表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/39

結-8-

 伸びてきた手、頭を撫でられて、その温もりには覚えがあった。どうしても掻き消せない絶望の淵から、そっと優しく掬い上げてくれたもの。

 焦点を結んだ先に、静かな微笑があった。

「もう、大丈夫」

 紫水晶の瞳を瞠る。瞬きも忘れて見遣る、その微笑みは慈しみを深くし、春の日差しの様に優しくて。

「宵」

 その声はまるで、風のよう。宵の心を吹き抜け、そこに檻のように沈殿していたあらゆる感情を攫っていく。その耳朶を、軽やかな音が叩き、それは、髪を撫でていた手が自分の腰に佩いた刀を叩いた音だった。

 恥ずかしいとは、思わなかった。

 透明な雫が頬を零れ落ち、それが涙であると、認識した時には止まらなくなっている。ただ静かに泣き続ける宵に代わり、その雫を拭った手は月明かりの下で更に青白く映った。

「臣、悪いと思うのなら、もう二度と、生きる事を諦めないことだ」

 何故自分が泣いているのか、宵自身もきちんと理解はしていない。ならば事態を見守っているしかなかった紫溂達四人の困惑は一入(ひとしお)だろう。その中で唯一、理由も意味も理解している臣へ叱責が飛んだ。

「目の前で大切な人を失う痛みを知る君が、その与え手になってはいけないよ」

 決して、声を荒げた訳でもない。その平坦な声音が揺れた訳でもない。ただ静かに、諭すように紡がれるそれを、臣は聞く。

 ――尤も、私も人の事は言えないけれど。

 夜の気配に溶ける様に落ちた呟きは今は意識に残らず、黒縁眼鏡の奥の瞳はとめどなく流れ落ちる涙を拭う宵を映し出す。

 そういえば、この友人が泣く姿は、随分と久し振りに見た気がする。涙は弱者の証、だからもう泣くまいと、そう誓った横顔はまだ幼さを残していた。

 臣は、無意識に手を伸ばしていた。あれ程厭った涙を流し続ける宵の頭をそっと撫でる。高見の姓を名乗る前、二人で寄り添うようにして生きていた時のように。あれから時が経ち、随分と精悍な青年へと成長し、今では命を預ける相棒となったが、臣にとってはいつだって、弟のような存在だった。

「ごめん」

 そんな彼を、ここまで追い詰めたのは、自分だ。

「もう絶対、諦めないから」

 どれだけ時を重ねようとも、身長差は変わらない。自分を見上げてくる泣き腫らした目に、臣はにこりと笑った。

 臣が眦の雫を拭う、それを最後に宵の涙は止まる。そこでようやく気恥ずかしさが沸いてきたのか、未だ宵の頭を撫でている手を些か乱暴に払われた臣は、その紺色の双眸を瞠ったのち、すぐに破顔した。一度は払われた手で再び、今度はかなり乱暴に頭を撫でれば、露骨に嫌そうな顔をして宵は振り解こうとする。それは兄弟がじゃれ合っているかのようで、微笑ましい光景についつい和んでしまい、危うく本来の目的を忘れるところだった。

 くすり、と。仄かに零された笑い声は心地よく耳をくすぐり、その主は既に、母屋に落ちた薄闇に紛れようとしていた。

「仁!」

 今が何時であるかも忘れ、思わず、その背を呼び止める声は大きくなる。

 意識の片隅で無視されるのではないかと危惧したが、彼女は歩みを止めてくれた。緩慢に振り返り、闇の中でも煌めきを失わない碧色が問う様に見据えてくる。その強い視線を涙の名残がある瞳で、宵は正面から受け止めた。

「助けてくれた事は礼を言う。有難う」

 世界は容易に裏返る。あまりにもそれは突然で、その性急さに置いていかれた心はようやく現実に追いついて、こうして頭を下げる事に躊躇いは既にない。

 胸の前で右手の拳を左掌に当てたまま低頭する宵に、臣達も倣う。

 その頭上から、冷めた声が落ちてきた。

「助けた訳じゃない」

 突き放すようにも聞こえる淡泊な言い様に、心がざわつく。頭を上げ、投げた視線に籠めた険に気付かないはずがないのに、その表情はやはり、動くことなく。

「代償を払ったのは君達自身で、私はただ、契約の履行を守っただけ」

 だから、礼はいらない、と。

 それはいっそ、冷酷に聞こえる程に。何処までも事実のみを語り、感情の介在する余地を排除した物言いが、だから。

 どうしようもなく、苛立つのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ