承-9-
肩を貸す臣の服を握り締める。宵の手を優しく叩く彼は、何も言わなくても、この不安も、恐怖も、感じ取ってくれている。
前を行く背中を見る。
あの時、誰かに祈った。惨めでも、愚かでも、無様でもいい。助けてほしい、と。心から、自分ではない誰かに、祈った。
陽が翳り、その陰から舞い降りてきたその姿。その華奢な体で短刀を思いのまま操るとは誰も思わない。しかし確かに、自分は、自分達は、あの小さな背中に護られたのだ。
(感謝……、しなければいけないんだろうな……)
複雑な気持ちだ。今まで自分が信じていた世界がたった数分の出来事で転覆した。事実は確かに存在し、それを否定する要素は何もないのに、それでも、そう簡単に認められるものではないのが、また悩みの種ではあるのだが。
「仁って、ツンデレなのかな」
真剣に悩んでいる宵の耳元にそんな言葉が落ちてきたものだから、思わず臣を見詰めて。
「……は?」
この子、何言ってるの?
頭の螺子が一本飛んだ疑問が浮かんでも仕方がないと、この主張には九割方同意していただけるのではないだろうか。
「案外可愛いんだね、仁は」
そんな宵の動揺を知ってか知らずか、臣は嬉しそうに笑ってそんな事を言うものだから、宵は頭を抱えたくなった。
自分は覆ったこの現実を受け入れるのにさえ苦労しているというのに、この年上の友人はそんな壁など易々と乗り越えていってしまう。その進む先が些か阿呆な道のような気がして仕方がないが。
「嬢、俺は遅れたくて遅れたんとちゃうんよ。色々と事情があったんや」
そして前を行く二人もまた、宵の混乱を知る由もなく、どうにも緊張感を欠いた遣り取りが続けられている。
「今日は大祓や。わかるやろ?」
「…………」
「おまけに、百年に一度の月蝕みの夜や。森全体が大騒ぎなんよ」
「…………」
「だから怒らんといてぇな。わかっとるやろ、なぁ」
「…………」
「嬢ぉ~……、……嬢?」
あまりの反応の無さに、不思議そうに祇葵がその顔を覗き込む。仁の歩みは妨害され、自然と全員の歩が止まる。
「なんやの。今日はいつにも増して機嫌が悪いやんけ」
じっと、水色が至近距離で仁を見詰める。鬱陶しそうにその視線を受け止めた湖底の瞳が瞬かれ、納得したように何度か頷いた祇葵は屈めていた身を起こした。
「嬢、寝不足なんか?」
「…………」
薄い唇から吐息にも似た紫煙が吐き出される。あの時は余裕がなくて気が付かなかったが、沈丁花の匂いがした。
「また本に夢中になって寝るのを忘れたんやろ。あかんで、嬢。人間の三大欲求の中で睡眠が一番大事なんやから」
その議論は取り敢えず横に置いておいて、め! っていう顔で大人ぶって説教をする祇葵に、今度は明らかにその唇から零れたのは溜め息だ。
「一晩惚気を含む恋愛相談を受けていれば、寝る訳にもいかないでしょう」
「恋愛相談? 嬢、また捕まったんか」
「…………」
「そら、災難やったなぁ」
呆れたような祇葵の様子に、仁は無言で髪を掻く。不機嫌そうに瞬く様は、それは眠気と戦っている所為だろう。
「しゃあないなぁ」
本当なら一秒でも早く布団に潜り込みたいだろう仁を慮って、祇葵は彼女の前で背を向ける形で屈んで見せた。
「……何」
「ん? おんぶしちゃろか思て」
行動が読めなくて困惑を覗かせる仁へ、肩越しに振り返った祇葵はとても爽やかな笑顔。
「…………」
ほら、と。促す祇葵を凍えた瞳で見下ろして、仁は手加減なくその背を蹴り飛ばした。
「何するんや! 痛いやんけ!」
「それはよかった」
「何がいいんや!」
「少なくとも、痛みに対しては脳は正常に反応しているようだから」
「暗に俺を馬鹿呼ばわりするのやめぇ!」
「煩い」
今度は拳骨が飛んだ。大袈裟に痛がる祇葵を見ても、理不尽だとか、可哀想だとか、そういった感情があまり湧いてこないからこれまた不思議だ。




