第0068撃「メタ氏、低偏差値高校を受験する!!」の巻
平成4年1992年、2月、中学3年の3学期。
二月も、いよいよ中旬でした。
相変わらず学業の勉強のしかたが下手くそな小生は、
下手くそなりに自宅で教科書を開いていました。
ひとつ、安心材料がありました。
それは、私立M学院高校は、
アホでも、高額な学費さえ払えば、
大概の者が入学出来るという噂です。
だからこそ、担任の下井先生(仮名)はお心遣いからでしょう、
不登校が多く、テストもろくに受けていない小生を、
M学院へと考えてくださり、
同じく成績のわるい悪友の甲村(仮名)をも、
同じ高校のグループに入れてくれたのだと思います。
幸いなことに甲村の家は我が家よりお金に困っていなさそうです。
ここはもう、問題なし! ということにしておきます。
入試当日。
寒さの骨身にこたえる日でした。
M学院の入試会場には、
砂川(仮名)という男子生徒も合わせて、
計三人で向かいます。
大阪府北部へ向かう阪急電鉄の暖房の効いた車両のなかで、
小生たちは教科書を開いて最後の見直しをするわけでもなく、
テストへ臨む緊迫感から少しでも逃れようとして、
取り止めのない話をし、
場を誤魔化していました——
しかし、M駅が目前に迫るにつれ、
会話は自然と
「試験だいじょうぶかなあ?」
などという、
もはや手遅れといえるネガティヴさを帯びた表情で、
互いを見合うのでした。
さて、試験会場とされる教室に入りました。
わぁ……、なんだかおなかが痛くなりそうだ……。
ほどなくして、テストが開始されました。
「解ける! 解けるぞ!」
……という具合には、
まったく進みません。
どれほどアタマの脳みそをくるくると回転させても、
二問か、三問、かろうじてわかったくらいでした。
こりゃ、もう駄目やな。
小生は早々に諦めの境地に入りました。
かといって、テストペーパーを放ったらかしにして、
教室を退場しようとも思えない。
そこで小生が打って出た手段は、「山勘」でした。
根拠なくまるでなく、勘に頼り、当てずっぽうに判断するのだ!
回答は、①から④のいずれかを
塗りつぶすマークシート。
まぁ、テキトーに視えてきたような数字を、
パッパ、パッパと、黒く塗っていきました。
全ての試験時間が終わりました。
「今日の試験、めちゃ難しかったな」と、砂川が言います。
甲村は何やら意味不明な楽観的な返事をしましたが、
しかし、その顔はいつになく緊張しており、
ときおり見せる苦笑いも、
その悲惨さを雄弁に物語っていました。
帰りの阪急電車内で、
小生たちは話題も浮かばず、
まるで、地蔵のように、座席にただ置かれている、そんな状態でした。
「おれたちはアホやが、学費は納められる!」
そう言って小生は、甲村と砂川を元氣づけました。
帰宅して夕食を静かに済ませ、入浴し、
テレビをつけます。
『愛という名のもとに』を放送していました。
主題歌の「悲しみは雪のように」が流れ始めました。
サビで曲が盛り上がり、
浜田省吾の歌声に合わせて、
「だーれーもが〜 ウオォウオオォ〜泣ーいてーる〜♪」
おもわず、吠えるように小生が声を出すと、
愛犬のぺるは、びっくりしたように顔をあげ、
母の部屋からは、
「うるさい!!」と怒声が飛んできました。
浜田省吾「悲しみは雪のように」(1992年)
YouTubeで視聴する https://youtu.be/OTNjuhygG2M?si=yiQF7EUqIzaFhIBw
続く。果てしなく続く……。
(まだまだ続くよーっ!お楽しみに〜!)
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