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承-4-

「それにしても……こうして終わってみると、案外呆気ないものね」

 いつまでも感慨に浸っている訳にもいかない。誰からともなく腕を下ろし、それでもこの場所から離れ難く、もう少しだけこの達成感に包まれていたいという空気の中、月音がまず口を開いた。

「そうだな。結局、妖の襲撃もなかった」

「雪に滑ったり、木の根に躓いたり、生い茂る草に足元を掬われたりしたけどねー。擦り傷は痛いー」

「芭瑠、お前、どんだけどんくさいんだよ」

「えー? 智晴君だって転んだんでしょー」

「お前……ぜってー分かってて喧嘩売ってるよな?」

「なんのことー?」

 無害な笑顔は時として無敵だ。震える拳を振り上げる訳にもいかない。

「……やはり、災いなど一つもなかった」

 怒りを堪えている智晴と、その内心を知ってか知らずか変わらず笑顔を浮かべる芭瑠との関係性を横目に眺めながら、ぽつりと、零された言葉。その場の空気が変わる。誰もが脳裏に思い浮かべたのは、異端の色を纏った瞳だろう。

 ――ハレの雨は凶兆の徴。

 正師範を前にしても決して揺るがず、抑揚に欠いた声音が紡いだ警告。喧騒を縫って耳朶を叩いた言葉の強さを、誰もが感じていたはずだ。

「ったくよ、あいつ、変な脅しで和を乱しやがって。なんも起きねーじゃねぇか」

 見失った怒りの矛先を見つけた智晴は、盛大に舌打ちをする。

「久賢正師範はやっぱり正しかった。あんな半端者の言う事なんか、誰が聞くかっての。あんな奴、さっさと破門されればいいのに」

「あんたの口の悪さには辟易するけれど。でも、今日のあれは、確かにないわね……」

「伝統ある高見家のしきたりを穢す様な真似は、罰せられるべきだ」

「仁ちゃんは怖いこと言うから嫌いだよー」

 それぞれの言葉に、宵は大きく頷いて同意を示して見せる。皆が自分と同じ感情を抱いていた事に、安堵に似た気持ちを抱いた。やはり、自分は間違っていなかったのだと、先の臣との遣り取りで揺れていた自我を取り戻す。

 ただ、彼等の遣り取りの中に、確かな恐怖が潜んでいた事に気付いていたのもまた、年長者の臣だけだっただろう。

「はん! 何が凶兆の徴だ。誰もお前なんか信じねぇよって、これ見よがしに鍔を見せつけて――……」

 風が吹く。

 ぞくり、と。

 一瞬にして変容した空気に、肌が粟立つ。冷気は衣服を通り抜けて肌を突き刺し、突然変貌して見せた世界の残酷さに、警戒する事さえ、出来なかった。

 闇が膨れ上がる。日が陰った訳でもないのに世界は明度を落とし、森が内包しきれなかった漆黒が、ずるり、と。這い出してきたモノ、それを何と称したらいいのか。悪臭を放ち、仰ぎ見る程の高さの塊は、随時何かが蠢き、それは見ようによっては、人の顔のようで。

 悪寒が駆け抜ける。不安定に揺れ動くソレは生理的な嫌悪感を呼び起こし、目の前に存在するものがどういったものであるのか定義出来ない。闇が凝り固まったような、それでいて不規則に灰黒色に揺れる異形のモノ。放たれる強大な妖気と未知なるモノに遭遇した恐怖が、彼等の四肢を完全に絡め取ってしまった。

 脈が速い。息が乱れる。胸が苦しい。心臓が疾走する音が耳に痛い。脳は警鐘を掻き鳴らし、逃走反応を引き起こそうとしているのに、体だけが、統制を失う。

 逃げなければ。

 動かない体に、焦燥感だけが募る。


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