込む。
「「.....おっ?」」
「おっ....お兄ィィィィィィィやぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
今までは力を抜いていたと言わんばかりに殺気を振り撒く理楊。ドドドドっと音が聞こえてくる程に。まさにこれはーーー。
ヤンデレモードだ。これはもう止められない。しかもこのモードは厄介な事に賀露島に会わない日が増えるごとに益々それは増していく。
「おっ..お兄ヤンは何処?ねぇ!お兄ヤンは一体何処にいるのォォォォォォ!!」
目の色が真っ黒く染められる。賀露島が近くに居ない事に顔を青ざめているのか理楊の顔が少し青い。
「...あっ...お兄ヤン..今すぐ貴方を舐めたい...貴方を血の味を飲みたい...貴方の肉が食べたいィィィィィィィ!!」
理楊の咆哮が響き渡る。その声は風を乗せてどこまでも行く。
その風圧は2キロは離れていた建物のガラスが次々に割れていく。
フクニーグ達は理楊が咆哮を上げた時、フッと意識が遠退いていった。理楊の殺気にある程度は耐えれる用にはなっていたがヤンデレモードは別だ。
明らかに力が増している理楊。先程の正常な時よりも明らかに強くなっている。
彼女の中で何かが増しているのだろう。何かの補正だろうか?
いや補正と呼ぶには明らかな異常バフだろう。元々強い理楊の能力アップが補正と呼べるのだろうか?
しかし今の理楊は正常時の3倍は上がっているのだろうか?まるで弱さをヤンデレモードで補ってるような能力向上は補正と呼ぶしか無いだろう。
覚醒と呼ぶには些か違う気がするし、理楊の基準がフクニーグ達と同じ基準とは違う。フクニーグ達には異常な能力向上に思えるかも知れないが理楊にとっては、ただの補正なのかもしれない。
「...わっ分かんない...お兄ヤンの匂いがしない.....近くに居ない?.....なっ..なんで?なんで!なんで!なんで!なんで!なんで!!」
理楊の圧に呼応するように地面が微かに揺れ動く。
ズズズズズッと地面が揺れる中、彼女を中心に空間が歪み出す。
「驚きでありーすね...これ程の力があるのであれば...ですが扱うのは難しそうでありーす....」
雨が降っていないのに赤い傘を差す女が1人理楊に近づいていく。本来なら今の状態の理楊に近づくのは危険すぎる。
しかしそんな女を止める者が誰もいない。そう理楊の殺気で皆気を失ってしまっているからだ。
「あっ...ちょっとそこの女?お兄ヤンって今何処にいるの?」
女が瞬きをした瞬間に一瞬で女の前に移動した理楊。
そんな理楊に驚く事もなく傘を今も差し続けている女は溜め息を1つ吐き出すと理楊の手を傘を持っていない方の手で握った。
すると女はニッコリと笑うと笑顔で答える。
「その人なら貴方のすぐ後ろにいるでありーすよ?」
そう言って振り返る理楊。すると本当に理楊の後ろに賀露島が立っていた。
「え...?お兄ヤン..?いつの間にアタシの後ろに居たの?」
「そんなのずっと前から理楊ちゃんの隣に居たに決まってるでしょ?僕が理楊ちゃんと離れる訳がないじゃないか?」
キラキラした顔で笑う賀露島に理楊は暑くなる顔をなるべく冷やす為に両手を頬に付ける。
そして急に抱きついてくる賀露島はそのまま理楊を抱いたまま地面に理楊ごと倒れこんだ。
「ごめんよ理楊ちゃん?少し寂しい思いをさせちゃたね?理楊ちゃんはもう頑張ったから寝てもいいよ?」
「おっ...お兄ヤン.....だいしゅき....」
頭を賀露島に撫でられる理楊は徐々に目が細くなっていき、頭をコクンコクンとうなだれ始める。
そして理楊は幸せそうな顔をしながら眠りに着いた。
「さて...取り敢えずこんな感じで良いでありーすね?」
女は可愛い寝顔の理楊を見下ろしながら、その場を去ろうとした。
勿論賀露島が都合良く理楊の後ろにいるわけがない。理楊は女に幻覚を見せられていた。そして偽りの賀露島との再開で癒された彼女は安心して眠りに着いていた。
何とか理楊を眠らせる事に成功した女はその場を後にしようとした。
するとーーー。
「あらあら~流石4獣神の1人である方ですね~。この娘を簡単に手玉に取ってしまうんですからね~。」
突然現れた桜色の巫女服を来ている別の女が話しかけてきた。
その別の女は南朱の巫女ハルであった。
「..ウフフ....ハルでありーすね?久しぶりでありーす...。ちゃんと南朱の巫女としての仕事を全うしているでありーすか?」
南朱の巫女であるハルに一礼する女。礼を済まして顔を上げると女はニヤニヤとハルに笑顔を向けていた。
「あらあら~...ソッチの方はお陰様で大丈夫ですよ~?...そんな事よりも、そろそろスーさんの企みを教えて頂いても宜しいですか?」
話を切り替えるハル。スーさんとハルから呼ばれる女は笑顔で答える。
「ハルに教える事は無いと思ってるいるでありーす...。それに....」
女は傘を畳むと急に薄い手袋をしている彼女の手が震えだした。
「見てのザマでありーす。手玉に取る所か、手の震えが止まらないでありーす。」
女はハルに震える手を必死に抑えようとしているのを笑いながら見せてくる。
女とて実は理楊の殺気で恐怖状態にあったのだ。
「あらあら~そういう事なんですね...傘を差していたのは、そういう事でしたか。」
恐らく女が傘を差していたのは恐怖で震える自分を相手に見せないように傘に幻覚魔法を掛けて、自分自身に幻覚を掛ける事で平常な姿を見せていたようだ。
「あの小娘相手に最弱のアッチでは相手にならんでありーすよ。」
ハルはスヤスヤと眠る理楊を見る。かつてハルも理楊とは会った事があった。
その時は敵同士では無かったが初めて彼女を目の前にした時は体の底から震え上がったのを覚えている。
圧倒的な力量差。ハルの能力を使えば戦えなくは無いだろうが、体が上手く動かないので果たして勝負になるのだろうか?
しかしそんな理楊を女はそれを平然と眠らせた。特に何かをするわけでもなく。ただ理楊の手を握っただけだ。
「....一体何を企んでいるんですか...スーザンさん?」
スーザン。4獣神の朱雀。
南朱の巫女であるハルの主。
スーザンの特徴は恐ろしいまでの幻覚魔法能力である。
4獣神としては大した魔力、耐久力、速度は持ち合わせていない。ヘタをすれば人間族にすら勝てない。故に巫女の間でも最弱の4獣神と呼ばれている。
だが最弱であるからとは言え決して雑魚という訳ではない。彼女の幻覚魔法は相手の脳に直接掛けられる。
発動条件は対象者をただ認識するだけでよい。勿論効果範囲に限界はあるが、その範囲は誰も知らない。
だが対幻覚耐性が高いものには条件次第では失敗する事もある。故に理楊には触れる必要があった。
それでも巫女以下レベルの耐性であれば難なく成功出来る。
「だから言っているでありーすよハル。貴方に教える必要は無いでありーすと。っと言うよりは答えられないんだけどね?だってアッチは知らないんだから....」
「あらあら~...何処までも強情ですね?...なら何としてもスーザンさんを止めるしかないですね?」
ハルは拳を上げる。そして何もない所で拳を振った。
しかしなにも起きない。何もない所で拳を振ったので何もない起こる筈はない。
何も知らない者からすれば何をやっているんだと笑うのだろう。
しかしハルの能力上この動作で攻撃は成立していた筈なのだ。故にハルは1つの考えに至った。
「...あらあら~..また駄目だったみたいですね.....」
ハルは自分の頬を叩く。すると先程まで目の前にいた筈のスーザンの姿は無かった。
そうハルが会話をしていたのは本体のスーザンでは無く彼女の幻覚魔法によってハルの頭の中で造り出されたスーザンだった。
そうか。なら知らないのは当然だ。ハルの頭の中で造られたスーザンが本当のスーザンが企んでいる事なんて知るわけがない。
初めからハルはスーザンとは会話をできていなかった。
だが彼女はそう遠くには行っていないだろう。身体能力は普通の一般的な人間族と変わらないからだ。
どうせ何処かの建物にでも隠れているの筈だ。しかし探す手段がない。
探知結界を出した所で彼女は探知出来ないのだろう。いや...探知と言うよりは認識出来ないと言った方が良い。
先程も言ったがスーザンの幻覚魔法は自分が対象者を認識さえしてしまえば対象者に無条件で幻覚を見せる事が出来る。
探知結界にスーザンが入っていたとしても脳が彼女を認識しないように幻覚を見せれば、彼女はハルに見つからないのだ。
要するに探すだけ無駄であると言うことだ。
「出来れば話し合いでお話しして欲しかったのですが...致し方ありませんね?次は実力行使ですから...」
ハルは覚悟を決めて拳を強く握りしめる。
「ですが取り敢えず...この方達を運びましょうか?」
ハルは理楊の殺気で気絶しているフクニーグ達をここに来る途中の道に置き去りにされていた馬車まで運ぶ事にした。
ちょびっとだけ能力の補足。
スーザンの幻覚魔法は認識すれば、相手が何処に居ようと能力範囲内であれば対象者に幻覚を見続ける事が出来ます。
因みに範囲外に対象者が出てしまうとその対象者は認識外となるので、また範囲内で対象者を認識しなければならない。
因みに彼女の能力こんなもんじゃありませんよ。




