54. 疑心暗鬼
月に一回、定例評議会をひらくことにした。
元舎弟たちは集会で慣れているが、少し離れた土地を統治する家臣は難色を示す。曰く、何もないのに出向くのは面倒(意訳)とのことだ。戦に出たり、本家に顔を出したり、はたまた幕府の要請で出仕することに比べればマシだろ(と言おうとしたら、勝介に睨まれた)。
そもそも江戸時代にあった武家屋敷が、常識として定着していないのが問題だ。
城に詰めることの多い政秀や貞勝は、那古野城下に屋敷がある。
土地持ちの豪族たちは用がない限りは城に出向かないから、上下関係の絆が希薄になりやすいのだと見た。強いカリスマがあるなら別だが、馬で何時間もかかる場所よりも足元を重視したくなる。
実際、真っ先に裏切った山口親子も土地持ち豪族だった。
「そういや、山口親子の件だが」
「何か変化がございましたか?」
「鳴海城主には岡部丹波守元信というやつに替わったぞ」
ざわっと家臣たちに動揺が走る。
岡部丹波守は今川家臣だ。義元の一文字をもらうくらいだから、それなりに重用されていると考えられた。なにせ、尾張攻略の重要拠点だ。その辺の豪族は使えない。
「で、では山口左馬之助らは――」
「周囲に守備用の砦を築いて、二つの城を奪い取るなどの功績を称えるとか言って、駿府へ二人を召喚したらしいな。のこのこ出向いていった先で……、コレだ」
首の前で横一文字に切ってみせる。
斬首はポピュラーな処刑方法だ。
一益は自刃したと報告してきたが、ポーズでも腹をかっ切るのはしたくない。政秀が逝ってから、半年も経っていないのだ。それに俺は自刃することが武士の名誉を守るとは思えない。先に首を落とされるか、後から首を落とされるかの違いだろう。
「そ、その話はいつ?」
「コレ」
評議中に眺めていた紙面をひらっと浮かす。
「さすがは殿でござる。よく見える目、よく聞こえる耳をお持ちですなあ」
信盛がからからと笑えば、動揺も次第に収まっていく。
そう、この程度で騒いでもらっては困るのだ。
その証拠に元舎弟たちは、とっくに覚悟を決めた顔で俺を見つめていた。視線に込められた強い期待と信頼が重くないと言ったら、嘘になる。貞勝は眠っていないはずだが、目が開いていないように見える。
完全に静まり返ったところで、勝介が言った。
「出陣でござるか」
「いや、まだだ」
「ならば清州を攻めましょう! 後方の憂いを絶てば、今川軍に全力で当たることができまする。亡き信秀様も、きっとそれを望んでおられましょう」
ここで政秀の名が出たら、即刻仕置きしてやるんだがな。
上手く逃げた家臣に、暗い笑みが浮かぶ。
どうにも爺の死より、疑心暗鬼に陥りやすくなっていた。帰蝶と喧嘩をしたくないので、意図的に遠ざけている。異母弟たちは相変わらず那古野村で色々学んでいるようだ。戦が本格化するまでは、そのままにしておく。
「皆はまだ、評議会の意義を理解していないと見える」
「意義、とは……」
頬杖をついて、俺は余裕めいた笑みを浮かべた。
武家屋敷を作らせるのは、もう少し先だ。余剰資金を残しておくのは危険だが、家臣たちを締めつけても苦しむのは領民たちである。金がないから兵も出せないなどと、寝ぼけたことを真面目に言われても困る。
「定期的に顔を見せれば、互いの状況を把握できるだろう? 裏でコソコソしている暇もない。統治をサボっているなら、ロクに報告もできまい」
「……殿は、我らを疑っておいでか」
「疑われるようなことをしているのか?」
やり取りを聞くだけに留めている信盛は苦い顔だ。
在りし日のことを思い出しているのだろう。汚いやり口だと思うし、沢彦の思惑に踊らされているようで非常に面白くない。だからこそ俺は、ここで種をまく。
行動を起こしたければ起こせばいい。
俺が油断ならぬ相手だと思うなら、大人しくしていればいい。ただし、従順なだけの犬は一人だけで十分だ。俺の嫌いな連中が好む「扱いやすい駒」など必要ない。
「お怒りを鎮めてくだされ」
「……五郎左、俺は冷静だ」
「平手殿を喪い、今の殿は相当キレておいででござる!」
呆気にとられる俺をチラ見して、貞勝がコホンと咳払いをした。
「丹羽殿、我らにも分かるような言葉のみ使用していただけますか」
「むっ、これは失礼。怒髪天を衝く勢いでござる」
「長秀の奴、わざわざ言い直したぜ……」
「それこそワザとやってんだろ、あれは」
ぼそぼそと言葉を交わす犬松コンビ。
お前らもワザとだろう、と文句を言いたくなる。誰よりも出陣したがっているのは俺だと分かっているのだ。ぶつけようのない怒りは、発散する場所を求めている。
ずっと、ずっと耐えてきた。
俺が何をした。俺がどんな大罪を犯したというんだ。
幸せを、幸せのまま堪能しちゃダメなのか。中途半端にくるぐらいなら、一気に攻めてくればいい。それで負けても知ったことか。本当に殺してやりたい相手には手が出せない。この苦しさを誰が肩代わりしてくれるというのか。
我慢しなければいいのか。
それで平穏など、得られるわけがない。
「本日は、これにて終了とする」
ついて来ようとする利家たちを制し、俺は夜まで部屋に引きこもった。
数日後、水野信元という武将から書状が届いた。
「至急救援を請う、か」
水野氏は知多半島に位置する豪族だ。
親父殿の代から懇意にしていて、信元の妹・於大の方は竹千代の生母である。松平家と姻戚関係になった途端に今川家の介入を受け、妹は離縁された恨みがある。敵の敵は味方というわけで、西三河攻略では頻繁に連携していたようだ。
「一度も顔を見たことがない相手に、援軍を送るのもなあ」
水野氏を見捨てれば、武士の恥と笑われる。
鳴海城が今川家の所有になっている以上、水野氏のいる知多半島を奪われるのはよろしくない。というか尾張国が内紛状態になっているのを知っていて、救援依頼出したのかコレ。
もしもそうなら、相当に意地が悪い。
俺は「まあ、そのうちにね」と書いて送った。
義元が山口親子を処罰したのは功績よりも、主を裏切るような家臣は不要だからだ。人材としての価値を見出せなかったか、有能な側近がいるから問題なかったのか。
尾張攻略に尖兵として出す手もあっただろうに。
もちろん、そこで再び今川家を裏切れば俺が受け入れる。
家臣たちは騒ぐだろうが、今は少しでも戦力がほしい時なのだ。裏切る可能性があることを、知っているのと知らないのとでは大きな差がある。
それから季節が変わり、再び水野信元から書状が届いた。
「……またかよ」
「緒川城攻略のため、村木岬に砦を作っているそうです」
恒興はまだ出陣ないのか、と目で訴えている。
「砦なんて作らせとけ。周辺の城を落として包囲完了しているのに、新築の砦でダメ押し。慎重なんだかやり手なんだか、よく分からねえな義元って奴は」
「ですが、緒川城が落ちると大変なことになります」
「落ちない。少なくとも年内は生き残る」
「刈谷城は難攻不落の城と聞き及んでおりますが、緒川城を攻め落とされれば籠城しても長くはもちますまい」
「今川軍にも多大な被害が出る」
俺の意を汲むのが上手い長秀は、ここにいない。
評議会で、政秀の名を出したからだ。
あいつも覚悟のうえで持ち出したのだろうし、俺も黙って聞き流すことはできなかった。側近の一人である長秀の謹慎で、俺の怒りは家臣連中に伝わったはずだ。
「示威行為なんだよ、おそらくな」
「え?」
「あくまでも義元の狙いは、上洛っていうことだろう。西三河、尾張なんか目もくれちゃいねえ。そんなことよりも、美濃国や近江国の動きが気になっているんじゃねえか? 特に南近江の六角氏は将軍家と懇意にしている」
「まさか! 幕府と敵対するとは限らないのでは……」
「ナントカ条出して、幕府との縁を切っている」
幕府が打ち出した決まり事の中に、守護使不入地というものがある。
簡単に言うと、守護大名が入れない土地のことだ。領地内に治外法権地があって、その区域だけ幕府の許しなく課税したり、検地を行ったりできない。幕府に特権を認められた御家人衆が、それぞれの土地を管理する。
義元は幕府に世話してもらわなくても、自分たちで統治すると宣言したのだ。
そして西へ進路をとり、領土拡大を進めていけば上洛が目的としか考えられない。後世でも「海道一の弓取り」と名高い義元は、上洛を目指していたといわれている。
同じく上洛を夢見た武田信玄はこの頃、何しているんだったか。
「とにかく、だ。水野氏への降伏狙いなのは明らかだろ。俺が義元でも、なるべくなら兵力を温存しておきたいと考える。幕府に恭順の意を示すだけなら、堂々と尾張国を通過すればいい」
「た、確かに」
「幕府に従う者を攻撃したとあっては、攻められる理由を作るようなものでござる」
「つーか尾張国を攻めたら、確実に舅殿が――…」
「殿? いかがなされた」
不自然に言葉が切れたので、怪訝そうに恒興が身を乗り出してくる。
手頃な位置にあった額をべしりと叩いた。
「な、何をするんですかっ」
「近い」
「言葉で教えていただければ、すぐ下がりますよ。そのすぐに手が出る癖、誰に似たんだか」
ぶつぶつと文句を垂れる乳兄弟は無視するとして。
「半介、美濃への使いを頼めるか」
「ご命令に背くつもりはござらぬが、あまり気が進みませんなあ」
「心配しなくても戦には間に合う」
ニヤリと笑う。
これもまた賭けだ。勝つ見込みはある。
負ければ命がないのは今まで通り。帰蝶の安否を気にする必要もない。ただ、お市や異母弟たちは分からない。だから俺は負けられない。
本家との戦用に準備していたモノを、今川軍で使うことになりそうだ。
出し惜しみはしない。全力で戦って、勝つ。
水野下野守信元(忠次):緒川城主。信秀と義元から、それぞれ一文字ずつもらっているが信秀寄りの武将。息子の信長については噂で知っている程度で、援軍要請に応じてくれない「うつけ」に苛立ちを覚えている




