承-10-
頭を抱えて蹲っている祇葵を、暴行の実行犯は鼻で笑っただけで無視して歩き出す。そもそも彼女の決定に口を出す権利も勇気もなかった六人は、素直にその背に従った。
「なんやの、もう。嬢、八つ当たりなら本当にやめぇや」
問答無用で蹴られたり殴られたり、散々な目に遭ったはずの男は、まだ懲りないらしい。先の痛みが嘘であるかのように平然と隣に並んできては口を閉ざす気配のない祇葵を、仁は睨み付けた。
「よく滑る口だ。その舌、斬り落としてやろうか」
「喧嘩を売るような口調もあかん言うとるやないか。大体、叉鸞のタン塩なんて誰も買わんで」
そういう問題じゃない、と突っ込める誰かがいたら尊敬していたことだろう。
「そもそも、ハレの雨で凶兆は報せたやろ。それでも森に入ってきた方が悪いんとちゃうんか」
一種の漫才を見ている気分だった宵達にとって、その一言は鋭く心に突き刺さった。
「……その為の代償はもう充分払った」
前を行く二人は、そのどちらも後ろを振り返らない。
「せやかて、危険を冒してまで強行するまでの価値があるんか。来年でもええやん」
「…………」
「命を懸けてでも護りたいもんがある、その気持ちは解るで。でもなぁ、生きとらんと意味ないねん」
「…………」
「まずは自分を大事にしぃよ。大切なんはそこやろ。なんで、そんな焦るんや。焦ったかて、一つもいい事ないで」
「…………」
「俺達には、死に急いでいるようにしか映らん。なんで、来年じゃあかんのや」
矢継ぎ早に紡がれていく言葉一つひとつが、ただ黙って二人について行くしか術のない宵達に叩き付けられる。沈黙を守り続ける仁がどんな表情をしているのかさえ、こちらからでは分からない。決して振り返らないその背が、まるで、断罪しているかのようで。
「なんでなんや、嬢。なんで……」
「――祇葵」
声を荒げた訳ではない。ただ、凛と響いた静かな呼名は、息継ぐ間もなく疑問をぶつけていた祇葵だけでなく、打ちひしがれているしかなかった六人の意識までをも攫っていった。
「一年という時間の大きさが、貴さが――戻らない時間の重さは、貴方達には理解出来ない」
宵は、自分の耳が捉えた言葉達を、信じられなかった。
ハレの雨は凶兆の徴。だから、冠誕の儀を取り止めるよう進言したのは、他の誰でもない、仁だったではないか。あの時、あの場所にいた数多の門下生の、嫌悪も、落胆も、侮蔑も、激昂さえも、何一つ、受け止めようとはしなかったくせに。
「来年では遅いんだよ」
何故、そんなにも静かな気配で。深く澄んだ声音で、穏やかに――愛おしそうに、語るのか。
「ただ、それだけの事」
そう、ただ、それだけの事。
来年では、護れないかもしれないから。その強い決意を形にする刀がなければ、意味がない。だから、どうしても今日でなければならなかった。
ただ、それだけの事なのだ。
それを。
「理屈じゃないんだよ、祇葵」
凪いだ気配は決して揺るがず、静かにそう締めくくる彼女は、ずっと前から、理解していたというのか。
隣を歩く祇葵には、どんな横顔が映っていたのだろう。正論を屁理屈で論破されたような、口をへの字に曲げたまま恨みがましく祇葵が睨み付けたところで、彼女は動じない。
「……解らん」
それはまるで、駄々をこねる子供のようで。
「解りとうない」
「頑固だなぁ、君も」
「ここで解ったら、しいはまた無茶するやろ」
苦笑、宵達が初めて読み取れる感情を覗かせた仁に対して、存外に真剣な声音が応えた。
沈黙は、時として、言葉よりも如実に真実を語る。
「代償を払うんは、飽く迄も彼等なんやで」
ぽん、と。銀糸の髪を撫でる祇葵の手は、幼子にするような優しさで。
「忘れたらあかんよ、しい」
言い聞かせるように、諭すように、愛するように。
贈られた心に、返る言葉はない。それでも、吐息のように沈丁花の香りを纏った紫煙を吐き出し、仁は半分も減っていない煙草を祇葵に差し出した。赤い火の灯ったそれを祇葵は迷いもなく掌で受ける。二百度を優に超す熱さをまるで感じていないかのように握り締めて、掌を開いた時には煙草は綺麗に消えていた。




