承-8-
暖かな陽光が降り注ぐ空間を渡る風は優しい。いつの間にか世界はよく知る顔を取り戻し、そこに禍々しい感情があったことなどまるで嘘のよう。光に包まれたここは暖かくて、清らかで、命の危険など皆無。
だからこそ、得体の知れない恐怖に染まり、叩き付けられた激情に慄き、目の前で友を失うかもしれなかったあの絶望が、今になって鮮明に甦る。
意図した訳ではない。どちらからともなく自然と互いを引き寄せて、支え合う傍らの温もりを、無意識の内に抱き締めていた。目を閉じれば、その闇に浮かび上がる。名を呼ぶしかなかった無力な自分を見つめて、向けられたその微笑みを。
死を受け入れた、安らかな顔を。
「……いった!」
すぐ近くで聞こえた悲鳴に、何事かと目を開ける。顔を上げた宵は、ふわりと髪を撫でていった手に、臣を映すはずだった紫水晶の瞳が、異端の色と交わった。何が起きたのか理解不十分のまま視線は外され、宵は茫然とまだ温もりが残る髪に触れる。一瞬の交錯、交じり合った碧色は相変わらず感情を覗かせなかったが、この髪を宥める様に撫でていったその手は、どうしようもなく優しかった。
答えを求める様に臣を見遣る。どうやら叩かれたらしい額を押さえた臣が、運よく無傷だった黒縁眼鏡の奥で苦笑した。どうやら相棒は一連の理由を理解している様で、教えを乞おうと口を開きかけたところで、またあの独特な響きが届く。
「あかんよ、嬢」
すぐ近くに立つ仁を見上げる。その傍らには不思議な気配を纏う男が立ち、彼女は背を向ける形で彼を見ていた。
「こんな日に謡ったらあかん。俺が来た意味がないやないか」
「遅れてきたくせに」
「それとこれとはまた別の問題や。迷える魂は多いんよ。取り込まれてしまうで」
「そんな失態は演じません」
ぺちり、と小気味よい音がした。
「強がりは使う時と相手を選びいよ。この状況を理解していないわけないやろ、しい」
「祇葵、その呼び名は……」
「呼ばせているのは嬢なんやで。その意味をよぉ考え」
先の臣へそうしたように額を叩かれた仁は、どんな表情をしていたのか。たとえ見えていたところで、その表情から読み取るのはやはり難しかっただろうが。
「拗ねたところで事態は変わらんよ」
だから、こうして逐一言葉にしてくれる彼の存在は有難かった。
「ほな、はよこんな怖い所から抜け出そか。向こうに帰ったら、またゆっくり怒ってあげるとええよ」
その水色の瞳が、一瞬だけ宵達に向けられる。理由を知っている臣が苦笑したのが伝わってきた。
「ついてくるの?」
「遅れたお詫びや。出口まで送るさかい。その方が、嬢も安心やろ?」
「……別に」
視線を逸らし、歩き出してしまうその背に、素直やないなぁ、と。そう笑えるのは彼だからこそだろう。
その光景を何とも不思議な気持ちで眺めていた宵達は、今度こそはっきりと氷の瞳を向けられて、唐突に観客から舞台に引き摺り出された。
「君達も、ちゃんとついて来るんやで? 無事に家に帰るまでが遠足なんやからね」
柔らかな口調ながらもその中に確かな忠告を読み取って、宵達は自分達の置かれた状況が何一つ変わっていないことに気が付く。
そうだ。ここは、〝神座の森”。どんな不条理も理不尽も、それを嘆くことは許されない。ここは妖の世界なのだから、人の道理は通じない。
宵は周囲を見回す。重傷の智晴は紫溂に任せておけばいい。女子二人は案外軽傷のようで、こちらの助けはいらないようだ。その事にほっとする。正直、今の臣から離れたくなかった。
未だに、脳裏から離れてくれない。生きる事を諦め、死を享受した時の、何処までも穏やかな微笑を。
このまま、何処かへ行ってしまうのではないか。
そんな不安がどうしても拭えない。乱暴に投げ飛ばされて片足を挫いている様子の臣を支える振りをして、その実、縋っているのは自分の方だ。




