ローズクォーツの願望
マイケルがまず目指したのは、マダムがローズクォーツのネックレスを買ったと言う質屋だった。普段なら一緒に行くか、手分けをして宝石の由来を探しただろう。けれど今日のジェリーは全く宛になりそうになかった。
「すみません、ちょっと前にローズクォーツのネックレスが売られてませんでした? 間違って売っちゃったみたいで」
ジロ、と質屋の店主がマイケルを不審な目で見た。
「僕の妹が元々使ってたやつなんですよ。あの、レースみたいなピンクゴールドの土台にピンクの……」
少し、店主の目が和らぐが、彼はつれなく言った。
「悪いけど、もうとっくに売ったよ」
「えぇっ……! 本当ですか? 心配だな……」
マイケルは、あからさまに困った顔を作り、俯いた。ちら、と店主の視線が注がれたことに気づき、ぼそり、と聞こえるか聞こえないかの声であえて呟く。
「……大丈夫かなぁ……」
「どうかしたのかい」
店主が身を乗り出して聞いてくるのを、マイケルはちら、と横目で伺い、よし、と内心でガッツポーズを取る。別にすぐに答えてもいいのだが、それでは雰囲気がでない、と言いづらそうにいやいや、と首を振る。
「ちょっと、あんまり……」
「そう言われると気になるだろう」
逡巡するフリをして、実は、と切り出す。そこまでくれば、この店主の興味は完全にこちらにあった。主導権も、マイケルが完全に握っていると言っても過言ではない。
「……実はあれ、ちょっと曰くつきで……僕は売らない方が良いってずっと言ってたんだけど」
少しだけ目をそらして、苦々しい顔をすると、店主は一人で、得心がいった、とばかりに、目を見開き、あぁ、と声を上げた。マイケルは、何も言わずにただ首を傾げた。
「……いやね、ここだけの話」
店主が真面目な顔をして声を潜める。マイケルは、顔を近づけてうんうんと頷いた。
「あのネックレス、何度売っても帰ってきちゃうんだよね」
「……!! やっぱり……! 大丈夫ですか、何もなかったですか!?」
必死に尋ねるマイケルに、店主はひょいっと肩をすくめて答えた。
「いや、こっちの損にはなってないからいいんだけど。ただ、やっぱり毎回慌てた様子でお客が売りにくるのとか見ると気持ちが悪いと言えば悪いなぁ」
なるほど、とマイケルは頷く。確かに、毎度毎度同じ装飾品を客が青い顔をして売りに来たら気持ちが悪いだろう。こみ上げる苦笑いを堪え、まるで罪悪感に押しつぶされそうな顔をして、俯く。
「……僕がうっかり売らせたばっかりに……何か不幸がったら僕はどうしたら……」
「いやいや、でも売った人もそんなに大きな不幸があった訳じゃなさそうだったから……!」
マイケルのしゅんとした表情に、店主はあわあわと付け足す。マイケルはそっと上目で店主を伺った。どうやら、彼はマイケルに多少同情的なようだ。
「……え……? てっきり、家が荒れたとか、事故がとかだと思ったんだけど……」
「いや、そんな大事じゃないさ! でも、なんかやたらと金髪の男が魅力的に見えたり、まるで若い女の子みたいになったりするって聞いたなぁ」
だいたい、マダムから聞いた話と同様だ。特に対した収穫はない。そして、害もない。
「……それならよかったけど」
「そうそう、坊ちゃんが気にすることじゃないさ!」
にっかりと笑う店主に笑みを返して、マイケルは質屋を後にした。携帯を取り出し、ジェリーに電話をかける。
「ヘイ」
「……ミック?」
受話器の向こうから聞こえる、くぐもった声。
「質屋で話を聞いてきたよ、マダムと言ってたことはほとんど一緒」
しばしの沈黙。
「……ミック、それで、俺はいつまでここにいたらいいんだ」
途方にくれたような声。そんなの、決まってる、マイケルのことなど構わず自分のやりたいようにしたらいい。
「ジェリー……?」
「……ミック、俺が悪かった……謝るから」
弱々しい声。ぎょっとした。
「どうしたんだよ、喧嘩なんていつものことじゃないか……!」
慌てて言うが、ジェリーから返事はない。明らかに様子がおかしい。マイケルは慌てて車を出して、ジェリーを残してきたモーテルへと戻った。
「ジェリー!」
扉を蹴り飛ばす勢いで開けると、ジェリーは項垂れて指を組み、床を見つめたままベッドに腰掛けていた。しかし、マイケルが到着したとわかった瞬間、俯いていた顔ががばっとあがる。まるで救いを求めるようなその顔に、マイケルの足が動揺でぴたりと止まる。
ジェリーは立ち上がり、足早にマイケルに近づいてきた。たんたんと、床を踏みしめる音。
ぎゅっと、手が握られたことで、マイケルはハッと意識を引き戻された。小さく震える手が、マイケルの手を強く掴んでいる。熱い手のひらは、じんわりと汗ばんでいる。彼は一体、どれだけの間ベッドに腰掛けていたのだろうか。
「……ジェリー?」
「よかった」
何が、よかったのだろう。そう思うよりも先に、見上げた瞳が潤んでいることに、その瞳が真っ直ぐにマイケルを射抜くことに気づき、マイケルは目を見開いた。
「ジェリー?」
今にも泣き出してしまいそうな顔をして、マイケルの手を握って離さない彼に、思わず女性にするように肩に手を回して抱き寄せてしまいそうになる。しかし、そんなことは男同士でするようなことでもないし、何よりジェリーは求めてないだろう。
そんなことをぐるぐる考えている間に、上背も厚みもあり、頼りがいのある体がぽすりとマイケルの腕の中に収まった。
「……ジェリー!」
何が起きているのか理解のできないマイケルは目を白黒させながら声を上げた。その声に、ガバリ、とジェリーが体を離す。その顔には笑みが浮かんでいるが、いつものようにキまった笑顔じゃない。それは少しだけ引きつっていた。
「……悪い、こんなん、困るよな」
マイケルは、今度こそ躊躇いなくその体を抱き寄せた。
「いい、いいんだ、ジェリー」
初めて、彼から頼られた気がした。肩に、自分の物ではない暖かさを持った重み。彼の頭がマイケルの肩に乗せられたのがわかった。
「どうしたんだよ、一体」
努めて穏やかに話す。ぐりぐりと頭が押し付けるように振られる。困ったマイケルは、その広い背中をとんとんと軽く叩き、天井を仰いだ。何がどうなっているのか分からなかったが、違和感は確信的な物に変わっている。
「ジェリー」
その体を力を入れずに離す。目を合わせると、それだけで彼は気まずげに目をそらす。その頬に薄く紅が掃かれたようになっているのは、おそらく気のせいなんかじゃない。
「……ジェリー、君、ジェリーじゃないよね」
厳しい声で言えば、ジェリーの眉がぎゅぅと寄せられ、情けなく眉尻が下がる。
「……誰だ」
自分の相棒を乗っ取られるなんて、最悪の気分だった。きつい口調で問いただすと、ジェリーの顔が泣き出しそうに歪む
「……私のこと、嫌い?」
誰だ、ここにいるのは。マイケルはぞくりと震えた。
「ねぇ、私……あなたのこと……!」
そういうジェリーの話し方は、完全に女性の口調。明らかに、ジェリーのものではなかった。頬を少し赤らめて、どこか恍惚とした瞳でマイケルを見つめるなんて。慌てて、マイケルは机の上に出しっぱなしにしてあった塩を握り締める。そして、容赦なくジェリーにふりかけた。
「きゃっ!」
彼には似合わない可愛らしい悲鳴。誰だ。これは誰だ。ばくばくと心臓が鳴り響く。顔の前で腕をクロスし、塩を避ける彼の体は、ジェリー本人の物なのに、中身が全て入れ替えられてしまっていることに対する強烈な違和感。
マイケルは、あのマダムや質屋が言っていた言葉を思い出した。別人のようになる、若々しくなる、成る程、その通りだ。気持ち悪くて売り払いたくなる気持ちが今よくわかった。
動転してしまったが、ジェリー、もとい彼女は害を為すようなモノではないのだ、と感情のままにその顔を殴り飛ばしてしまいそうになる自分を抑える。なにより、その体はジェリーのもので、うっかり殴ろうものなら正気になった時に何倍返しされるか分かった物じゃない。
相変わらずうるうるとした瞳で見上げてくるジェリーに背を向け、何度か意識的に息を吸い、吐き、を繰り返した後、再び向き直る。その肩を両手でがっと掴んで、とろんとしたその目を見つめる。
「……君は、誰? 何がしたいの……?」
「誰、だなんて……」
ジェリーの眉がそれはそれは悲しげに下げられた。マイケルは自分が何の失言をしてしまったのか全く想像が付かず、心の中でスラングを叫んだ。しかし、悲しげに眉を寄せながらも、一旦俯き、彼女は気を取り直したように、しかしやっぱり悲しそうに言った。
「……私みたいなその辺にいる子、貴方みたいな人がしらなくても仕方ないよね」
薄ら寒い。殊勝な上に女言葉のジェリーに、先程から寒気とさぶいぼが止まらない。引き攣りきった笑みを向けながら、マイケルは首を傾げて疑問を再び伝える。
「……ジェイミーよ、ジェイミー・カーティス。ジェニーって皆呼ぶわ」
聞かなければよかったな、とマイケルは更に苦い顔になった。ジェニーだって。また随分、呼びにくい。言い間違えないように、ゆっくりと頭の中でも反芻しながらマイケルは無理やり頬の肉を上げて尋ねた。あくまで紳士的に、年頃の乙女を相手にするように演じた。
「ジェイ、ミー。それで君は一体、何を伝えたいんだい」
ジェリーの瞳がまん丸になる。そしてぱちくりとした後、何か言いたそうに唇がゆるゆると動く。白い頬に徐々に赤みがさしていく。あっという間にその赤は耳まで染めた。マイケルをじっと見ていた目は逸らされ、床を見てしまった。
どう見ても、彼女は人に危害を加えるタイプではなかった。そのことに少しばかり安心するが、だからといって事態が解決した訳ではない。放っておいたら相棒であるジェリーは帰ってこないし、今この状態を解決しないことには話がすすまない。
「それで、ジェイミー……」
もじもじとしているジェイミーの顔を覗き込めば、ただでさえ赤い顔が、りんごのように、蒸気を出しそうな位に真っ赤に変わる。しばらくの沈黙。何か言いたそうにしてはいるが、彼女の口は言葉を紡がない。マイケルは焦れったく思いながらもただじっと彼女が口を開くのを待った。
しばらくすると、彼女が聞き取れるか聞き取れないかのとても小さな声でぽつりと呟いた。
「……一緒に、映画を見て欲しくて」
「は?」
思わずマイケルは真顔で言ってしまった。彼女の顔がさっと青くなる。そして慌てた顔で、その頭をぶんぶんと左右に振った。強ばった笑みがその顔に浮かぶ。
「ご、ごめん、嘘……!」
まずい、と慌ててマイケルは両手を顔の前でぶんぶんと振った。
「いいや。映画、映画、ね……? どんな映画が見たいの?」
彼女が口に出したのは、数年前に流行ったラブロマンス。そういえばその映画はマイケルも前の彼女と行ったなぁ、と懐かしくも苦々しい思い出がよぎる。ベタベタの話はマイケルも嫌いじゃなかったが、最後の明らかにお涙頂戴のシーンはどうにもチープだったし、泣いている彼女に差し出したハンカチは、その日に限ってうっかりアイロンを掛けそこねていて、恥ずかしい思いをした。こんなふうに駆け回ることになるとは知らなかった、世間知らずで平穏な頃。
マイケルは苦笑いを浮かべながら、すまなそうに言った。
「……その映画は、もうやってないらしいから、他のに行こうか。どんな映画が好きなの?」
にこ、と笑うと彼女は少しがっかりとした様子をしながらも、気を取り直したように少し考え込む。
「えっと、アク……ううん、ラブストーリーが好き」
明らかに言い直したのを指摘はせずに、マイケルは頷いた。
「いいよ、今晩一緒に行こう」
ふわり、と笑う笑顔は甘く柔らかく、愛されて育った乙女の顔をしていた。それがジェリーの顔と重なる。そんな穏やかな笑顔を見たのは初めてだった。




