【閑話】 幼馴染な二人
最近ほとんど出番のない、とある弟の話
九郎のたっての願いもあり、一斉に元服の儀が行われた。
織田一族に限らず、十を超えた年頃の男児はこぞって元服する。そしてお市たちもまた、裳着の儀を執り行うことになった。これで、いつでも婚儀を迎えることができる。信長はかなり渋ったが、仲間外れは嫌だと駄々をこねる妹に折れた形となった。
「婚儀、か」
源五郎改め、長益は実感のわかない単語を呟いてみる。
義姉である帰蝶姫に見慣れても、自分たちの婚儀とはまた別物だ。分かるのは、お市のお守り役も終わるということだけである。長益は九郎信治、彦七郎信興のように体を動かすのがあまり好きではない。
かといって又十郎長利のように、食う寝る日々を堪能したいわけでもない。
「ふう」
薄暗い部屋の片隅で、静かに息を吐く。
新しい畳独特の匂いが心地いい。粘土の泥と竹、そして藁だけで作られた質素な建物の中には、茶釜一つ置けるだけの囲炉裏しかない。茶道具は一通り揃えたとはいえ、他に調度品があるでもなく――。
「殺風景にすぎると文句を言っていたのは、誰だったっけね」
壁には殴り書きの掛け軸一つ、歪な花瓶に野花が溢れている。
当主自ら飾られたそれらに、何とも言えない沈黙が広がったものだ。
離れを作るついでに増築してもらった茶室は、長益のお気に入りだ。滅多に誰もやってこないのもあるが、ここの空気は瞑想するのに最適である。外界と切り離されているような気がするから。
これまでのこと、これからのことを整理し、考える。
兄・信長の役に立ちたいと切望するのは皆、同じだった。どうにも年が離れすぎているせいか、信長は過保護にすぎる。信治と信興は、ほぼ泣き落としで城や村の管理をもぎ取った。長利は信興についていったが、信包は清州城に残ることを選んだ。
そして長益もまた、清州城にいる。
カタン、と木戸が鳴った。
「源五郎様? こちらにいらっしゃいますか」
「ああ、いる。お清、遠慮しないで入っておいでよ」
「失礼します」
若草色の小袖は初々しい少女に良く似合っている。
振り分け髪のない頭は珍しく、ゆっくりと茶室へ入ってくる姿をまじまじと見つめてしまった。装いが変わるのは男児だけではないと知っていたが、こうして目の当たりにすると感慨がわく。
お市と同じように、彼女も誰かの下へ嫁ぐ日が来るのだろう。
お清の父は、信長が敬愛した平手政秀だ。
必ず幸せになれるよう、ちゃんとした相手を選ぶに違いない。それこそ実の娘みたいに悩む信長が容易に想像できて、長益は思わず笑った。
「あの、どこか変?」
「どこもおかしくないよ。ちゃんと可愛い」
「源五郎様は口が達者ですね」
「本当のことなのに」
「はいはい」
気安い会話も期限あるものと思えば、愛おしくもなる。
帰蝶姫がお清を連れてきて、子供たちで一緒に遊ぶように頼んでいったのは遠い昔のようだ。義姉も兄に触発されてか、一般常識が通じないことがある。学問に男女の隔たりはないと言い、意欲のある者は誰でも勉強できるようにした。
それは那古野村で行っていたの事の発展形だ。
あの頃はもっと実用的なことばかりだったが、帰蝶姫が推奨するのは官吏の仕事に近い。どうやら文官を育てようと考えているようだ。木下家の子供、小一郎もその一人だった。
こちらは兄・藤吉郎秀吉の紹介がある。
基本的な算術はもちろん、算盤による演算もあっという間に習得してしまった。長益もこういうことは得意である自覚があったため、抜かれまいと躍起になっていたものだ。
「文官の道も悪くはないんだけど」
元服前から進むべき道を見定めていた上の兄たちと違い、長益は迷っている。
長利のように、まったりと日々を過ごしたい。
信長が冗談めかして言う「楽隠居」に強く憧れる。早めに結婚して、しっかり子供が育てば隠居も可能だ。茶の湯や歌を詠んで、日々の移ろいを味わいたい。
「うーん」
「源五郎様、どうぞ」
柔らかな声がして、ほこほこと湯気の立つ茶碗を勧められる。
なんということか、すっかりお清の存在を忘れていた。考え事をしたくて茶室にこもったのだが、迎え入れた客人に茶を淹れさせるとは失態もいいところである。
とはいえ、勧められて断るのもいけない。
「いただきます」
「はい。……お口に合うといいのですが」
不安げに言うお清は、長益の一番弟子だ。
好奇心から見様見真似で始め、細かい所作から指導していったことに始まる。そういえば、その頃から彼女は「源五郎様、いらっしゃいますか」と茶室を訪ねてきていた。城の女中として学んでいる時期なのに、ちょいちょい現れる。
口に含む茶の味は苦くて、甘い。
静かに飲み干して、長益は茶碗を戻した。固唾を飲んで見守るお清は、さながら師の判定を待つ弟子の様相だ。正式に師弟の契りを交わしたわけではないので、所詮真似事。
「それでも」
「え?」
「あ、いや。美味しかったよ。余計な一言がなければ、なお良い。不安そうにするのは、相手に向かって誠実であるとは限らないから」
「源五郎様みたいに、自信たっぷりにはできないもん」
「いつも自信たっぷりなのは、三郎兄上だと思うけど……」
「あー、比べちゃいますよね。やっぱり」
相槌を打つ長益はきっと、とても情けない顔をしている。
お清は労わるような気遣いの表情だから。
「血が繋がっているのは半分だけでも、三十郎兄上は結果を出している。僕は、まだまだだ。貞勝さんに言われるまま、仕事をこなすことしかできない」
「でも、村井様って厳しい方なんでしょう? 耐えられなくなって、何人も辞めていったと聞いていますよ。それからお仕事のせいで、奥方様に離縁させられたとか」
「ははは、まさか」
笑い飛ばそうとして、長益は頬がひきつる。
ありえなくはない。吉兵衛貞勝なら、ありえそうで怖い。小一郎や長益は婚儀もまだだが、朝から晩まで仕事漬けの日も少なくない。こうして非番の日に茶室へ来ては、ゆっくり癒されている。
女から離縁を求めるとは、余程のことだろう。
「困った。このままでは楽隠居の夢が」
「やだ……うふふっ、源五郎様ったら。心の声がもれていますよ」
「だって仕方ないだろう。仕事に追われて、気が付いたら老人になっているかもしれないんだ。老いてからの日々も悪くないけど、趣味の時間は長い方がいい」
「じゃあ、すっごく長生きしないとダメですね」
「お清は長生きしたくないのか?」
「したくないです。捨てられるのは嫌ですから」
姥捨て山のことが脳裏に浮かぶ。
老いて、何もできなくなった者を担いで山に捨ててくるのだ。お清にとって、老いるとは不利益なことしか存在しないらしい。何とも勿体ない。夢がなくて、楽しくない。
「僕が教えてあげるよ」
「源五郎様?」
「長い人生で楽しいのは若いうちだけって、つまらないじゃないか。若い時は若さゆえの、年を取ったら年を取った時の楽しみ方はきっとある」
「そうでしょうか」
「だから教えてあげる。お清は僕の大事な人だからね。なるべくなら笑っていてほしいし」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください!」
真っ赤になったお清が両手を振り回している。
何を慌てているのかと不思議に思った次の瞬間、長益は己の発言に気付いた。かなり恥ずかしいことを言ってしまった。無意識とはいえ、未婚女性に投げかけていい台詞ではなかった。
「ご、ごめん」
「い、いえ」
もごもごと続きは口の中で濁して、互いに赤い顔を俯かせる。
無性に気恥ずかしい。だが、どうして恥ずかしいのかはよく分からないのだった。
余談:
濃姫がお清を連れてきたのは「父(平手政秀)の死について不審な点がある」と報告してきた点を評価したためです。家督を継ぐ兄・久秀の意思を反する行動は、家族間の対立や不和を招くので歓迎されないことです。まして女が男に逆らうのは基本的にありえないことなので、濃姫は独断で久秀とお清を隔離する判断を下しました。
主人公には事後報告(笑)
お清のことがあったので、久秀の嘘は「不問」となったわけです。
ちなみに、お市はあまり勉強好きではない(ムラッ気がある)
信治、信興は武官タイプに成長。信包、長益は文官寄りの指揮官を目指していて、長利はどちらにも伸ばせる才があるのにヤル気がない系。
逃げるためには忍びの技だって盗んでみせる(そして寝る)
織田家は甲賀忍雇っていた説もあるので、長利は甲賀流(滝川一族もこちら側)とでも思ってください。ある意味、最もノブナガと気が合う弟だったりする。




