11.会いたかった理由
辺りの緊張の糸が切れるのを感じた。何が起きたのだろう? 俺は友希の持つ紙切れに目を凝らした。
もう紙が黄ばんでいて、文字も薄れていたため、読めない部分も多い。だが、そこには確かにこう書かれていた。
合格おめでとうございます。
「お母さん、私······受かったよ。そして浪人させてくれてありがとう。現役で失敗して、1年だけお願いって何度も言っていたのをまだ覚えているよ。あのときは、家が貧しいのに無理に予備校のお金とか払わせてごめん。さんざんもめて、お父さんとも喧嘩して、最終的に次で決めないと家から追い出すまで言われたっけ? でも今さらだけど、すごく報告が遅れたけど、ちゃんと志望校受かったから」
「友希、もしかしてそのことを伝えに······」
「うん、だってあの合格発表の朝、ちゃんと帰ったら伝えるって約束したから。でも、帰り道に私、車に轢かれちゃったみたいで······。こんな些細なことでって思うかもしれないけど、私にとってはどうしても言いたいことだった。今まで私のためにがんばって働いてくれてありがとう。ちゃんと受かったよって······」
そっとお母さんは俺を抱いてくれた。実際は友希を抱いているのだが。俺にとっては複雑な気分だった。
だが、どうしてもお母さんに会いたかった理由がはっきりした。自分の手にある合格通知書が視界に入る。平成14年と書かれている。16年経った今では何の意味もなさないもの。だが、友希にとってはとてつもなく大きな価値を持つものだと思った。たとえ、その大学へ行くことはなくても······
俺は体を貸してよかったと心から思った。
「少し中で休んでいきなさい」
お母さんは意地でも開けなかった玄関の戸を、そっと開けて家の中に入れてくれた。和風の家で少し古さを感じさせる家だった。玄関にはさまざまな置物が置いてある。その中に家族の写真が飾られていた。
今の姿よりもずっと若いお母さん、そしてお父さんであろう人物と、一人の若い男性、それから今の姿と変わらない友希が写っていた。
『この写真、まだ飾ってあったんだ。懐かしいな』
友希は心の中でそう言った。写真の中の友希は笑顔で楽しそうだった。
お母さんは畳の部屋に案内し、飲み物を用意してくれた。温かいスープだった。
「もう今さらこっちの世界のスープなんていらないかもしれないけど、久しぶりに飲んで」
「うんん、ありがとうお母さん」
そう言うと友希はスープを飲んだ。だが、味を感じるのはやはり俺自身。俺が飲んでどうする。そう思うがどうしようもない。できることなら友希に味わってもらいたかった。
「おいしい。ありがとう」
「よかった。もっと欲しかったらおかわりあるからね」
その会話を聞いていると切ない気持ちでいっぱいになった。友希は味どころか、温度さえも感じることのできない······。おいしいなんて嘘だ。
今まで何も気にせず食べていたおかんの料理。それが急にもう二度と食べられないとなると、俺はどう思うのだろうと考えさせられてしまった。今まで反発ばかりしていた自分が情けなくなる。
「ごちそうさま······」
友希は静かにコップを置いた。かえって辛い思いをさせていないだろうか。俺は心配した。
お母さんはその様子を見ながら話した。
「そっちの生活にはもう慣れた? 元気にやってる?」
「うん、もう16年目だから。ちゃんとこんな感じで元気にやっているから。もう心配いらないし安心して。それよりお母さんは?」
「よかった。あたしも変わりなく元気でやってるよ。お父さんも和也も。できることなら会っていくといいんだけど、今日お父さん仕事。和也ももう結婚して新しい家庭を築いて家にはいないんだよね。まああのときと違って、あたしやお父さんは老いぼれてしまったけどね。この町もそうだけど」
「兄ちゃん結婚したんだ」
「うん、あいつ結婚できるのかって思っていたけど、意外と27歳で結婚。社内の人が相手みたい」
「そうなんだ。みんな元気そうでよかった」
「でも、今だからそうだけど、友希が交通事故に遭ったってときは大変だったんだよ。お父さんなんて仕事も行かずに、抜け殻のようになってしまって」
お母さんは懐かむように話す。友希も小さく微笑んだ。だが、嫌でも俺は友希の微笑みは本心からではない、作ったものだと分かる。
少し沈黙が流れた。そして、お母さんはそっと全てを見透かすかのように口にした。
「友希······相変わらず嘘が下手だね」
「え、何言ってるのお母さん。私、いつ嘘なんて」
「あたしはこれでも19年あんたといたんだから、娘が悩んでいたら流石に分かるよ。友希の顔を見なくても。この16年の間に何かあった? どんなことでも相談にのるよ。それが言いたくて戻ってきたんじゃないの? 友希はもう違う世界にいるのかもしれないけど、あたしはいつまでも友希のお母さんだから。子どもの悩みを解決するのが、親の役目ってもんでしょう」
お母さんが悲しそうな表情で言う。当たっている。親ってすごいものなんだと俺は改めて思った。
「これは······私の問題だから」
「友希、何でも一人で考えこまなくていいのよ。たしかに私は生きている人間で、死後の世界のことは分からないけど、話を聞くことくらいはできるから。あたしが死んだら天国でまた会いましょう」
その天国という言葉が大きくのしかかった。友希は今天国にいるとお母さんは思っているのだろう。
「天国······。楽しいところなのかな」
友希はつぶやくように言った。自分では分からないけれど、とても暗い表情をしているのだろう。お母さんは驚いて言った。
「友希、何があったの?」
「······」
「お願い、話して。このまま何もできないなんて嫌だから。友希がこの16年間、何かに悩んでいたのは分かる。きっとあたしなんかじゃどうにもならないことなんだと思う。それでも、友希の味方として、お母さんとして一緒に乗り越えていきたいから」
お母さんは突然俺の服を引っ張り、顔を押しつけた。その拍子に机の上のコップが倒れ、お茶がこぼれた。しかし、お母さんは見向きもしない。ただただ涙をすする音だけが聞こえていた。
「分かった。話すから少し離れて。体は悟史くんだから」
お母さんははっとしたように離れた。
「すみません、つい舞い上がってしまって······」
俺は大丈夫ですと言おうとして、声にならないのに気づいた。また、それと同時に親が娘を思う気持ちをひしひしと感じた。
お母さんはティッシュで涙を必死に拭いた。
「でもたぶんショックを受けるよ······」
「あたしは友希がどうなっていても、ずっと味方だから安心して」
友希は安心したかのように話した。
「お母さん、私ね······」
ゆっくりと友希は自分の16年間について話した。どうして死んだのか、その後どうなったのか、何をしたかをすべて。お母さんは友希の話を黙って聞いていた。長い話を聞いてお母さんは安心したように言った。
「何をショックを受けることがあるの? 私はむしろ誇りに思うぐらいだよ。死んでもなお優しい子だね。たくさん、悩み相談して」
「お母さんは16年間もずっと地縛霊になっているなんて知ったら、ショックかなって思ったんだけど······」
「思うわけないじゃない。本当に友希は悩みを聞くのは上手いけど、相談するのは苦手だね。生前もそうだったよ。いろんな人の悩みを聞いては解決していた。今みたいに100%解決する能力がなくてもね。でも、自分のことは些細なことばかり気にしてしまって相談できない。浪人のときに相談してきたのが奇跡だと思ってるくらいだから。今の悩み相談の悟史くんにも、なかなか相談できなかったんじゃない?」
完全に図星だ。俺は友希と喧嘩したときのことを思い出した。
「でも友希はもう十分がんばった。孤独にも耐えた。そろそろ天国でゆっくりしておいで。悟史くんのおかげで未練を晴らすこともできたみたいだから、もう悔いはないでしょう?」
「天国は楽しいところかな?」
16年間の孤独が友希の中にあるのだろう。知り合い一人いない世界。不安があっても無理はなかった。
「昔の友希は周りが信頼できないでいた。でも、今は悟史くんを信頼しているでしょう。だから、新しい天国という世界も案外簡単に受け入れられるんじゃない?」
「だといいんだけど······」
「少なくとも今より最悪なんてないと思うよ」
「まあそれはたしかに。孤独すぎて気がおかしくなりそうだったから」
俺もそう思う。16年間の孤独より天国が嫌な場所なんて考えられない。
「もしくは、悟史くんと離れたくないとか?」
「えっ······。た、たしかに寂しいけど、この件が終わったら成仏するという約束だし、未練は残さないようにしているから。というか情が入ったらいけないって言われてるし······。内緒で入ってしまっているけど······」
お母さんはその様子を見て笑って言った。
「たった1週間弱で仲良くなっちゃって。天使さんに怒られても知らないよ」
「バレないようにするもん」
友希はごまかすように言う。
「まあ、冗談はこれくらいにして、天国に行っておいで。私もその内行くことになるだろうから。私が地獄行きでなければだけど」
「ありがとう、お母さん。私、天国で待っているから」




