結ー5-
三つ指をつき、一礼する背は、そこに刻まれた穢れを思わず失念してしまう程に凛と伸びて美しい。扉が開けられ、凍えた空気が室内に一気に流れ込む。
「仁」
初冬の風に晒され、それでも震えぬ背を、硬質な声が追ってきた。
「お前は、人間だろう」
射抜くような久賢の視線を、肩越しに振り返った仁はただ静かに受け止める。流すのではなく、ただそうあるものとして認識するのでもなく、確かに彼女は、久賢の感情を、端的な言葉に含まれた意味すらも、認知していた。
妖とは、人の理解の及ばぬモノ。時として人に仇名し、討伐するべき対象に過ぎず、決して相容れぬ隣人なのだ、都人にとっては。
「そこに、どれだけの価値が?」
凪いだ湖面のような静かな声が落ちて、逸らされた碧色。銀髪が風に靡き、室内に走った動揺を気に留める事も無く、扉は閉じられる。
間を空けずして鐘が鳴り響いた。無事に冠誕の儀を終えた者達を称える祝宴の開始を告げる鐘だ。高見家に十ある全ての鍛練場に属する門下生が今回、試練を受けた。鍛練場の統括者である師範が出席しないとなれば、皆が怪しむ。
「祝宴が始まるな。当主も先程言った通り、冠誕の儀は一日目を無事終えた。ひとまず、試練を乗り越えた者達を讃えてやろう」
悠絃が会議の終了を告げれば、各々消化しきれない感情を一旦呑み込み、師範達は、座したまま向きを変える。対面した当主へ一礼し、何か言いたそうな南華を含め、師範達は全員早足に先見の間を後にした。
冬の風に揺れる篝火が照らす室内には、当主と正師範二人だけが残った。
「聡耶」
悠絃は名で当主を呼んだ。正師範である久賢しかいないこの場では、示しをつける必要性がないからだ。
「竜魔を討伐したのは、誰だ」
悠絃は、半ばその答えを確信しながらも、敢えて問う。
高座から下り、二人と対等な関係に戻った彼は、それを承知しているだろう、軽く肩を竦めて見せた。聡耶の視線が久賢を一瞥するも、そも、彼の意志を確認する必要はない。
それは一秒にも満たない間、酷く荒々しく揺れ動いた気配が如実に物語っていただのだから。
「悠絃、お前が推測している通りだ。仁だよ」
まるで明日の天気の話をするかのような声音で、されど語られた真実は驚愕に値するようなものだ。半ば確信していただろう悠絃さえ、その紫水晶の瞳を僅かに瞠った。
「それは……、気安く公言出来ない事実だな」
異端の色を纏った者が高見の姓を名乗って一年、誰一人として彼女が刀を手にしたところを見たことがない。師範からの時として長時間に及ぶ説教を受けながら、それでも頑として鍛練に出ようとさえしない。
代わりに何をしているかと思えば、余程朝に弱いのか、はたまた夜更かしをしているのか、午前中は基本的に自室から出てこない。昼前にようやく起き出してきたかと思えば一人朝食とも昼食とも言えない食事を摂り、午後は日向ぼっこをしながら本を読むか、医務室の茶話会に参加するか、訳もなく突然菓子作りなどをしてみたりと自由気ままに過ごし、そうして気が付いたらふらりと姿を消している。それでも日付変更線を越える前には必ず戻ってきていた為、強く注意することも出来ずに今日に至っている。
つまり、誰の目から見ても、彼女はただの居候でしかないのだ。それでは、木刀すら握れない、見習いでさえない半端者と嫌悪の対象となっても文句は言えまい。
それなのに。
光の恩恵を受けている身とは思えない程の肌の白さで、少し力を籠めれば折れてしまうのではと危惧してしまう程の細い腕が刀を自由自在に操るなどと、誰が信じるだろうか。




