第3話 知らない街で、寝床を取る
城塞交易都市セレスティアの城門前には、街へ入れない馬車が三列も続いていた。
フォルディア王国東部、辺境伯領の物流を支える城塞交易都市セレスティア。その高い城壁を見上げたとき、俺たちの薬を積んだ馬車は、まだ最後尾にも着いていなかった。
「荷台の封は全部生きています。薬箱も包帯も、出発時の数と合います」
荷台から下りたFランクの封緘術士フィナが、点検板を胸に抱えた。疲れた声ではあったが、報告に迷いはない。
薬、包帯、保存食。ここまで一つも失っていない。
列の脇を、空の担架を担いだ男たちが走り抜けていく。門の内側には診療所の白い旗が見え、その前では、薬の到着を待つ人々が壁沿いに座っていた。
「あれが、私たちの荷を待っている診療所でしょうか」
「全部がそこへ行くとは限らない。でも、急がせてもらう理由にはなる」
俺は御者と一緒に通行係へ護送票を示した。係員は積み荷の品目を見るなり、一般の荷車とは別の検品路を指す。
馬車が進み始めると、待っていた人々の何人かが立ち上がった。ただ運んできただけだ。
それでも、空だった明日の欄へ入れた仕事が、ここでは誰かの今日につながっている。
胸の奥に、銀貨より先に小さな重みが残った。
城門を抜けた先も、余裕のある街には見えなかった。荷運び人を募る札が倉庫ごとに出され、車輪の外れた荷車が修理場の前へ並んでいる。
大通りの宿には、入口から見える位置に満室の板が掛かっていた。二軒目も三軒目も同じだ。
「宿代の札、昨日聞いた相場より上がっています」
フィナは目ざとく軒先の料金表を読んだ。
「部屋が空いていても、今夜取れば仕事の前に金が減るな」
まずは護送を終わらせる。寝床を探すのは、報酬を受け取ってからだ。
冒険者ギルドのセレスティア支部に併設された荷受け場へ着くと、検品係が封を一つずつ確かめた。フィナが照合し、御者が数量を読み上げ、俺が荷台の奥から箱を下ろす。
荷台の奥が空になるたび、フィナは点検板の数字へ一本ずつ線を引いた。俺も箱を渡す前に札の番号を読み上げ、検品係の返答を待つ。急ぐ荷だからこそ、数を飛ばせば完遂にはならない。
最後の箱を下ろしたあと、フィナは空の荷台を覗き込み、隅に取り残しがないことまで確かめた。俺がうなずくと、彼女もようやく点検板を下ろした。
最後の薬箱へ受領印が押された。
「欠損なし。護送完遂です」
その言葉で、やっと肩から力が抜けた。
御者は俺たち二人の護送票へ証言印を押し、規定の完遂金をそれぞれ渡してくれた。
俺とフィナはまだ正式なパーティーではない。報酬の袋も、別々に受け取った。
けれど、これで別れるには早い。
「道中の痕跡も、今のうちに報告しましょう」
フィナが布包みを出す。中には、街道狼の爪とは幅の違う傷を写し取った紙と、鎧板のような層が重なる黒く硬い卵殻片が入っていた。
「ああ。大型の虫型魔物、《鎧殻鎌虫》の卵殻と似ている。街道の近くなら、荷に混ざった経路とも関係するかもしれない」
推測は推測として分ける。見た場所と時刻、街道狼を倒した地点、爪痕の向きを俺が報告書へ書いた。
御者も、狼との戦闘と、その後に二人で痕跡を調べたことを証言してくれた。
報告書と布包みは、調査担当へ回されることになった。今すぐ答えが出る話ではない。
それでも、黙って通り過ぎるよりはいい。
問題は、俺たちの今夜と明日だった。
◇
「安全基準上、こちらから勧められるのは市内の仕分けか、城壁沿いの採取です」
そう告げたのは、冒険者ギルドのセレスティア支部で受付を務めるミレアだった。
受付台には、依頼票を収めた箱が三つ並んでいる。人手不足と書かれた赤札の箱だけが、今にもあふれそうだった。
「俺がDランクで、フィナがFランクだからですか」
「はい。加えて、正式なパーティー登録がありません。お二人が一緒に戦った記録も、当支部で確認できるのは今回の護送一件だけです」
セレスティア支部の受付ミレアの口調に、侮る響きはなかった。事故を出さないため、確認できた実績だけで線を引いている。
ランクは公共の安全評価だ。知られていない力があると言い張っても、他人の命を預ける根拠にはならない。
俺の内側で名だけ告げられた《欠員代行》も、仕組みは分からないままだ。ここで持ち出す話ではない。
「高難度の依頼を寄越せとは言いません。勧告する依頼の範囲だけ、記録を見て再検討してもらえませんか」
俺は完遂印のある護送票を受付へ置いた。続けて、街道狼から回収した素材の受領札と、御者の証言印を示す。
「薬を欠損なく運び、道中では街道狼を退けた。戦闘後に別の異常痕跡も見つけて、位置と時刻を報告しています。討伐力の証明には足りなくても、危険地域で回収して戻る依頼を検討する材料にはなるはずです」
ミレアは反論せず、三枚を順に確かめた。
「護送の契約範囲を越えて追跡はせず、報告を優先したのですね」
「荷を守る仕事でしたから」
「フィナさんも、同じ判断ですか」
問われたフィナは、俺を見ずに答えた。
「はい。私は荷の封と残数を確認しました。狼のあとも封を先に点検して、異常がないと確かめてから痕跡を採りました」
自分の担当と判断を、自分の言葉で説明している。
セレスティア支部の受付ミレアは受領札へもう一度目を落とし、赤札の箱から依頼票を五枚抜いた。
「ランク制限は変えられません。ただ、低難度の市内作業だけを勧める判断は改めます。条件付きの近郊回収までなら、こちらから候補として提示できます」
「それで十分です。選ぶ前に条件を読ませてください」
依頼票は俺ではなく、二人の間へ置かれた。
フィナが最初に見たのは、報酬額ではなく封だった。
「この二枚は封が一度切られて、変更票が足されています」
紙の端に残る色の違いを指で示す。
「一件は回収地点が追加。もう一件は、依頼主が宿泊補助を取り消しています。変更後の条件へ同意した署名が必要です」
「宿泊補助なしだと、今の宿代を引いた時点で赤字に近いな」
俺は料金表の写しと、必要日数を木札に並べた。報酬が高く見えても、宿代と運搬具の調達費を差し引けば、利益はほとんど残らない。
フィナが三枚目を開く。
「避難済みのネベル村からの回収依頼です。薬庫の薬、鍛冶小屋の工具、村役場の地図が指定品。前金は銀貨六枚、完遂で銀貨十八枚」
フィナは細則まで指で追った。
「指定外の回収品は、支部の評価額の二割が追加報酬。回収対象の追加は出発前までで、それ以後は双方の同意が必要です」
勝手に荷が増えない。回収地点も三か所にまとまっている。
俺は依頼票の地図を見た。
村までの道と、持ち帰る量。二人で背負えば往路は軽いが、復路に逃げ足を失う。
「これを受けたい。ただし、二つ付帯を相談できますか」
ミレアが姿勢を正す。
「内容によります」
「共同宿舎を三泊。手押し運搬車を一台。回収品を背負わせるより、運搬車があれば指定品を多く、傷めず持ち帰れます」
「どちらも不足しています。無条件では付けられません」
「ネベル村の薬と工具が戻れば、街で新しく買い付ける分と輸送枠が浮く。宿舎は空きが出た共同部屋で構いません。運搬車も貸与扱いにして、壊した場合は報酬から規定額を引いてください」
都市側の利益と、回収依頼に運搬具を付けられる支部規定を依頼票の裏で示す。お願いではなく、持ち帰れる量を増やすための条件だ。
ミレアは帳簿と依頼票を見比べた。
「共同宿舎は、依頼の準備日を含めて三泊。手押し運搬車は支部備品を一台、出発日の朝から貸与します。破損時は規定どおり。ただし、護衛構成は出発前に再確認します」
「分かりました」
フィナはすぐには返事をしなかった。依頼票と付帯条件を初めから読み直し、俺へ顔を向ける。
「レクトさん。復路で運搬車を押すなら、二人とも運搬車の扱いに手と注意を取られます。前を止める人がいません」
「俺も同じことを考えてた。盾を持って前に立てる人が必要だ」
俺は周囲の募集板を見る。今から探せるとしても、会ったことのない相手へ背中を預けることになる。
「募集して、条件を話してから決めよう。見つからなければ、出発日を変えるか依頼を返す。それも先にミレアさんへ伝えておく」
「はい。足りないまま行くのは反対です」
俺たちは依頼を受け、銀貨六枚の前金と共同宿舎の鍵を受け取った。
寝床と、貸与される運搬車は得た。だが、これで二人が自動的に仲間になったわけではない。
そこを曖昧にしたまま、三人目だけを募集するわけにはいかなかった。
◇
夕方、共同宿舎に近い食堂で、俺は借りた紙を五つに区切った。
卓上には薄いスープと固いパン、前金の銀貨六枚、宿舎の鍵がある。フィナは向かいに座り、俺が書く文字を一行ずつ追っていた。
「まず、戦闘中の指揮と経費だ。周囲を見る俺が行動を提案する。ただし、フィナは危険か、できないと思えば拒否できる。可能なら代案を、思いつかなければ退くとだけ言えばいい。拒否と代案は俺にも認める」
物資庫で彼女が問い返したから、俺の見落としは減った。指示に従うことを契約にはしない。
「必要経費は食料、薬、修理、依頼用の消耗品。報酬から先に引き、残りは今の二人なら折半する。個人装備を共同経費で買うなら事前に相談し、勝手に買った物は自分持ちだ」
「それがいいです」
次は、離脱と三人目を迎える場合の条件だ。
「出発前なら、どちらも理由を強制されず離脱できる。依頼中は、負傷や物資不足で続行が危険だとどちらかが判断したら撤退を相談する。意見が割れても、危険だと言った側を無理に進ませず、回収品より帰還を優先する」
三人目が加わる場合は、仕事と報酬の配分を三人で再協議し、盾役だから危険を多く引き受けて当然とは決めない。仮契約はネベル村の依頼が終わるまでとし、次も組むなら、互いに続けると決めて書き直す。
「これでどうだろう」
フィナは紙を受け取った。流し読みにはせず、最初の行へ指を戻す。
途中で二度、言葉の意味を確かめた。経費の範囲と、離脱してもそれ以前に働いた分の報酬を失わないことだった。
俺は抜けていた一文を足した。
「これなら、署名します」
フィナは自分でそう決めて、紙の下へ名前を書いた。
俺も隣へ署名する。
恋人でも、長年の仲間でもない。昨日まで、互いの顔すら知らなかった。
だからこそ、できることと、断れることを先に決めた。信頼したふりをするより、その方が一緒に歩きやすい。
残る一枚へ、盾を扱える者を一名、近郊回収、条件は面談で相談、と書いた。報酬額は仮契約どおり、加入する本人を交えて決める。
募集紙を持って立ち上がりかけたが、外はもう暗い。焦って貼っても、条件を読まない相手を集めるだけだ。
「明日の朝、募集板へ出しましょう」
「ああ。今日は宿舎を確認して、休もう」
未使用の募集紙を、署名した仮契約の隣へ置く。
鍵が一つ。
前金の銀貨が六枚。
明日、一緒に立つ盾役を探すための紙が一枚。
三日前、俺は寮の鍵を返し、翌朝にする仕事まで失った。
今は、知らない街に今夜眠る場所がある。
そして明日には、自分たちで選んだ仕事を始めるため、誰と組むかを選べる。
与えられた寝床と仕事ではない。
俺たちで条件を読み、交渉し、断る余地まで残して手に入れたものだ。
宿舎の鍵を握ると、小さな金属片が掌に食い込んだ。
その痛みは、失った鍵よりずっと確かな重さを持っていた。
ネベル村回収依頼の前金:銀貨6枚。共同宿舎を3泊確保。




