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転ー6-

 師範の腕に縋っていた玻綾はようやく自分の足で立つ。それを待っていた訳でもないだろう、深い湖底の瞳が退魔師を見遣り。

「遅れるなよ」

 一言。

 銀髪が揺れる、走り出したその背を、流石。老いを感じさせない軽やかな足取りで久賢が追う。弟子の様子を覗う南華に力強く頷いて見せれば、玻綾達もその後を追った。

 整備された道とは違う。自然界の理に従って自由に生きる草木が行く手を阻み、それはまるで人間を拒絶しているかのよう。行ってはいけない――警鐘がより強くなる。森が阻もうとしているその先へ進んでいるのだ、辿り着く先が危険な事は明らかなのに。

 複雑に入り組んだ木々達をものともせず、まるで飛ぶ様に駆けていくその背を見失わない様にするのが精一杯で、それは逆に、警鐘に意識を向けている余裕がなくてよかったのかもしれない。

 必死に追いすがっていた背が唐突に消える。ここは森の奥、熟練の退魔師と言えども決して足を踏み入れることのない深淵の闇だ。ここで道標を見失う訳にはいかない。更に速度を速めた久賢に従い、南華と玻綾も森を駆ける。

 急に視界が空け、突風が吹きつける。叩き付けられた風に足を止められて、思わず閉じた瞳。それは一瞬で、突風と踊る自身の髪を払い除けながら見遣った先に、見失ったと危惧した華奢な背中と。

「…………ッ!」

 闇の領域に飛び込んできた人間を取り囲むように、複数の妖の姿があった。

 鞘走りの音、久賢が刀を構える。

 自分達は退魔師だ。ならば、果たす役割は決まっている。

 仁を取り囲み、彼女に遅れて同じように闇の領域へ踏み込んできた人間を意識に留めた妖達は、明らかに邪を纏っている。

 南華に続いて、玻綾も抜刀する。

 柄を握る、その白刃に誓った。

 護るのだ。

 真っ先に動いたのは南華だった。久賢へその鋭い爪を振り下ろさんとした腕を斬り落とす。闇色の鬼は痛みに悲鳴を上げ、巨体から発されるその嘆きが合図。

 高見家の三人が妖を狩る。闇色の鬼を、二本足の狼を、巨大な牙を持った獣を。それぞれに名称がある、遥か昔に先人が付けた名だ。記憶の中のそれと現実を照らし合わせている余裕はない。握る柄から伝わってくる感触は、既に慣れてしまった。

 何処から湧いてくるのか、問うだけ無意味。ここは妖の世界で、この森は其処彼処に闇を孕む。そこに潜むモノもまた、無数。

 必死に妖を狩り続けて、僅かな間、意識を仁へ向ける。短刀すら持たぬ彼女は、自身の身を護る術がない。自分は護れているのだろうか、視線を向けた先で。

「…………ッ!」

 彼女の立つ先には地面がない。断崖絶壁の闇から出現した巨体は、退魔師にとっても絶望に近い存在。

竜魔(たつま)”―― 巨大な漆黒の翼を広げた竜は、人に仇名す妖の中でも特に凶暴として知られる。

 肩書は即ち退魔師としての強さの証。命を懸ける死闘の数も階位が上がるに応じて増えていく。正師範と師範、此処には高見家が誇る屈指の戦士が二人もいる。

 それでも、祓えるのか。

 準師範である玻綾は間違いなく足手まといになる。況して、短刀さえ持たぬ仁は無力。

 息つく暇もなくあんなにも嬉々として襲い掛かってきていた妖が、竜魔の気配に怯えた様に大人しくなる。自然と退魔師の意識は強大な敵に集中する。地上の支配者であるかのように谷の底からのそりと這い出てきた竜は口を開き、そこから覗く牙は人間などいとも簡単に食い千切ってしまうだろう。

 そうして、地上の覇者として君臨した漆黒の竜は、その存在を誇示するかのように。その前に身を晒した愚か者を嘲笑うかのように。

『――――ッ!』

 咆哮を、上げた。


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