77. 二度まで偶然、三度目は必然
あちこちにばらまいた伏線の一つを回収
今日は平手の爺こと、政秀の命日だ。
平手家を継いだ五郎右衛門久秀と前野長康を連れて、俺は小木村へ来ていた。どこから聞きつけたか、いざ出発という段階で準備万端整った二人が出てきたのである。久秀が変な意地を張って墓参りをしないのは美しくない、という理由らしい。
言い負かされたであろう久秀と、実にイイ笑顔の長康が対照的だった。
「長方形じゃない田んぼも、見慣れてくるといいもんだよなあ」
「我が君。ちょうほうけい、とは何でしょう?」
「ああ、真っすぐの線が平行になっている四角形のことで」
「美しい形だというのは何となく分かりました」
長康の奴、あっさりと思考を放棄しやがった。
その隣ではまだ、久秀がなんだか難しい顔をしている。出がけに服装がどうのと講釈を垂れていたので、藪を突く真似はしない。こいつは恒興よりも口煩いのだ。そもそも俺を嫌っていた原因も、品行方正には程遠い乱れた言動が気にくわなかったからである。
信行側につかなかったのは、これまた信行派の人間が嫌いだったからだという。
そういう性格は信行に似ているので、話が合いそうだ。とはいえ信行派に加わった場合、いずれは処罰の対象として考えることもあるので、爺の息子を殺したくない俺としては助かる。
いよいよ緑が濃くなる田んぼを眺めつつ、目的地へ着いた。
「父のために、このような立派な寺が……」
「政秀寺というのですよ、五郎」
「名前まで!?」
「長康。そいつを先に墓参りさせてやれ」
「我が君はいかがなさるおつもりですか?」
「…………和尚に用がある」
ぴくっと久秀が反応した。
「五郎右衛門、お前が虚偽の報告をしたことについては不問にする。津島へ同行した際に、その旨を伝えたはずだな」
「はい」
「だから、俺がこれからやろうとすることにも口を挟むな。全ては憶測にすぎん」
「我が君の意に反することをしたくはないのですが、身の危険を案じるのも臣下の務めと存じます。墓参りは五郎一人でも十分でしょう」
「ああ、むしろ……その方がいい」
「五郎もこう言っていますし。ね?」
長康が片目を瞑ってウィンクを決める。
気障ったらしい仕草なのに、どこか女っぽく感じられるのは何故だろう。久秀が気味悪そうに腕をさすっているが、長康が気にする様子はない。そして彼の纏う鮮やかな青が目に痛い。
そして似合っているからタチが悪い。
イケメンと並んで歩きたくないと訴えようものなら、利家を引き合いに出されるので意味がないのだ。奴も少年時代からその兆しは出ていたが、側近たちの中で最も美形なのは否定しない。本性は犬なので、残念なイケメンというやつか。
長康とは違う。
「仕方ねえな。余計な口は挟むなよ?」
「ふふ、もちろんですとも。というわけで、五郎。ゆるりと親子の会話を交わしてきなさい。生前には言えなかったことも、今なら言えるかもしれませんよ」
久秀は何も言わなかった。
俺を見て深々と頭を垂れると、そのまま墓地へと歩いていく。爺の死について嘘を吐いたのはきっと、俺への反感だけではない。織田家当主の側近が不慮の死を遂げたことを知られれば、いらぬ騒動が起きる可能性もある。
俺への諫言という形をとった方がダメージは少ない。そう考えたのだろう。
その選択が正しかったとは思わない。久秀なりに織田家のことを思っての行動だと、好意的に納得したいだけだ。誰も彼も疑って、憎んで、それで何が生まれるというのか。
「まるで戦に出向くような顔をなさっておいでですよ、我が君」
「修羅のような、か?」
いつかの記憶が蘇り、らしくない皮肉が出てしまった。
すぐに俺は謝罪しようしたのだが、長康はそっと首を振る。
人の上に立つ者は、ほいほい頭を下げるものではないと教えられたことを思い出した。子供の頃は「そんなことはない」と思っていたが、今では「そういうこともある」という考えに変わった。すぐに謝る人間よりも、滅多に謝らない人間が頭を下げた時の方が効果は大きい。
尤も、納得と理解は別物だが。
「か、上総介様! 申し訳ありません、出迎えもせずっ」
ばたばたと慌ただしくやってきたかと思えば、青ざめた小坊主が何度も頭を下げる。
「気にするな。いつも前触れなく来ているのは俺の方だ」
「そ、そうですけど。そうではなく、ですね」
「分かった分かった、とりあえず落ち着け。どうどう」
「馬ではありませんっ」
「はいはい、子供をからかうのは後にしてくださいね。かわいらしい小坊主さん、沢彦和尚はおいでですか?」
「かわ!? あ……その、和尚様は昨日から隣村です。死人が出たので、葬儀を執り行うと聞いております。えっと、和尚様の伝言でしたら、承ります!」
必死に頭で考えながら言葉を選んでいるのが分かって、微笑ましい。
丁寧に剃り上げた頭はうっすらと青く、禿げには縁遠いことが分かった。十を数えたばかりの年頃で、禿げの心配をする方がおかしいか。この時代は家の事情で出家したり、還俗したりする武士がいる。この小坊主も、どこぞの三男坊か何かなのだろう。
怯えながらも、真っすぐ見上げてくる無垢な瞳。
利発そうな子供だ。素直で騙されそうな、という点は置いておく。
「不在なら仕方ないか」
「よろしゅうございましたね、我が君」
「余計な口は慎めと言ったはずだぞ、長康」
「これは失礼」
くすくすと笑う長康を睨んでいると、所在なさげに小坊主が留まっている。
「どうした?」
「何日か前から、上総介様をお待ちになっている方がいらっしゃるんです。和尚様は直に迎えが来ると仰っていて」
言いにくそうに口ごもりながら、小坊主が本堂を指さした。
まだ明るいので、本堂の中にある蝋燭には火がついていない。周囲を開け放してあるのに薄暗く感じられる空間に、ぼんやりと座り込んでいる人影があった。近くに住む門徒が祈りを捧げているようには見えない。
見覚えのある後ろ姿に、眉が寄る。
「吉乃?」
「おやおや、我が君も隅には置けませんねえ。奥方様以外の女人の名が出てくるとは思いませんでしたよ」
「おかしな言い方をするな、長康。ただの知り合いだ」
小坊主はまだ何か言いたそうにしていたが、山門の方へ駆けていった。
騒ぎというほどでもない。新たな訪問者が久秀と遭遇したか、寺に用のある人間が沢彦を呼んでいるのだろう。長康もそちらが気になるようなので、任せることにした。
俺は一人、静まり返った本堂に入っていく。
桃色の小袖姿はぴくりとも動かなかった。よくできた人形だとするなら、悪趣味極まりない。俺の驚く顔を見たいがために、物好きな和尚が用意したのかもしれないと疑いたくなる。
背後に立ち、これ見よがしの溜息を吐く。
それでも動かないので、俺は観念して息を吸った。
「吉乃」
「ひゃい!?」
飛び上がらんばかりに驚いた彼女は、振り向こうとして失敗する。
勢いのまま、ころんと転がる無様さは相変わらずだ。すぐに起き上がって、今度はきょろきょろと周囲を見回している。以前も足元へ落とした荷物を探していたが、目が悪いのだろうか。
「おい、ここだ」
「あっ」
「本当に鈍臭いな、栗鼠娘」
「か、上総介様ああぁ」
俺の顔を凝視していたかと思えば、いきなり泣き出した。
「どうしたんだ、一体」
「……ぐすっ。わ、わたし、かずさっ…………お、殿様にお願いがあって、待っていたんです。このお寺によくいらっしゃると聞いて、それで……っ」
「頼み事? 俺にできることには限りがあるぞ」
「えっ、お殿様なのにできないことがあるんですか?」
「そりゃあるだろ。人間なんだから」
「お殿様なのに」
涙をいっぱいに溜めた目で瞬きをするから、ぼろぼろと滴が落ちる。
彼女は、金と権力があれば何でもできると思っているのだろうか。そんなのは迷信だ絵空事だと笑い飛ばしてやることも考えたが、吉乃がどんな頼みごとをするのか興味がわいた。
「なんで清州城に来なかったんだ?」
「馬借の娘なんか、って門前払いされるからです」
「俺の知り合いだって言えばよかっただろ。生駒家の名前を出すとか」
「うちの実家、そんなにすごいんですか!?」
「ああ、すごい商売人だと思うぞ。いい馬を取引させてもらったし、今後も何かしら頼むことがあるだろうな。同じ値段で交渉するにしても、質のいいものを買いたい」
「だったら、わたしも買ってください!」
拳を固めた吉乃は、身を乗り出して叫ぶ。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「は?」
「わたしも生駒家のものです。えっと、お父さんに直接交渉して安くていいものを取引できるように計らいます。わたしが生きている限りずっとです!」
「つまり、文官志望ってことか?」
「違います。お妾さんです」
ナニイッテンダコイツ。
思わず思考放棄したくなるような台詞を聞いた気がした。幻聴にもほどがある。いや、奇妙丸のせいで帰蝶に触れられない期間が長すぎた。女体なら何でもいいとか思い始めたら、女性陣に軽蔑されてしまう。
帰ったら帰蝶と交渉しよう。そうしよう。
「あ、あの、きっとお殿様を満足させてみせますからっ」
「馬鹿を言うな。お前には夫がいるだろ」
一度しか揃ったところを見ていないが、仲の良さそうな夫婦だった。
急にまとまった金が必要になったのかもしれない。金のために身売りをする話は聞いたことがある。彼女の場合は、たまたま俺と知り合いになったから頼ろうと思ったのだろう。
生駒家が経営不振に陥ったという話は聞かない。
実家に頼れない事情があって、切羽詰まって仕方なく身売りをする道を選んだのか。それにしたって、嫁を寝取られる身にもなってほしい。俺なら死にたい。相手の男を殺して俺も死ぬ。あれ、何か違うような――?
どうでもいいことを考えていたせいで、吉乃の表情が陰ったことに気付けなかった。
「夫は、死にました」
ぽつんと落とされた訃報に、俺は目を見開く。
「弥平次が!? いつ…………いや、まさか」
「先の戦で、鉄砲隊として出陣しました。とても、ひどい戦だったと聞いています。お殿様が夫の死を知らなくても、仕方ないです」
淡々と、何でもないことのように話す吉乃。
それでも全身で悲しいと叫んでいた。止まっていた涙がまた溢れそうになっている。今にも消え入りそうな儚い身体を抱きしめてやる存在は、もういないのだ。
俺のせいで、弥平次は死んだ。
「今年の春、か」
こくんと頷く吉乃に、思わず天を仰いだ。
確かに道三へ援軍として向かう際に、鉄砲隊にも出陣命令を出した。
俺は別動隊を率いて先行していたので、本隊を指揮していたのは勝介たちだ。合流した時にはもう斎藤軍と交戦中だった。土地勘もない場所でよくもった方だと思う。
撤退を指示して、殿を務めると決めた時に散らばっていた鉄砲を思い出す。
あの時は余裕がなく、鉄砲隊の安否にも気が回らなかった。誰のものとも分からない鉄砲は、もしかしたら弥平次のものだったかもしれない。
吉乃が大きな瞳で俺を見つめている。
瞬きをしても、涙はこぼれない。
「俺のことを責めて、罵ってくれてもいいんだぞ」
「どうしてお殿様を叱らなければならないんですか?」
「弥平次は、俺のせいで」
「違います」
「違わない」
「違います! あの人は、お殿様のために生きたんです。わたしのためじゃなく、あなたのために生きて……そして、死んでいったんです!! 誇りある鉄砲隊の一人として生きた弥平次という人を、織田家の殿様であるあなたが否定しないでくださいっ」
悲鳴にも似た訴えに、俺は何も言い返せなかった。
吉乃の前夫である土田弥平次が戦死したのは9月頃と伝わっていますが、前述した信忠関連の事情があるため、本作では少し早めました。そうしないと信孝、信雄の誕生やその他諸々の流れに支障が出るので(モゴモゴ)




