結ー4-
今度は、聡耶が深い溜め息を吐く番だった。
それを聞いていた者の心中は、多少の差はあれど、恐らく同じようなものだろう。
「何故……」
絞り出すような声が、師範の中から上がる。
「何故、我々に相談をしなかったのだ。その危険性を知っていれば、もう少し……ッ」
そう、もう少し、何か出来たのではないか。
命すら懸けると、その誓いを胸に試練に挑んだ弟子達を無碍にするわけではない。ただ、大祓という日にあの森に入る危険性を認識していたのならば、回避出来た事もあったのではないか。
例えば、弟子達が知らぬうちに差し出した命を護る為の手助けが。
「あの時点で耳を貸していただけたとは到底思えません」
冷めた瞳が一瞥し、凍えた声音が戻らぬ時間を悔やむ者の心を切り捨てる。抑揚を欠いた声が紡いだそれはまるで澱のように受け取り手の心に沈んだ。
愕然としたまま言い返せずにいる師範の一人を視界の端に捉えながら、尤もな言い分だと、悠絃は厳しい表情の下で自嘲する。
今だからこそ仁の語る言葉を皆が聞いているが、朝の時点で誰一人として納得するはずがないと、高見家当主にそう進言したのは外でもない悠絃だ。それは凍えた関係性が生んだ歪みなのだが、その原因を、他人には興味がないとでも言いたげな態度を取り続けてきた仁一人に帰属させるべきものではない。引かれた確固たる一線を理由に歩み寄ろうとしなかった側にもまた、責任はあるのだ。
「伝統ある冠誕の儀は、その一日目を滞りなく終えた。もう、それでいいでしょう」
淡泊に、鬱陶しそうに、仁はこの会話を終わらせようとしている。
彼女のように割り切れない自分達は未熟なのだろうか。清濁併せ呑んで、覚悟を胸に進む若者の未来を守る事を第一に考えることが大切だと?
「最善の結果だと、仁。お前は言うのか。その身に、最も深い傷を負った、お前自身が」
冷たく硬質な気配に阻まれて口を噤むしかない師範達に代わり、その一線を越えて尚も問いを重ねる事が出来るのは、高見家当主以外存在しない。
聡耶が形にしたそれは、その場にいる誰もが抱いている蟠りだ。本来なら高見家が負わなければならなかった責をさも当然のように一人で引き受け、その代償として誰よりも深い傷を背に刻んだ。その結果を、最善だったと。そう、言い切るのか。
しかし、問われた意味を理解しきれなかったのは、他の誰でもない、問いを投げられた本人だった。仁は、初めて形の良い眉を顰める。
「当然です」
そうしてやはり、僅かの躊躇いも翳りもない澄んだ声音が肯定する。
「誰も死ななかった」
静寂に響いたその一言は、簡潔で、端的だったからこそ、より重く、深く、聞く者の耳朶を叩いた。短い言葉の裏に重ねてきた壮絶な過去がある事を、恐らく、その場にいた誰もが理解したことだろう。
長い溜め息は高見家当主のものだ。そこには形にされなかった思いが籠められ、それでも聡耶が口を開くことはない。場を支配する沈黙を破る者はおらず、向かい合う様にして端座する師範達は互いに交わした視線を、結局、高座に居る当主へ向けた。
聡耶は、自身に向けられた幾対もの視線のうち、己と同じ色を纏とう瞳を見遣る。鍛練上の師であり、生活上の保護者である南華は、その宝石に険しい光を宿して当主を見ていた。彼は、目の前で仁が竜魔の爪を受ける場面を見ている。その心配はこの場にいる誰よりも強いだろう。
陽がすっかり沈んだ室内は肌寒い。初冬の寒さは容赦なく忍び寄り、その冷気は灯篭では完全に退けることは出来ない。雪になるかもしれない程の寒さは、確かに、深傷を負った身には毒だろう。
必要最低限な手は打った。仁自身から今回の騒動の理由を語らせた事で、少なくとも、師範達の不信感は払拭された。蟠りが全て消えた訳ではないが、今はこれ以上のものを望むべきではない。
「ケガレに遭遇した者達の怪我は大したものではない。竜魔も久賢により無事討伐された。連れ帰った幼子も医務室で眠っている。仁、お前の言った通り、死者は零。確かに、事態の深刻さに比べれば、被害は少ない方だ」
竜魔討伐に関して聡耶が触れた瞬間、僅かに気配を揺れた久賢は敢えて黙殺する。
「寒風は傷に障ろう。仁、下がりなさい」
当主の命に、そこかしこから小さな吐息が零れる。その多くが緊張から解放された師範達の安堵の溜め息だったが、そこに紛れた痛みを孕んだそれを、果たして、気付いた者は何人いたことか。




