結ー9-
「……巫山戯んな」
拳を握り締め、睨み付けた相手との距離を詰める。
必要な事をただ成しただけだと、そうやって勝手に関係性を決めつけて、相手がどう思うのかを無視して。一方的な配意が時として拒絶と同義であると知りながら、強固な一線を引こうとする。
そんなもの、こちらから踏み越えてやる。
大股で歩み寄れば空白など瞬く間の内に埋まり、伸ばした手で宵は、その胸倉を掴み上げた。
「仁、お前な! あれだけの事をしておきながら、他人です、なんて顔出来ると思うなよ!」
そういえば、今朝もこんな風にして詰め寄ったのだと、沸騰した頭の片隅で冷静な自分が囁く。
けれど、あの時とはぶつける怒りの種類が明らかに異なっていた。
「神座の森の奥に消えていった背中を、俺達がどんな思いで見送ったのか。ただ護られて、安全地帯で傷を癒して、冠位授与の祝福を受けて」
魔除けの色を纏った赤壁の内側で、自分達は大した傷も負わずに他の見習い達と喜びを分かち合っていた。錬士として刀を持てた誇りに浸り、護る力の高揚感に酔いしれていた。その陰で、自分達から最も遠い所にいたはずの彼女が深い傷を負っていることなど、知る由もなく。
「竜魔の爪を受けたと聞かされた時、俺達がどれだけ後悔したか」
全ては命を懸ける覚悟をもって試練に臨んだ者達の強き意志を守る為だったと、それならば何故、そう言ってくれなかったのか。
「何でも独りで考えて、独りで行動して。一人、怪我をして……」
事実、彼女は一度だって右手を使っていない。あの森で自分達を救った短刀を扱っていたのは確かに右手だったのに、髪を撫でてくれたのも、流れ落ちた雫を掬い取ってくれたのも、左手だった。
「俺達の怒りとか、戸惑いとか、心配とかさ……ちゃんと、受け止めろよ」
本当は、その傷を、責を負うべきだったのは、自分達のはず。確かに、意志を貫き通すだけの代償は払ったのかもしれない。ただ、そこに付随してくる想定外の償いも、自分達が払う必要があったはずなのだ。
決して、目の前にいる異端者が怪我を負った事を、仮令それがどんなに相手の独断的選択で、謝辞さえ求めていない配意だったとしても、仕方がなかったのだと、納得してはいけないのだ。
「全部、一人で背負おうとなんてするな!」
激情に任せて言葉にして、宵はようやく荒々しく燃え盛る焔の意味を明確に識る。
あぁ、ようやく解った。自分は――自分達は、悔しかったのだ。もどかしかったのだ。
哀しかったのだ。
鉄の一線を引いて、決して縮められない距離を置いて。孤独な相手に伸ばした手が届かない事が。
哀しくて、仕方がなかったのだ。
でも。
「独りだなんて、思うなよッ!」
この手は確かに目の前にいる仁を掴んでいる。決して届かないと思っていた存在に、ようやく触れられた気がした。
間近で睨み下ろして、その碧色の瞳と対峙する。ゆっくりと瞬きが繰り返されて、それだけでは、形にした思いが彼女に届いているのか正直解らない。ただ、掴んだこの手だけは、決して離さないと決めていた。
望月に照らされた夜の静寂が耳に痛い。どれだけの時間を費やしたのか、交錯していた視線は相手側から外される。零された吐息は夜の空気を震わせ、やはり、言葉は届かなかったのかと。
「なら、これ」
無力感に囚われそうになった宵は、軽く掲げられた物を自然と視界に収めた。
「玻綾に返しておいてくれると、助かる」
腰に佩いていたのか。宵達は気付かなかったが、仁の左手に持たれていたのは刀で、その鞘の施された竜胆の意匠には見覚えがあった。あなたの悲しみに寄り添いましょう――常に他者を気遣い、姉御肌な準師範の姿が脳裏に蘇る。
仁が言った通り、その刀は玻綾の物で違いなかったが、しかし何故、彼女がそれを持っているのか。問うたところで、果たして答えてくれるだろうか。
「借りたのはいいけれど、破魔の輝きを取り戻すには一度研ぐ必要があった。片手だと案外時間がかかってしまって。返しそびれた」
だから、自分の代わりに返してほしい、と。
こちらが敢えて質問しなくても、その答えをくれる。それは、少しだけ彼女との距離が縮まったのだと、思ってもいいのだろう。




