その4
その対戦が決まった時、抽選会場はざわめきに包まれた。
――有力2年生対決――
ある新聞の記事によってこう名付けられたその対決は、またも甲子園に大量の観客を引き寄せた。
総城学園(茨城)−二条学園(京都)
茨城から彗星の如く現れた安打製造機、佐藤満とまだ2年生でありながら、既に今大会ナンバーワン左腕との呼び声も高い岡忠弘の対決である。
「県大会打率8割?! 関係ねえな。『井の中の蛙』という言葉を教えてやるよ」
試合前、岡はチームメイトを前に高らかに言い放つ。それは、彼のプライドであり、また、この日の為に練習をつんできた証でもあった。
一方総城ベンチ。既に試合目前だというのに、なぜか静まりかえっている。しかし、その中に確かに声は存在した。
「佐藤は今日は……だ。この試合は君達にかかっている。いいな」
「はい」
重要なキーワードこそ歓声の中に消えたものの、彼らは今日の勝利へのプランをしっかりと理解していた。
あらゆる思惑を秘めて始まった有力2年生対決。その1回表、県大会と同じく2番に座る佐藤と、マウンドの岡が始めて顔を合わせる。
(意外と小柄なやつだな。しかし、真剣にやらせてもらうぜ)
140キロ台前半のストレートを、ストライクへ2つ続けて投げ込んだ次の3球目、右打席に立つ佐藤の内角へ食い込む大きなカーブ。岡が最も自信を持つ球。
「これでどうだ!」
三振を確信する岡。しかし佐藤は、冷静だった。
(来た! 監督の言っていた例の球!)
カーブ打ちを鍛えていた体は自然に反応し、その球を綺麗に打ち返す。その結果、涼やかな音を残して、白球は1塁線を抜けた。
気温の上昇の中、観客のボルテージは落ちることは無い。しかし、彼らの温度は冷え切っていた。
「く……なんなんだ一体」
屈辱に打ちひしがれる二条ベンチ。誰もが電光掲示板のその光景を疑っていた。
1234567T
総00101204
二00201003
「……」
試合前、あれだけの自信を持っていた岡も、言葉を失っている。まさに何が起こったのか分からないと言った風であった。
しかし、記者席の男の双眸はこの試合の真実を既に見抜いていた。
「これは、『マジシャン』春田氏の仕業だな」
『マジシャン』――。
長年に渡って総城の監督を務め、春夏合わせて甲子園出場は11回。その内、春2回の優勝経験を持つ春田長俊氏を、その変幻自在な采配から人はこう呼ぶ。
「佐藤に岡の決め球、内角へのカーブを狙い打ちさせ、佐藤への意識をさらに集中させることで他の打者を楽にする。こんな戦略、彼にしか徹底できないだろうな」
古川は改めて彼の采配に舌を巻いた。
8回表、ノーアウトランナー2塁。この状況で佐藤は4度目の打席を迎える。
「佐藤、もう囮はいい。決めて来い」
「はい」
監督の許可を得、彼はこの試合おそらく最後となる打席に立つ。
「ち……。しかしまだ1点差だ。ここさえ抑えりゃ何とかなる」
逆転へのかすかな希望と、自身のわずかなプライドを胸に、岡は自らの意識をさらに集中させて、ここまで1安打に抑えてきた佐藤と相対する。だが……。
「悪いけど僕は……。上へ行くんだ」
決意をこめた打球が、左中間へのびて行く。
「『井の中の蛙』は、俺の方だったか……」
その打球が岡に敗北を受け入れさせた。
総城5−3二条
9回表、最後の打者がアウトに終わった瞬間、『マジシャン』はサングラスの向こうに素顔を隠し、密かに微笑んでいた。




