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第4話 退路を守る盾

【第一章・周辺地図】

前話までに判明した、セレスティア周辺の位置関係です。

地図を表示しなくても本文はお読みいただけます。

挿絵(By みてみん)

 共同宿舎で迎えた朝、俺の外套の裾は、椅子の背に掛けただけでまた裂けた。


 街道狼の爪が残した裂け目を昨夜は糸で縛ったが、布そのものが薄くなっている。腰の短剣《灰羽》も鞘から抜けば、刃先の二か所が白く欠けていた。


「その外套、次に引っかけたら背中まで開きます」


 向かいの寝台で道具を点検していたFランクの封緘術士フィナが、俺の背後を指した。


「灰羽も、このまま硬いものを受けたら折れるかもしれないな」


 俺は机へ前金の銀貨六枚を並べた。宿舎と手押し運搬車は冒険者ギルドから借りられるが、薬も食料も、壊した装備も勝手には戻らない。


 フィナも革袋から封緘具を出した。札を荷箱へ固定する金具が曲がり、予備札は残り七枚しかない。


「薬庫、鍛冶小屋、村役場。避難済みのネベル村で指定されている三か所を封じるなら、七枚では足りません。破れた札の貼り直しと、回収品を分ける分も必要です」


「外套も短剣も個人装備だ。俺の取り分から出す。封緘具の補修と依頼で使う予備札は共同経費でいいか?」


 フィナは銀貨ではなく、昨日二人で署名した仮契約へ目を落とした。


「封緘具の金具は私の道具です。補修は私の取り分から出します。ただ、予備札は回収品を守るために使うので、共同経費にしてください」


「分かった。自分の道具まで、依頼を理由に相手へ払わせない。それでいこう」


 朝一番の修繕窓口で見積もりを取ると、外套の当て布と《灰羽》の研ぎ直しで銀貨一枚。封緘具の金具交換にも銀貨一枚が必要だった。予備札二十枚と、道中用の止血薬を合わせれば、さらに銀貨一枚が消える。


 前金の半分だ。


「安いとは言えないな」


「でも、外套が裂けたまま藪へ入るのも、封じられない荷を運ぶのも嫌です」


 フィナは迷いながらも、自分の銀貨を修繕窓口へ置いた。俺も一枚を置き、共同分の一枚は二人で確認してから前金から出す。


 残る銀貨三枚には手を付けなかった。盾役の訓練料と、予定外の薬や修理に備える金だ。


 昼前には、外套の裂け目へ二重の当て布が縫い込まれ、《灰羽》の刃から白い欠けが消えた。フィナの封緘具も、曲がっていた金具が軽い音で閉じる。


 新しい装備を買えたわけではない。それでも、必要なときに破れず、切れ、封じられる状態へ戻った。


 俺たちは減った銀貨より先に、直った道具を一つずつ確かめた。



 午後、冒険者ギルドのセレスティア支部で、俺とフィナは訓練用の手押し運搬車を借りていた。依頼用の車は、翌朝に改めて貸与される予定だ。


 空荷でも、幅は人ひとりが両腕を広げたほどある。避難済みのネベル村から薬、工具、地図を載せれば重くなり、狭い街道では簡単に向きを変えられない。


 俺が取っ手を押し、フィナが横を歩く。訓練場の角を曲がったところで、片方の車輪が置き石へ乗り上げた。


「止めてください。今、右から何か来たら、私は荷と車輪の両方に挟まれます」


 俺は運搬車を戻した。フィナは横板へ予備札を当て、封緘具を動かす姿勢を試す。


「私は荷の封と残数を守ります。戦闘になっても、札を使うには片手を空けたいです」


「俺は前を見て、進むか退くか決める。荷車を押す人間が別に必要になれば、フィナと交代する」


 問題は三人目だ。敵を何体倒せるかより、俺たちが運搬車ごと退ける場所を残せるかどうか。


「盾役には、運搬車の横を離れないでほしいです。敵を追って、荷を一人にされるのは困ります」


「ああ。それと、俺が撤退を告げたら、勝てそうでも退路へ戻れること。前で全部を止めるんじゃなく、後ろから来るものと追ってくるものを一度止められればいい」


 フィナは募集紙へ条件を書き込んだ。俺も横から、金と離脱の欄を足す。


 半日の訓練に銀貨一枚。


 避難済みのネベル村の依頼へ試行参加するなら、完遂時に銀貨四枚。これは依頼完遂後の報酬から配分して精算し、前金から先に取り置く金ではない。


 道中の食料、役割上必要になった薬と修理は共同経費とし、個人装備の購入は事前相談。


 出発前なら理由を強制されず離脱でき、依頼中も一人が続行不能と判断したら撤退を協議する。


 最後に、求める役割を大きく書いた。


 『討伐数は問わない。荷と撤退路を守る盾役、一名』


「これなら、できない仕事を隠して応募する必要はないと思います」


「できると言わせる募集にしたくない。俺たちも、危険なら依頼を返すところまで書いておこう」


 追記してから、募集板の見やすい高さへ紙を留めた。


 討伐依頼の募集は、倒した数や前衛経験を大きく書いている。その中で、俺たちの募集条件だけは、敵ではなく荷と退路へ目を向けていた。



 応募者が現れたのは、一刻も経たないうちだった。


 募集板の前で、傷だらけの大盾を背負った男が紙を三度読み返している。大盾は男の肩から膝下までを覆い、縁には刃傷と深いへこみが幾重にも残っていた。


「その募集を見たのか?」


 声をかけると、男は紙から目を離した。大柄だが、こちらを押し退けるような立ち方はしない。


「ああ。ガレン・オルド。Dランクの重装士だ。この大盾を使う」


 Dランク重装士ガレンは、登録証を見せてから、先に募集紙の離脱条件を指した。


「確認したい。『討伐数は問わない』は、盾で敵を止めている間に、お前が倒すという意味か?」


「違う。倒せるなら倒すが、第一は運搬車を村から持ち帰ることだ。敵を追って退路を空けるより、一度防いで三人とも退く方を選ぶ」


 大盾を背負う重装士ガレンの視線が、訓練場へ向いた。人が走るたび、彼の目は足元の石、柱との距離、逃げられる隙間を順に追っている。


「狭い道で、荷車の右輪が溝へ落ちたら?」


「荷を捨てて持ち上げる。それでも無理なら車も捨てる」


「坂の下から敵が来て、上にも一体見えたら?」


「見えていない横道を確認する。なければ、近い方を抜いて戻る。回収品より命を優先する」


 ガレンは細く息を吐いた。俺には、彼の質問が臆病から出ているとは思えなかった。車輪が止まる角度も、挟まれたときに失う時間も、俺たちより先に見えている。


「俺には、先に言っておくことがある」


 彼は大盾の肩帯を握った。太い指が革へ食い込んでいる。


「敵が走ってくる。俺が正面から受け止める。その瞬間に、身体が止まることがある。足だけじゃない。息も、腕もだ。盾を上げろと分かっているのに、動けなくなる」


 フィナはすぐに答えず、募集紙とガレンを見比べてから尋ねた。


「どんな突進でもですか?」


「音が大きいほど起きやすい。地面が揺れるような相手なら、受けられるとは約束できない」


「敵が来てから分かるのでは、遅いです」


「そうだ。だから隠して雇われる気はない」


 ガレンは目を伏せなかった。役に立つふりをして前金だけ取るなら、こんな話は募集板の前でしない。


「慰める言葉はない」


 俺が言うと、ガレンの肩がわずかに固くなった。


「俺たちは、突進する敵を正面で受けて倒す盾を募集していない。欲しいのは、荷の横に立って、退く道を残す盾だ。ただし、それができるかは今の話だけじゃ決められない」


「何を試す?」


「退路の確保。運搬車の横を離れず守れるか。撤退の合図へすぐ反応できるか。半日分の金は募集どおり払う」


 フィナがもう一つ条件を加えた。


「訓練中でも、無理だと思ったら言ってください。私も言います。黙って最後まで続けることは評価しません」


 ガレンは募集紙の金額をもう一度見た。


「訓練を受ける。その結果を見て、俺もネベル村まで行くか決めたい」


「それでいい。こっちも、訓練のあとに決める」


 握手はしなかった。まだ、互いに仕事を選ぶための入口へ立っただけだ。



 半日の訓練では、武器を振るう時間より、運搬車を動かす時間の方が長かった。


 木箱へ石を詰めて回収品の重さを作り、俺が取っ手を押した。フィナは荷の横で封を確かめ、Dランク重装士ガレンは傷だらけの大盾を持って後方についた。


「撤退。左の門まで」


 俺の合図で三人が向きを変えた。ガレンは先頭へ出ず、運搬車と追手役の間へ回った。


 訓練用の棒を持った二人が左右から迫った。ガレンは一人目の棒を盾の縁で逸らしたが、二人目が離れると、追いかけるように一歩出た。


「ガレン、車の横だ」


 呼ぶと、彼は即座に戻った。けれど、その一歩の間に俺は運搬車を止めていた。


「今ので、後輪が俺の足を踏む位置まで寄った」


「分かった。倒す必要がないのに、前へ出た。もう一度頼む」


 言い訳はなかった。


 二度目、ガレンは追手役を盾で押し返すと、倒れた相手を見ずに車輪へ目を戻した。ガレンは運搬車が狭い門を抜けるまで、自分から間合いを広げなかった。


 三度目は、正面から盾へぶつかる役を置かなかった。代わりに木箱を坂から転がし、退路の端を塞いだ。


 ガレンは音がした瞬間に肩を強張らせたが、木箱の正面へは入らなかった。大盾の下端で軌道をずらし、俺たちが通れる幅だけを作った。


 門を抜けたフィナが振り返った。


「全部を止めないんですね」


「止めようとすれば、盾ごと押されて道を塞ぐ。端を空ける方が早い」


 ガレンの答えは短かった。怖くないから動けたのではない。何が起きれば道が塞がるかを見て、自分が正面に立たない手を選んだ。


 最後は合図を変えた。俺が声を出せない想定で、《灰羽》の鞘を三度叩いた。


 一度目の音でガレンの目が俺へ向き、三度目が鳴る前に大盾が運搬車の後ろへ下がった。フィナも予備札を道具袋へ戻し、取っ手の補助へついた。


 三人で訓練場の外まで退いた。


 完璧じゃなかった。最初の一歩で車を止めたし、正面から本物の敵が突進してくれば、同じように動ける保証もなかった。


 それでも、失敗を隠さず戻り、次には直した。俺たちが必要としていた合図と距離を、ガレン自身が確かめていた。


 俺はフィナの前で、残していた前金から訓練分の銀貨一枚をガレンへ渡した。採用を決めてから払う金ではなく、半日働いた時点で彼が受け取ると書いた金だった。


 ガレンは銀貨を数え直さず、募集紙の金額と同じかだけをフィナへ確かめた。フィナがうなずくと、ようやく革袋へ収めた。


 これで手元の前金は銀貨二枚。


 依頼を完遂したときにガレンへ払う銀貨四枚は、完遂後に受け取る報酬から精算する。今ある二枚を、ここから四枚へ増やして取っておく必要はない。


 それでも余裕は薄い。ガレンがすでに受け取るべき訓練料を薬代へ回しておいて、退路を守れとは言えない。


「俺は、ネベル村までなら行く」


 日が傾いた訓練場で、ガレンが自分から言った。


「試させてほしい。前で敵を倒せと言われたら、その場で離れる。荷と退路を守る仕事なら、やる」


「こちらも条件は同じだ。今回限りの試行参加。終わったあと、次も組むかは改めて決める」


 フィナが仮契約の追記欄へ、給与と経費、離脱条件を書き写した。ガレンは一行ずつ読み、分からない箇所を二つ質問してから署名した。


 俺たちは彼を仲間だとは書かなかった。


 書いたのは、ネベル村まで三人で働く条件だけだった。



 翌朝、共同宿舎の前で、貸与された手押し運搬車へ荷を固定した。


 俺の外套は背を曲げても裂けず、《灰羽》は鞘の中で引っかからない。フィナは補修した封緘具を鳴らし、予備札の束を数えて防水袋へ収めた。


 ガレンは傷だらけの大盾の肩帯を締め直した。運搬車の横へ立つと、車幅と路地の出口を見比べる。


「右側を歩く。溝が多い。車輪が取られたら、俺が盾を置いて持ち上げる」


「私は左で荷を見ます。交代するときは先に声をかけます」


「俺が前と退路を見る。撤退の合図は声か、鞘を三回だ」


 役割を言葉にしてから、俺たちは三人でうなずいた。


 修繕した装備。残した銀貨。荷と退路を守るための条件。


 どれも勝利を約束してはくれない。それでも、何を守り、いつ退くかを知らない二人ではなくなった。


 出発まで、あと半刻。


 運搬車の空の荷台が、これから向かう街道の方角へ口を開けていた。

修繕・補給・訓練料:銀貨4枚を支出。残金:銀貨2枚。

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