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第9話 採らない薬草

「この依頼は、Dランクの護衛を含むこと。それが受理の条件です」


 冒険者ギルドの窓口で、係員は依頼書の赤い欄を指した。


 目的地は、セレスティア南の放棄水路。解毒薬の主材になる下級薬草を採取する場所だ。以前はEランクの採取地だったが、毒針を持つ群体魔獣の痕跡が増えたため、今は護衛条件が引き上げられている。


 俺――レクトは自分の登録証を依頼書の横へ置いた。ガレンも続けて、同じDランクを示す登録証を置く。


「護衛条件は、俺とガレンで満たす。俺が経路と撤退判断、ガレンが退路の確保だ」


 係員は二枚を確かめ、依頼書へ確認印を押した。


「リゼ・カルナさんはEランク《調薬師》です。採取と鑑別を担当しますが、護衛人数には数えません。フィナさんも、荷と退路の封緘担当として記載します」


「はい。それでお願いします」


 リゼは採取札の束を胸元へ抱えた。昨日の工房で見た時より道具は多いが、剣も盾も持っていない。腰の籠には小刀、布、細い紐が、用途ごとに分けて収められていた。


 役割を曖昧にしたまま危険地へ入るつもりはない。リゼに必要なのはDランクらしく振る舞うことではなく、Eランク調薬師として、使える薬草を見極めることだ。


「撤退条件も決めておこう」


 俺は放棄水路の略図を開き、入口から最初の採取区画までを指でなぞった。


「群れそのものを見たら、採取量に関係なく即時撤退。新しい毒針の抜け殻か、蜜の痕があっても戻る。俺が見落としたものを誰かが見つけた時は、その場で止めてくれ」


「荷は置いていかない。ただし、拾うために列を崩すこともしない」


 ガレンはそう言って、大盾の留め具を締め直した。最後尾で退路を守り、先へ進むためには使わない。その確認でもあった。


「私は、採取区画ごとに荷を分けて封緘します。使わない枝道も封緘して、帰る道を一本に絞ります」


 フィナが自分の役目を口にすると、残る視線がリゼへ集まった。


「私は、採る場所と鮮度を決めます。毒が付いていないかも見ます。見た目が良くても、薬に使えないものは籠へ入れません」


 最後の一言だけ、リゼの声がわずかに強くなった。


 俺は依頼書へ署名した。


「それでいい。採らない判断も、今日の仕事に含める」


 放棄水路の入口では、浅い水の音だけが続いていた。


 セレスティア南の斜面に、石造りの水路が口を開けている。崩れた壁が日差しを遮り、湿った土には苔が厚く付いていた。下級薬草が育つ半日陰だが、鳥も虫も見当たらない。


「静かすぎます」


 フィナが声を落とした。


 俺は片手を上げ、全員を入口の外で止めた。略図と、濡れた石床に残る足跡を見比べる。大きな魔獣の足跡はなく、水路の奥から飛び出してくるものもない。


 安全だという証拠ではない。今はまだ、入った途端に撤退する痕跡が見つかっていないだけだ。


「予定どおり、最初の区画まで行く。ガレン、後ろを頼む」


「任せろ」


 俺が先頭で石床を進み、その後ろにリゼとフィナ、最後尾に大盾を持つガレンが付いた。


 最初の枝道で、フィナが右手を止めた。通らない側へ部分封緘を施し、帰路に使う左の水路だけを残す。さらに、空の採取籠の口にも封緘を付け、移動中に勝手に開かないよう確かめた。


「右は閉じました。戻る時は左だけ見れば大丈夫です」


 目印だけに頼るより、迷う余地を先に減らしておく方がいい。俺は左の壁へ短い印を付け、全員がそれを見たことを確認してから進んだ。


 最初の採取区画には、膝ほどの高さの下級薬草が群生していた。


 湿った場所に生え、解毒薬の主材になる薬草だ。市場で不足している品を思えば、青い葉の一枚まで貴重に見える。


 リゼは、すぐには小刀を抜かなかった。


「踏み込まないでください。まず外側から見ます」


 群生地の手前にしゃがみ、土の湿り、葉の裏、茎の根元を順に確かめていく。俺には同じように見えた株を、リゼは触れる前から三つに分けて指した。


「手前の背が高いものは採りません。葉は大きいですけど、古い傷から水が入っています。奥の薄い色も、鮮度が落ちています」


「こっちの小さいのは?」


 ガレンが通路脇の株へ目を向けた。


「それは使えます。ただ、根元まで抜くと次が生えません。必要なところだけ切ります」


 リゼは布を敷き、その上で小刀を入れた。切った直後の茎を見てから、葉の裏をもう一度確認する。


「これは解毒用に回せます。切り口が乾く前に包みます」


 フィナが差し出した布へ、リゼは採取した分を重ねず並べた。採取札には、場所、時刻、湿り具合、傷みなし、と記していく。


 俺も同じ株へ手を伸ばしかけたが、リゼが小さく息を呑んだ。


「レクトさん、それは待ってください」


 指を止めると、彼女は俺の手元を横から覗き込んだ。葉の付け根に、糸ほど細い濁りがある。


「表面だけ拭けば、きれいに見えます。でも中まで変色しています。毒抜きをしても解毒薬には使えません」


「籠へ入れる前で助かった。隣の株も駄目か?」


「隣は大丈夫です。同じ場所でも、全部が同じ状態ではありません」


 俺が手を引くと、リゼは変色した株へ紐を付け、採取対象から外した。使えない一本を捨てるだけではなく、隣の株と混同しないための印だ。


「俺たち三人だけなら、葉の大きい順に籠を満たしていたな」


 ガレンの声に、リゼの手が止まった。


「でも、それでは数は増えても、薬になる量は増えません」


「ああ。だから、お前に来てもらった」


 ガレンは大盾を構えたまま、当たり前のことのように言った。


 リゼは返事をせず、採取札へ視線を戻した。ただ、さっきまで札を押さえていた指の強張りが、少しだけ解けている。


 俺たちは、リゼが指した株だけを採った。


 彼女は採取のたびに鮮度を見て、解毒薬へ回せるものを選別する。保存に耐えない葉はその場で外し、毒抜きが必要なものは別の布へ分けた。状態によっては麻酔に使う試験用へ回せるというが、それも解毒用の包みとは混ぜなかった。


 フィナは包みごとに荷を封緘し、札が外から読める向きで籠へ収める。ガレンは水路の入口側へ立ち、俺は奥と天井、帰路の印を交互に確かめた。


 四人の役目が、籠の中で一つの成果になっていく。


「一つ目、封緘しました」


 フィナの声に、リゼが札と籠の中身を照合した。


「はい。この分なら、工房で鮮度をもう一度確認できます。少なくとも、持ち帰ってから全部を捨てることにはなりません」


「それは、今の市場じゃ十分大きいな」


 俺が答えると、リゼは驚いたように顔を上げた。


「まだ薬になったわけではありません」


「分かってる。薬にできる状態で持ち帰れると、お前が判断したことを評価してるんだ」


 完成した瓶だけが仕事ではない。どこから採り、何を外し、どの状態で持ち帰ったか。その記録がなければ、安全を確かめる試作には進めない。


 リゼは一度だけ深く頷き、次の採取札を取り出した。


「では、二つ目は奥の乾いた場所と分けます。保存の確認にも、その方がいいです」


 二つ目の籠を回収する時、俺たちは水路の奥へは進まなかった。


 採取区画の先で、石壁に細いものが刺さっていたからだ。


 俺は列を止め、近づかずに目を凝らした。半透明の硬い殻が、針の形を保ったまま壁へ残っている。水路へ入る前に撤退条件として決めた、毒針の抜け殻だった。


「新しいです」


 リゼが離れた位置から言った。


 足元の水には、薄く粘る蜜の痕も浮いている。流れに消えていないということは、ここへ残されてから時間が経っていない。


 それでも、羽音は聞こえなかった。


 水音しかない静けさが、来た時よりも近く感じられた。


「撤退する。フィナ、荷を。ガレンは後ろ。リゼは俺の次だ」


「はい」


 誰も採取量の話をしなかった。


 フィナは二つ目の籠を封緘し、持ち手を肩へ掛ける。俺たちは列を崩さず、来た時に残した印を一つずつ戻った。


 枝道ではフィナが退路側の封緘を確かめ、ガレンが大盾を奥へ向けたまま最後に通る。リゼは抱えた採取札から目を離さず、二つの籠が揃っていることを何度も確かめていた。


 放棄水路の入口を出て、日差しの下まで戻る。


 そこでようやく、俺は全員の顔と荷を数えた。四人。採取籠二つ。負傷者はいない。


「依頼の規定量には届いていません」


 リゼが封緘された籠を見下ろした。


「でも、この二つは使えます。場所も時刻も、毒抜きが必要な分も記録しました。工房へ戻れば、解毒薬の試作に使えるか確かめられます」


「なら、持ち帰る価値はある」


 俺は放棄水路へ背を向けた。


 薬草を採ることだけが、今日の仕事ではない。薬になる分を選び、誰も毒を受ける前に退き、その成果を工房まで運ぶ。


 リゼの採取札が付いた二つの籠は、その判断が間違っていなかったことを示していた。

採取対象:解毒薬の主材「下級薬草」/採取籠2つを回収。

依頼条件:Dランクのレクトとガレンが護衛、Eランク《調薬師》リゼが採取・鑑別を担当。

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