76. パートナー
ぼけっと状況を見守っていた利家が首を傾げる。
「信長様、すげえ良い案を思いついたんすよね?」
「うむ」
そういえばそうだった。
奇妙丸の登場ですっかり忘れていたが、これはいい機会かもしれない。ニヤニヤと笑い始める俺を長秀たちが気味悪そうに見ている。何となく予想していそうな感じだが、きちんと控えてくれるのは臣下の心得といったところか。
俺は仲間が欲しかった。
小姓と側近たちは仲間というよりも同志であり、部下だ。元舎弟なのだから当然である。無意識に道具として扱っていたのも、そういう考えが影響していたのかもしれない。
だが俺はやっぱり、仲間が欲しい。
「お濃を参謀役にする」
「殿……」
「あーあ、言っちゃった。俺、知らね」
ふかーい溜息を吐く長秀と成政、そして恒興と信盛に至っては無言だ。
なんだか背後から異様な視線が二人、いや三人分突き刺さってくるのは無視する。明確な反対意見が出ないのは、俺にはかなり意外だった。もったいぶったのは、彼らがどんな反応をするかによって、説得内容を決めたかったからなのだが。
「おい、お前ら。言いたいことがあるなら、言えよ」
「そんなの言っても無駄でしょうが。奥方様がいないとダメな人間になってしまう前に、一生ついていくって決めちまったんですから。それにもともと、一度決めたことは誰がなんと言おうと貫く性格なのは分かってます」
「おい、松ぼっくり! 信長様になんつーことを」
「うっせえよ! てめえはいつまでソレを続けるつもりだっ」
「ソレ?」
「……そうだった。こいつは記憶力がいいだけの馬鹿犬だった」
「俺を犬と呼んでいいのは」
「あーはいはいわかったわかった。それで信長様、ちょっくら奥方様を呼んできますね。どうせ本人には何も言っていないんでしょう?」
「あ、うん」
あっさりと部屋を出ていく成政の背を、呆然と見送る。
何か間違えたのは分かったが、言い訳をしようにも本人がいないのでは意味がない。どうせ戻ってくるのだからその時に言えばいいかと思いつつ、やっぱり何をどう間違えたのかが分からない。
「内蔵助が反抗期」
「殿の御子は奇妙丸様だけにございます」
「やれやれ、五郎左は相変わらずであるな。殿が仰っているのはそれではないぞ」
「むう」
「私には内蔵助殿の気持ちが分かります。ええ、とても」
「半介も左近も何を言っておる」
「いや、五郎左は分からなくていい。そのままでいてくれ」
「しかし……いや、殿がそう仰るのでしたら」
彼の眉間に深いしわが刻まれているのは仕方ないだろう。
察しのいい長秀も鈍いところがあるのは面白、もとい人間味があっていい。
恒興とは違う意味で、信長至上主義である長秀のことだ。俺に関わる事柄が理解できなくて、非常に不本意なのは分かる。成政の行動も、厳密には反抗期といえない。元舎弟の三人のうち、成政だけがああいう態度をとる。
従順の反対語が反抗かどうか、という疑問は横に置いて。
「奥方様がおいでになられました」
「通せ」
早々に案内役を放棄したのだろう。
侍従の前触れに頷けば、怪訝そうな顔をした帰蝶が入ってくる。その後にやや面倒くさそうな素振りで成政が続いた。そんなに嫌なら呼びに行かなければいいだろうに、五年以上経っても帰蝶との関係は微妙なままのようだ。
「お濃、呼び出して悪かったな。こっちへ来い」
「あなた」
そうじゃない、と言いたげな帰蝶は動かない。
成政からは、何一つとして説明を受けていないのだろう。よくよく考えてみると、俺も大した説明もしていないのだから当然だ。これから言おうとしていたのに、皆して反対してくれないので言えなくなった。
そんなことよりも今は嫁である。
数日ぶりに見る彼女は、まだ少し顔色が悪い。
道三の死は尾張国にとって、それほど大きな影響を及ぼさなかった。美濃国と友好関係にあると思っていたのはごく一部だったということだ。そのことが父の死と共に、帰蝶の心を沈ませている。
『あなたが生きて帰ってきてくれたから、それでいい』
道三の死を伝えると、そう言って彼女は気丈に微笑んでみせた。
美濃国から落ち延びてきた蜂須賀以下、少数の美濃衆たちには特別待遇をしないようにとも頼んでくる。俺の浅ましい嫉妬を見抜かれたのかと思ったが、帰蝶の立場も考えて頷いておくことにした。
悲しくて何も考えられないだろうに、気遣ってくれる心が嬉しい。
その聡明な頭脳をもっと役立てるべきだと思う。もっと傍に、もっと近くで、俺を支えてほしいと願う。身勝手な我儘だとしても、求める気持ちは止まらない。
「お濃、来い来い」
満面の笑顔で両手を広げた俺は悪くない。
愛妻を出迎える格好として最善をとったまでだ。周囲の生温い視線は気にならない。ふいっと顔をそらした彼女は、そのまま斜め後ろに腰を下ろそうとする。
慌てて橋介が円座を動かし、補助をしていた。
「由宇はついてこなかったのか?」
「ええ。それについては、後で話します」
「分かった」
他にも侍女がいるだろうとは言わない。
成政がいるので、一人で来たようだ。由宇なら絶対ついていくと言いそうだったので、ちょっと意外である。彼女を近くへ引き寄せようとする手を懐へ突っ込んだ。
ぼりぼりと腹をかく。
なんかこう痒くないのに、掻きたくなるんだよな。
「評議の場もこんな感じで」
「さすがに堂々と傍に置くのは反感を買いましょう。近侍衆が控える小部屋がございますので、奥方様にはそちらで話を聞いていただくというのは?」
「ふーむ」
「話の腰を折るようで申し訳ないのですけれど。わたくしが関係しているのなら、ちゃんと説明していただけないかしら」
「お濃を参謀役に据えようと思ってな」
「聞いていないわよ!?」
腰を浮かせかけた彼女を、まあまあと宥めつつ座らせた。
「落ち着けって。理由も話してやるから」
「……本気なの?」
「そんな風に疑われると傷つくなー」
「いちゃつくのは後にしていただきたいものですな。そのような塩梅で、参謀など務まるものでしょうか。ただでも微妙な状況だというのに」
「そういう状況だからだ、半介」
男尊女卑とまでいかなくとも、信盛は女性進出にいい顔をしない。
奇妙丸の乳母のこともよく思っていないようだ。身を守る役目は他にもいるだろうと言いたいらしい。大事な嫡男のためなら、護衛は何人いてもいいそうだ。
どこまで誰を信用していいかわからない状況で、貴重な人員を割けるか。
我が子が可愛くないわけじゃない。
最優先で守りたいからこそだ。そのためなら体裁など構っていられるか。使えるものは何でも使う。全て「うつけだから仕方ない」で済ませてやる。
そんな俺の真意に気付かない帰蝶ではないのに、きつい目で睨んできた。
「お断りします。わたくしに、そんな大役が務まるとは思えません」
「いや、お濃なら問題ないって」
「問題があるに決まっているでしょう。わたくしは女なのですよ」
「女じゃなかったら、俺の嫁になれないだろ」
「あなた!」
そろそろ本気で怒られそうだ。仕方ない。
「舅殿に…………道三に、頼まれたんだよ。お濃には全てを教えてあるから、せいぜい有効に使えとな。俺は義龍とは違う。女が学問をするのが間違っているとは思わないし、有能な人材は男女身分問わずに採用したいと思っている。つーか、こき使う気満々だ」
「あの文には、そういうことは書いてなかったはずです」
「実際に会った。なあ、恒興」
「はい」
美濃を、帰蝶にやる。
道三はそう言っていたように思えるのだ。もしも男であったなら、義龍よりも帰蝶へ家督を譲ったのかもしれない。俺自身のことを認めてくれたというよりも、帰蝶の婿だから認めてくれたように思う。
俺自身がすごいんじゃない。俺を支えてくれる皆がすごいのだ。
「三国時代、武帝は才ある妃を傍に置いて助言させていたそうだぞ」
「それは」
「自信がないなら無理は言わない。お濃も知っているように、俺の立場は盤石とは言えないからな。だが子を産むだけが女の仕事だとは思わない。俺と一緒に、織田家を守ってくれないか?」
「わたくしが、家を……守る」
帰蝶の心がぐらついている。
よし、もう一押しだ。
「大丈夫、黒子衣装で後ろに控えていればいいから!」
「お止めください、悪目立ちします!!」
「なんで恒興が反対するんだよ。俺はお濃に提案しているんだぞ」
「あの豪華な広間に黒い衣装の者がいたら目立つに決まっています。奥方様を不審者扱いさせたいのですか」
「お濃が不審者なわけあるかっ」
「侍女の装いをさせた方が余程マシです!」
「そんなことをしてみろ。勘違いした奴が手籠めにするかもしれん。いやいや、そんなのはダメだ。絶対ダメだあっ」
今度は俺が腰を浮かせかけた瞬間、目に火花が散った。
後頭部からキレのいい一撃をもらったのだ。気絶するほどの衝撃ではなかったものの、冷水をぶっかけられた程度の冷静さは取り戻した。帰蝶のハリセン技は熟達しすぎている。
肘置きに体重を預け、しばし呼吸を整えた。
「お濃」
「何かしら」
「お前は俺の相棒だ。妻であり、母であり、嫁であり、同志でもある。俺の夢を叶えてくれる大事な存在なんだ。傍にいてくれ、どんな時も」
頼む、と言いながら土下座した。
周囲が一気に騒がしくなったが、最大の誠意を示すにはこれしかないと思う。後になって、この時代では罪人のやることだと教わった俺は激しく後悔することになるのだが。
「頼む」
「や、やめてちょうだい! あなた、そんなことしないで」
「お濃が頷いてくれるなら止める」
「やります!」
「お濃っ」
きっとそれは、彼女が近づきすぎていたせいだ。
感極まった俺が抱き着いたついでに、公衆の面前で押し倒してしまった。帰蝶には平手を二発もくらい、長秀には「第二子も近いですな」と微笑まれる。付き合っていられないと成政や信盛が去っていくなどして、この日の会議はうやむやのまま終了したのだった。
何年も惚気を聞かされ続け、イチャイチャを見せつけられて、食傷気味の成政
この頃の木下兄弟。
「なあ、小一郎。わしはなんで、ドブ浚いをしとるんじゃろう」
「仕方ないですよ、お仕事ですから」
「毎日毎日やっても終わらん。こんなに励んでおるのに、嫁が来んのは何故なんかのう」
「臭くても猿顔でもかまわない、っていう奇特な女性が現れたらいいですね」
「ううっ、小一郎!」
「うわあ!? 近づかないでください、兄上。臭いですっ」
普請奉行・木下藤吉郎秀吉、部下が幽霊部員化しているため弟が非常勤として参加。遅々として進まない上下水道の整備に勤しむ。




