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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
尾張統一編(天文20年~)
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【閑話】 忠臣の心得

珍しく鬼柴田がよく喋る回


 人の気配に、勝家は着衣を直した。

「お待たせいたしました。柴田様、どうぞ」

 信行付きの小姓がやってきて、先導を務める。

 これほど待たされたのは初めてだが、信行の方で何かあったのだろう。信秀の死後、いよいよおかしくなったと噂のある土田御前を慰めていたのかもしれない。

 こればかりは勝家も踏み込めない領域だ。

 信長が家督を継いで以降、信行の周りにはろくでもない人間ばかりが残った。日和見をしていた連中が、慌てて那古野城へ出向いたのもある。脅し文句の一つもない下知だったが、後ろ暗いところのある人間には脅迫文も同然だったようだ。

 少なくとも喪に服す一年だけは静かだった。


『もう我慢ならぬ!』


 美作守が口火を切って、当主の座を引きずり下ろす話が出てくる。

 一周忌までの法要全てに信長が出なかったのだ。葬儀と同じように信行が喪主を務め、葬儀に集まった御家来衆だけが顔を揃える。密やかに囁かれるは、黒い噂ばかりだ。

 那古野城を中心に、土地開発が進んでいく。

 改めて検地が行われ、新しい道具に切り替わり、他国から商人が流れ込んでくる。宿場町の成長は目覚ましく、まるで別天地だという評判だ。勝家が聞き及んでいるこれらの話は、反信行派によって暗転していく。

 彼ら曰く。

 無辜の民に負担を強いて、商人たちは渡来品の横流しを推奨。自身が遊び歩くためだけに宿場町を作り替え、あっという間に蔵が空になったという。

 信行もこれを信じていたので、きっちり訂正しておいた。

 嘘の言えない勝家が、この目で見たのだと告げれば疑いようもない。そして彼は自嘲した。目と耳を塞がれて生きてきたことを、ようやく知ったのだ。

 それから信行の行動範囲は更に狭くなった。

「権六、来てくれたのか」

「呼ばれずとも参りまする」

「ああ、そう……だったな。すまない」

 ぎこちなく笑う信行は顔色が悪い。

 食が細くなっているのか、少し見ない間に痩せてしまった。

「鍛錬は」

「それどころじゃない」

「信行様。体を鍛えるは、心を鍛えることにござる」

「それならば私は、上辺だけの武芸を磨いていたことになるね」

「信行様!」

 勝家は焦りのあまりに腰を浮かせかける。

 とうとう心が折れてしまったのか。

 こんなことなら戦に出向かず、信行の傍を離れるべきではなかった。守護大名、武衛家といえども勝家には直接関係がない。織田家における信行の地位を主張するために参陣したが、肝心の信行を守れずに何が忠臣か。

「……権六」

「はっ」

「私を殴れ」

 勝家はじっと信行を見つめた。信行はちらっと勝家を見た。

「信行様は信行様にござる」

「…………」

「真似事ごときでは己が身に付きませぬ」

「うーん、ダメか」

「論外でござる」

 困ったように笑う信行に、ふと違和感を覚えた。

 顔色の悪さばかり気にしていたので、気付くのが遅れた。成長するにつれて、色濃くなっていた陰りが失せている。城仕えの女中たちは憂い顔がいいだのと騒いでいたが、武士には相応しくない弱さだと思っていた。

「信行様」

「ん?」

 首を傾げて、こちらを伺う仕草がどこか懐かしい。

 怨讐が消えている。ずっと付きまとっていた憑き物が落ちたのか。安堵に緩みかける心をぐっと引き締める。それでも今ある問題が解決したわけではない。

 外を気にする素振りを見せれば、信行が人払いをさせる。

 勝家はずずいと膝を寄せた。

「信長様に、会われましたか」

「誰に聞いた」

「聞かずとも」

「そ、そうか。そんなに分かりやすいかな……」

 近しい者の言葉は疑わず、良くも悪くも素直な性情。

 それこそが付け入る隙を与え、傀儡の主として狙われた要因であった。今度は信長に強い影響を受け、傾奇者に目覚められても困る。何よりも美作守や反信長派が黙っていまい。

 素早く思考を巡らせる勝家の心も知らず、信行は言う。

「権六。私は、兄上の味方をしたい」

「某は反対にござる」

「な、何故だ。お前も兄上を認められぬというのか。兄上はお前を認めているというのに」

「不穏な動きがあるゆえ、今動くは良策と思えませぬ」

「まさか、母上が……? まだ兄上の命を諦めていないとっ」

「声が大きゅうございます」

 肩を掴み、唸るように低い声で諫める。

 信行の反発は周囲の言葉もあるが、兄の存在を強く意識しすぎたためだ。敵意や憎悪が反転したなら、好意と親愛の情がそのまま信長へ向かうことになる。市姫や庶子たちですら、信長を慕って那古野城へ集まった。

 彼らよりも長く信長を見つめてきた青年が、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。

「私が止めないと、兄上が……!」

「信行様が動かなければ、何も起きませぬ!!」

 小声で声を張るという難行を成せば、信行はハッとした。

「この2年……美作守たちが挙兵に踏み切れなかったのも、信行様が慎重な態度をとっておられたからこそ。あれらは所詮、信行様という神輿がなくば動けぬ輩でござる」

「神輿になどなりたくないっ」

「信行様!」

「分かっていたんだ。兄上ほど、当主にふさわしい人間はいないと。皆に期待されることが、どれほどの重圧か想像できないだろう? 家臣よりも多くの人間に、兄上は期待されている。美濃の蝮にも認められ、信広殿も兄上についた。叔父たちもだ。これほど明らかな証は、ない。私たちが一つの城にこもって何をわめいても、もう叶わぬ。兄上は、もっと広い世界に生きておられるのだ」

 私もそこに行きたい、と声なき声が聞こえた。

 ただ認められることだけを求めていた信行が、自らの足で進もうとしている。欲しいものを欲しいというだけでなく、得るために動こうとしている。

「よくぞ、よくぞ……そこまで」

「権六?」

「なればこそ、今はじっと耐える時でござる。これまでの長き時を思えば、そう辛くはありますまい」

「お前は変わらないな。いつも厳しい」

「我が主は、厳しくした方が育ちますゆえ」

 武においても、知においても。

 目隠しをかなぐり捨てた信行は、強い光を宿していた。これから先は多くを疑い、切り捨て、人道にもとる行動も必要になる。清廉な心が輝きを失わぬよう、汚れ役は柴田権六勝家が受ける。

 この決意は信行の顔を陰らせるから。

 せっかく取り戻した光を自ら貶めぬように、勝家もまた静かに心を定めるのだった。


ちょっと前向きな発言も出てきましたが、信行がヘタレなのは変わりません。

コンプレックスの意味から考えても、改心する前の信行だって立派なブラコンです。頭がキレるのにどこか「馬鹿なの?」と疑いたくなったり、直感と本能で動こうとする傾向が強い織田家の血筋。


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