15.また会える日まで
夕日が少しずつ沈んでいく。5月だから寒くはない。いや、そんなことは俺にとってどうでもよかった。ただ、この時間を1秒でも長く過ごしていたかった。
「3つ目の悩みを解決できなくてごめんなさい。たぶんですけど、進路のことで悩んでいたんじゃないですか?」
それを聞いて、友希は悩み相談に来たんだと思い出した。しかし、それはもう不要だった。
「それならもう解決済みだよ。俺、進路なら見つけられたから」
「えっ?」
「俺、将来カウンセラーになりたい。カウンセラーになって悩みを抱える人の力になりたい。俺は悩みを解決してもらって、悩みが解決したときの嬉しさを知った。だから、それを他の悩みをかかえる人々にも知ってもらいたい。友希みたいになりたいな」
これは友希と過ごす間に考えていたことだった。悩みを解決するのもしてもらうのも嬉しい。そのことに初めて気づいた。
俺はいつからか人のことを、昔より考えられるようになったのかもしれない。
「では私が悟史くんの最初のカウンセラーの相手ですね」
「いつでも困ったら来ていいよ」
「まだなれると決まったわけでもないのに」
友希は笑った。俺はその笑顔を見て驚いた。友希が少し見えにくい気がする。時計に目を落とした。残り10分程度。とっさに友希を引き止めたくなったが、気づかないふりをした。むしろ、これで順調なのだ。
「それに3つ目の悩みは、もう解決済みだよ」
「どういうこと? 天使さんは2つでも未練を晴らしたら成仏できると言っていたけど」
たしかに天使はそう言った。だが、俺はそのときすでに悩み相談を終えていた。
「3つ目の悩みは、友希の悩みを聞いてそれを解決することだから」
「ちょ、ちょっと待ってください。私に関する······」
「私に関する悩みは解決できませんって?」
「うっ······」
「100%解決が適用しないだけで、別に解決できないわけではないから」
俺はそうドヤ顔で言った。友希は少し睨むように言った。
「もう······」
「あ、怒っちゃった?」
「違いますよ。本当にいつもいつも悟史くんは私のことばっかり」
友希は真っ直ぐに俺を見ている。少し友希が見えにくい気もするが、それははっきり分かった。
「最後の悩みまで私のことに使ってしまって。本当にいい人すぎますよ」
そう言うと友希は俺の手を引っ張って座った。さっきとは比べ物にならないくらい距離が近い。友希の左腕が俺に右腕に触れている。俺の右手は友希の左手を握っていた。
友希に触れているという感覚がまだある。その感覚に俺は泣きそうになった。だが、動揺してはだめだ。今、悲しそうな顔をして友希に未練をつくることは絶対したくない。
「私の最後のわがままを聞いてもらえますか?」
「もちろん······」
友希の顔が間近にある。それなのにどこか透けて見える。
友希ももうこれが最後だと自覚しているのだろうか? 友希の表情は寂しさであふれているように見えた。その中でも笑顔を絶やさない。
俺も必死に笑った。友希との約束を果たすために。
「悟史くん、目をつむって」
俺は言われるがままに目をつむった。その直後、口にやわらかくて温かいものが触れた。
もしかして······キス? 俺は心臓が高なった。目を開けたい。だが、それをすると夢から醒めてしまいそうでできなかった。時間をとめられないだろうか。そう本気で思った。
俺の口を通して友希の体温が伝わる。友希は体温がない。どうして温もりが伝わったのだろう。俺は不思議だった。しかし、初めて感じたその温もりは俺にとって、とても心地よく優しいものだということに変わりはなかった。
「目を開けていいよ」
俺はそっと目を開けた。目の前の友希がさっきよりも薄くなっていることに、俺は焦った。
しかし、俺は動揺を見せないようにした。薄くなっている中でも、笑っているのはよく分かる。もうすぐ成仏のときなのだろう。俺も友希の目を見て冗談っぽく言った。
「友希ちゃん、大好き」
「えっ、ちゃん付けって······」
友希はあたふたしていた。俺は自分ばかり呼び捨てで呼ぶのに抵抗があった。友希がくん付けで呼ぶなら、一度でいいから俺もちゃん付けで呼んでみたかった。
「ありがとう。悟史くん大好き」
幸いにも気に入ってくれたみたいだった。実らない恋。だが、この友希と過ごした6日間は一生の宝物になるだろうと思った。ありがとう。心の中でもう一度俺はそう言った。
1時間が経過した。
天使が予定通り戻ってくる。戻ってくるや否や、呆れるように言った。
「あなたたちはどこまでしたら気が済むんですか? こんなこと前代未聞ですよ」
やっぱり見ていたのか。友希は必死に抵抗する。
「でも情はもういいんじゃないんですか?」
「限度ってものがあるでしょう。もう見ていられませんでしたよ。告白、ハグ、キスってどこまでするんですか」
「は、恥ずかしいから······」
友希は恥ずかしがっていた。俺も同感だった。
「まあ未練は残っていないみたいですけど」
全くと言わんばかりに天使は呆れていた。たしかに少し度が過ぎたかもしれないと今更ながら思う。
天使は調子を戻すかのように言った。
「早川さん、今から岡村さんは成仏します。分かっているとは思いますが、自ら命を絶ったりしてはいけません。そして、これからの人生に今日のことを引っ張るのはやめてください。結婚して幸せな家庭を築いてください。岡村さんのことが気になるのは分かります。しかし、本来、人間と幽霊は交わらないもの。この意味分かりますよね?」
俺は友希の顔を見た。友希は力強くうなずく。俺の中でも答えは最初から出ていた。
「分かっています」
俺はそうとだけ言った。友希と別れたら元の生活に戻す。最初から決めていたことだった。
「岡村さんもいいですね。これから早川さんには早川さんの人生があります。その人生を見守ることができますか?」
「もちろんです」
友希は笑って言った。その俺や友希の返事を聞いて、天使はつぶやいた。
「天使っていうのも悪くないのかもしれない······。たった6日間でここまで仲良くなるなんて、初めて見ました。情が入るってよくないことばかりでもないのですね」
天使は嬉しそうだった。もしかしたら、天使もこのような結末を望んでいたのかもしれない。
「では、最後に言い残すことはありますか?」
天使の問いかける。俺は、涙をこらえる友希を見た。
「また、会えるかな······」
友希は唇を噛み締めながら聞いた。俺はもちろんそんなことは分からない。
「きっと会えるよ······」
何の根拠もない答えを返す。俺が60年後ぐらいに死んだとしても、100%会えるとは言えない。だが、きっとまた会える日が来る。そう思いたかった。
「そろそろ行きましょうか? 早川さんもどうかお元気で」
天使は辛そうにそう言う。友希の体がさらに薄くなっている。本当にもうこれが最後。
友希は笑ってこう言った。
「またね。悟史くん······」
だめだ。今は悲しい顔をするときではない。俺も必死に笑って返事を返した。
「また会える日まで。友希······」
言葉が途切れ途切れになってしまう。俺が台詞を言い終わると同時に、友希と天使の体は消えていった。
「10年後の今日、昼の12時にここで会いましょう」
はっきりと最後にそう聞こえた。俺は辺りを見回したが、そこにはもう誰もいなかった。ただ、たった一人残された俺の前に、ほとんど沈んだ夕日があるだけの静まりかえった川原。突如、冷たい風が吹き抜けていった。
「俺は役に立てたのだろうか?」
俺は一人そうつぶやいた。俺は空を見上げた。少しずつ薄暗くなってきている。雲はほとんどない。しかし、俺はその直後、額に水滴が落ちるのに気づいた。雨? そんなはずはなかった。俺にはそれが友希の涙だとすぐに分かった。
笑ってさよならするって約束······果たせたということでいいのかな······
そう思った直後、どっと涙がこみ上げてきた。ずっと我慢し続けた涙。
俺は一人声を上げて泣いた。目の前の葉も夕日も霞んで見える。涙をこらえようにも、次々にあふれてどうすることもできなかった。
俺は霞んだ空を見上げた。視界がぼやけている。その中で、俺は静かに言った。
「友希、ありがとう。約束······何とか果たすことができたよ」




