62. 守護職暗殺
田畑の緑がいよいよ濃く鮮やかになる頃、伝令が届いた。
尾張守護職、いわゆる守護大名である斯波義統が殺されたのだ。
息子の義銀が御家来衆を連れて川狩りに出かけた隙を狙い、一気に攻め込んだらしい。密告者は大和守信友の家臣だが、信長暗殺計画をもらしたのは義統の指示ということになっている。
親父の代と同じように、本格的に手を組まれたら困るとでも思ったのか。
繰り糸をちぎった傀儡人形に用がなくなったのか。
「義統様御自ら奮戦するも衆寡敵せず。最後には館に火をかけ、ご家族もろとも自刃して果てたそうにございます」
「残ったのは川狩りに出かけていた連中だけか」
「おそらく」
「犬、内蔵助。お前らはご子息らを保護に向かえ。助けを求めるなら、俺が近い。那古野城を目指しているなら、津島神社へお連れしろ。馬廻り衆を使ってもいい」
「えっ、城じゃなくて神社っすか?」
「これ以上非戦闘員を抱え込めるか、馬鹿! 半介、勝介」
「御意。ただちに出陣の準備をいたします」
「今回は大義名分がござる。士気も格段に上がりましょう」
「不謹慎な発言は慎め」
楽しげな信盛を勝介が叩いて、足早に部屋を出ていく。
「五郎左は遅いな……」
「手間取っているのではないでしょうか」
「そうだといいが。橋介、清州への出陣はいつになる?」
「早くても十日はかかるかと」
「遅い、五日で終わらせろ。間に合わなかった奴は置いていく」
「わ、分かりました!」
早馬を出すべく、橋介も駆けていく。
これで集まっていた側近は皆、いなくなった。
他の家臣は定例評議会にしか顔を出さないが、ついこの間に終えたばかりだ。帰路の途中である者、ようやく我が家に腰を据えてばかりの者もいるだろう。やっぱり武家屋敷の建築は急いだほうがいい。どうしても伝達速度に差が出る。
土地持ち豪族よりも、土地のない武家を優先していると思われるのは面倒だ。
そうでなくても男の嫉妬は見苦しい。
農民から出世街道驀進中の秀吉は、普請奉行として毎日駆け回っている。これも昇格が決まった時にはさんざん陰口を叩かれた。俺に見えないところ、聞こえないように配慮していたつもりだろうが、滝川一族の耳目からは逃れられない。
ちなみに俺は何もしなかった。
ここで手を出せば、事態を悪化させるのは分かりきっていたからだ。
俺にきつく当たった親父殿の真似ではない。秀吉が率先して、下町の便利屋みたいな仕事を始めてしまった。普請とは本来そういうものだ。雑事を担当する庶務課といえば、分かりやすいだろうか。武家に生まれた以上、商人たちに頭を下げたくはない。
実際にやっているのは町の整備だ。
建物の建築修復や上下水道の点検配備が主な内容になる。それは庶務課の仕事と違うと言われそうだが、土建屋の仕事だけで終わらないのが普請奉行である。
必要資材の手配に作業員の割り振り、水道に関連して清掃業も含まれる。
医学の発展に乏しい時代、衛生面は特に大事だ。
手洗いとうがいを日々徹底するだけで、かなりの病気を未然に防げる。上下水道がきちんと機能していて、清掃も行き届いていれば住心地も良くなる。
いいことづくめだが、その分だけ労力も大きい。
「まあ、俺は口出しただけだがな」
那古野村を再建していた頃だって、俺は直接手を出すなと言われたのだ。
頼れる部下たちに丸投げして何が悪い。その代わり、何か問題があったら即座に上へ持ってくるように厳命している。分からないまま放っておくと、事態が悪化してしまうからだ。
そうなると、俺でも手が付けられない。
失われたものは戻らない。
だが空いた場所に、新しく何かで補うことはできる。
「……信友、焦ったか」
あるいは信行派に唆された可能性もある。
呼応して動いて、一挙両得の狙いがあったとしたら?
守護職に大和守信友が座り、弾正忠家は信行が継ぐ。これらの結果に多大なる功績を残した者たちは一様に恩赦を受ける。実にウルトラハッピーな画餅だ。乾いた笑いしか出ない。
「信行派が動けるわけねえだろ、馬鹿め」
俺たちが末森城に行った日、長秀も密かに那古野城を出立した。
滝川一族だけでは荷が重い情報攪乱のためだ。
信行を引き込めるかどうかは賭けだったが、ダメならダメで本当に諦めるつもりだった。会心の一撃を与えた帰蝶とお市に功労賞を与えたい。ポッキリ心を折った後、本当に挙兵計画があると説明したら難しい顔で黙り込んでいた。
この時期に内乱を起こす愚行をよく分かっているのだ。
間違いなく斎藤家か、今川家に食われる。
その斎藤家も内乱の兆しが出ているのだが、今孔明と名高い竹中半兵衛重治はどうしているのか。奴が本気になれば、義龍の内乱など未然に防げるように思える。
まあ、他国のことは他国のことだ。
いざとなれば救援に向かうつもりだが、潔く自決の道だけは選んでほしくない。帰蝶のためにも、俺の将来のためにも――。
「くそ、手が足りん」
13歳から、ずっとそればかり言っている気がする。
俺は変わったようで変わっていない。それはもう嫌というほど自覚した。変わらないから半勢力が生まれるのであり、次から次へと厄介ごとが起きるのだ。
武闘派は確実に増えてきているのに、頭脳派が圧倒的に足りない。
「とりあえず信友は処罰。罪状は主君の弑逆でいいか。舅殿が苦笑いしそうだが、分かりやすい方がいいに決まっている。息子には斯波氏名乗っても、守護職に座ってもらうのは……困るな。尾張統一に邪魔だ」
とん、とん、とこめかみをノックする。
やはり五日だ。
各地の間諜が報告して、軍を動かすだけの時間を与えてはならない。信行派の連中が大和守と合流すれば、まとめて撃破できるメリットはある。だが味方側の損傷も大きい。
軍師はおろか参謀もいない状態で、俺がやれることは確実に勝つことだけだ。
損害を小さく収めるのは欲張りだと分かっている。
「信行に繋ぎを…………とるのは、まだ早いな。また兄貴に頼むか」
俺はこのまま、本家乗っ取りへ動くことになる。
立場的に危うい信行よりも、何度か共闘している信広の方が信頼性は高い。庶子の扱いへの不満から反信長派の疑いもあったようだが、今では喧嘩中も生温く見守られるようになった。
今も妻子とともに末森城の離れに住んでいるのだろう。
「あれ? 兄上、お一人ですか」
珍しいですねとキョロキョロしながら入ってきたのは、まさかの三十郎。
もうすぐ元服なので、烏帽子親やら何やら用意しなければならない。よく学び、配慮もできる有能な少年だ。弟たちの面倒もしっかり見て、那古野村の評判もいい。
こっそり出木杉君と呼んでいるのだが、本人はもちろん知らない。
「俺に用か?」
「ええ、信広兄上から書状が届いたのです。表は僕宛になっているんですが、中身は兄上に伝えてほしい内容みたいなので」
「ほう」
ちょうどいい。
渡されるままに広げてみると、確かに信広の署名がある。
曰く「そろそろ娘が大きくなったので、そっちに移動する。ヨロシク!」という感じだ。義統暗殺の報告が届く前に書いたらしい。子供たちのまとめ役を担っている三十郎に宛てたのは、娘の面倒を見てほしい思惑が透けて見えた。
「三十郎」
「あ、はい」
「今から兄貴に文をしたためる。お前の返事に混ぜて、できるだけ早く届けてもらうよう手配できるか?」
「頑張ります!」
ぱっと顔を輝かせた彼は、とても元気に請け負ってくれた。
もしかしなくても、自分で末森城まで行くつもりじゃないだろうな。違っていたら拗ねられそうだし、聞かぬが華というやつだ。とりあえず小姓に文箱の用意をさせ、弟が見つめる前で筆をとるのだった。
斯波義銀:尾張守護職(武衛家とも)15代当主。
川狩り中に守護邸の襲撃を知り、湯帷子のまま那古野城方面へ逃亡。津島神社で匿ってもらえたが、後に守護職の座を追われる。以降は信長を慮って「津川義近」を名乗った




