承-6-
その狭間、宵は見た。
陽の影から舞い降りた銀色が、臣を拘束していた触手を一撃で断ち斬るのを。尻餅をついて茫然としている臣を乱暴に投げ飛ばすことで異形と距離を取らせ、残り五人を地に縫い留めている触手も無造作に斬り離す。その得物は、宵達が携えを許されている短刀と同じ。それを、まるで己の体の一部であるかの様に優雅に振るい、鞘に納められる高音が、明瞭に耳朶を叩いた。
最後の仕上げとばかりに雪原に落ちた黒縁眼鏡を拾い上げる指先は、刀を振るうにはあまりにも繊細で美しい。揺れる紫煙が妙に鮮やかだった。
突然の乱入者に世界が静止していたのは僅か数秒。
『おおおぉぉああああぁぁあッ!』
怨嗟の声が轟く。明らかな敵意を、殺意を、怒気を孕んだ闇が膨れ上がる。触手は伸びず、奈落の穴のように昏い口腔を開けた異形が、その華奢な身を呑み込まんと迫った。
「仁!」
背を向ける形で立つ乱入者へ危険を知らせる声を出せたのは、やはり、臣だった。
肩までの銀髪を払い除け、背後を顧みるその姿はあまりにも気怠げ。命の危険に晒されている危機感など微塵も感じさせない彼女は、銜えていた煙草を指で弾き、それは大きく空いた異形の口に吸い込まれていく。
赤く灯った火はいとも簡単に闇に呑まれ、この程度で何が出来る、と。まるで嘲笑うかのように巨体を震わせた異形の前で、ぱちん、と。
仁は、指を鳴らした。
闇が膨れ上がる。それはやがて限界を迎えて、爆音を響かせて、弾け飛んだ。闇を形成していたモノが四方に飛び散る。目の前で繰り広げられた事態についていけず、ただ茫然と成り行きを見届けているしか出来なかった宵達にも、それは降り注いだ。
いやに生温い感触に、そっと頬に触れる。指先が掬ったそれは、血糊にも、肉片にも見えて、現実に心が追いついて初めて、その悍ましさに引き攣った悲鳴を上げた。
「臣」
他の誰よりも冷静に状況を捉え、だからこそ、目の前で繰り広げられた現実の異常さに言葉を失っている臣を呼ぶ声は、相棒のそれではない。中性的なその声が誰のものであるのか理解する前に、眼前に差し出されるものがあった。
「……え?」
尻餅をつき、しかも乱暴に投げ飛ばされたお蔭であちこち痛い臣は、黒縁眼鏡を差し出している相手を茫然と見上げた。何故か、不思議そうな瞳と目が合った。
小首を傾げる仕草が普段の彼女のそれとあまりにも差異があり過ぎて、不覚にも可愛いと思ってしまった。その機微を感じ取った訳ではないのだろう、ただ、いつまでも眼鏡を受け取ろうとしない臣に焦れたのだろう。臣の手を取り眼鏡を押し付け、新たな煙草に火を点けるその姿は、何故か一人だけ異形の穢れを受けていない。
碧色が周囲を滑る。状況把握するような冷めた瞳は地に伏せるしかない者達の心をざわつかせたが、痛む体を庇う様に身を起こす他に術がない。小さな呻き声が聞こえ、気を失っていた仲間達が大きな傷を負っていない事にほっと胸を撫で下ろす。
互いに視線を交わし合い、仲間の無事を喜ぶ宵達の耳に、その忌々しげな舌打ちは届いた。
紫煙をくゆらせる煙草を指先で弄び、碧色が睨み遣る先を自然と追って、戦慄した。内側から爆破され、四方に飛び散った闇の欠片が一か所に集まり始めている。うねり、呑み込み、絡み合い、人の顔にも見えるその欠片達は再び、妖とも呼べぬ異形になろうとしている。
祓えないのか。
絶望的な考えが脳裏を過ぎる。どういう仕組かは分からないが、あの爆発が呪術によるものである事くらいは見習いの身でも理解できる。
それでも祓えないのなら、その時は、どうすれば――。




