転ー4-
倦怠感を孕んだ溜め息、長い上着の裾を翻して歩き出したその肩越しに言葉が落ちた。
「あれは、弔われなかった人間の情念が寄せ集まったモノ。妖はあれをケガレと呼ぶ」
ようやく説明をしてくれる気になったらしい。再び並んで歩き始めた背を追いながら、抑揚の乏しい声を聞き逃さんと耳を澄ませる。
「ここは、逝き先を失った魂の拠り所。人の温もりを求めて彷徨い続けて、結果的に生者を呑み込んでしまうけれど。邪気はないから、人では祓えない」
魔を退ける者、それが退魔師だ。
人とは決して相容れぬモノ。人に仇名すモノ、邪を内包するモノを祓う為に存在しているからこそ、哀しみだけを残した魂の欠片の集合体は、人ではどうすることも出来ないのだ。
元々口数が少なく不必要な言葉の遣り取りを好まない仁は、十の事を一しか語らない。だからこそ受け取り手が、彼女が紡ぐ言葉と言葉の行間を読み、最大限に思考を巡らせて、理解しようとしなければならない。
そうして辿り着いた答えに、玻綾は改めて、仁と並んで歩く長身の彼を見遣る。
そうか。迷える魂を、妖である彼だからこそ、導けるのか。
「今日は大祓。年に一度、森に集まったケガレを導く大切な日だ」
「まぁ、要するに、森の大掃除ってことやね」
その要約もどうなんだろう。
確かに、妖の感覚からいえば森に溜まった不浄を一掃する必要があるのだろうが、人間としては些か不愉快な表現に聞こえてしまうのは致し方ないと弁明したい。
「しかも、今夜は百年に一度の月蝕みの日。月と太陽が契りを交わし合う祝いの夜や。もう森全体が浮かれに浮かれて、人間にとっていい事なんて一つもありはせん」
「ただでさえ、大祓の後はそこかしこで祝宴が開かれて煩いのに」
「そこに月蝕みの祝いが加わるさかい。酒池肉林はもう恒例やねぇ」
様々な形をした妖達が豪華な料理を囲み、酒を飲み交わし、やがてあられもない恰好で踊り、騒ぐ光景が脳裏に浮かんだ。
何だろう、何だかとても、微笑ましい。
「妖が大集合する日に人間が森に入るなんて、ほんま、自殺行為や。昔は境界が今よりもはっきりしていて、俺達が報せれば決して踏み越えてきぃひんかったんになぁ」
時代は変わったもんや、と。
それは人間を非難するというよりも、ただ、そんな時代を嘆いているようだった。
玻綾は、自分の少し前を行く久賢を覗い見る。
ハレの雨は凶兆の徴。
その警告を下らないの一言で切り捨て、迷信と嘲笑った彼は今、何を思っているのだろう。
退魔師三人が孕む重苦しい空気を気遣うような二人ではない。だからこの沈黙に大きな意味はなくて、いとも簡単に閉じた世界を破ったのは、唐突に響いた無邪気な声だ。
「嬢、見-つけた」
闇から飛び出てきたモノが仁の肩に舞い降りる。
「見つけたよ、嬢」
ここは〝神座の森”。小さな体躯は犬、その背に一対の翼を生やしたそれは当然の如く妖で、青と赤、翼の色だけが違う二匹の妖が仲良く仁の両肩に納まった。
「嬢が謡っているの、聴こえたよ」
「聴こえたよ、嬢の歌声」
「大好き」
「みんな、みんな大好き」
尻尾が二つ、仲良く嬉しそうに揺れる。無邪気な声がはしゃいで、その姿を可愛いと、思ってはいけなかったのだろう。
「ケガレも惹かれる」
「アワイも大好き」
そこに溢れる愛情は酷く限定的なもので、だからこそ、それ以外の全ては無意味で、無価値で。
「だから」
「だから」
容易く憎悪の対象になる。
『――見つけたよ、翁』
二つの声が重なる。その刹那、闇が明けた。
いや、深くなったのか。
人間の五感では世界を正しく認識出来ない。時折焦点が合わず、酩酊にも似た酔いに襲われて、気持ちが悪い。自分の足で立っていられなくなり、倒れそうになった玻綾を支えてくれた腕は、太くて力強く。
「師範……」
自分を受け止めてくれた人を呼ぶ声は震えていた。高見家師範と準師範を護る様に立つ正師範の背は凛と伸び、更にその先に、静を纏う姿がある。




