ローズクォーツの願望
起きた瞬間、マイケルは思った。
「……なんだ、夢か。寝よう」
目が覚めたらそこにはジェリーの顔があって、まぁそれだけならば無いことはない話だが、そのジェリーの顔がなんともまぁ、目元が柔らかく緩み、口元に笑みなんか浮かべちゃって。
それこそ、マイスイートハートとか言って、まるで恋人と初めてセックスした翌日の朝に相手を見つめるような、愛おしくてたまらないという慈しみと幸せに溢れた顔なんかして。
一目で夢だと分かった。
「ミック、ミィーック、起きろよ」
ゆさゆさと体を揺さぶられる感覚。なんだなんだと寝返りを打ち、声のする方へと視線を向ける。ジェリーがじっとこちらを見ている。先程よりもマシになってはいるが、それでも彼の声は少しばかり甘ったるい。
嫌な夢を見るものだ、再び寝入ろうとするが、今度は彼の腕がぐいと力ずくでマイケルの体を起こすものだからたまったものじゃない。
「ああ! もう! なんだよ!!」
体を起こしてしまえば、もはやそこは夢の中などではないことを実感する。寝ぼけて記憶の混濁でも起こしたかな、とどことなく重たい頭を振る。
「飯買ってきたから食えよ」
ひょいっと片眉を上げて言う彼に、ふざけた様子はない。珍しい。いつもなら布団にごろりと寝っ転がって、おいミック、買ってこいよ、なんて言うこともままあるというのに、既に買ってきてあるだなんて。なにかマイケルに要求でもあるのかと疑ってかかってしまうのも仕方のないことだろう。
しかし、そんなマイケルの疑念も知らず、ジェリーはほら、とマイケルを促しながら、これまた用意がよいことに、既に沸かされていたお湯でコーヒーを淹れている。やはり夢なのではないのかと、マイケルは自らの頬を力いっぱいつねった。
「あいてっ」
「何してんだよ、寝ぼけてんのか?」
まるでマイケルの頭がおかしくなったかのような顔をして眉を寄せるジェリーに、いいやお前がおかしいんだと言い放ちたくなったが、マイケルは言わずに黙り込んだ。
黙り込んだ、というよりは黙り込まざるを得ない状況にあった。彼の屈強な分厚い胸元には、いつものクロスが揺れる。けれどその上、胸元というより殆ど首に絡むようにして見慣れないピンクゴールド。見慣れないとはいえ、その華奢なデザインには見覚えがある。
「……ジェリー、いつからそんな趣味が……」
「はぁ?」
ジェリーは本当に意味が分からない、という顔をして首を傾げた。マイケルはまさにドン引きしながらジェリーの胸元をつ、と指さした。ジェリーはマイケルの指先に視線を這わせ、その指の指す自らの胸元から自らの手のひらを首に向けて上げていった。そして、彼の指にいつもと違う感触があったのだろう。その瞳が大きく見開かれた。
「おい、なんだこれ」
「僕が聞きたいよ、君にそんな趣味があるだなんて」
「ばっ、か……! ある訳ねぇだろ! なんだこれ」
ジェリーは自らの首の後ろに手を回し、あわあわとそのネックレスを外そうとするが、それは彼の首元でキツそうにピンクの石を揺らすばかりでなかなか外れない。
「くそっ……!」
「外そうか?」
見かねてマイケルはジェリーの後ろに回る。華奢な留め金に指を掛けるが、留め金がダメになっているのか、なかなか外れない。そもそも、小さなカンの出っ張りにマイケルの大きな指はなかなか都合が悪く、かしゃんかしゃんと指から逃げていってしまう。
「切るか……?」
真顔で忌々しげにその華奢な鎖に力をかけたジェリーの手をマイケルはそっと上から押さえた
「……やめときなよ、うっかり呪われても知らないよ?」
そういえば、チッと舌打ち。女物のせいでぎゅうぎゅうに首に巻きついてしまっているように見えるそれは、今のところ大きな害をジェリーに及ぼしそうにはない。マイケルはにやり、と笑って言った。
「それに、そんなに可愛いのつけてるだなんて、ずいぶんキュートだ」
「サノバビッチ!」
ジェリーが全力で叫んだ。マイケルは眉をあげてしれっとした顔をしながらジェリーの淹れたコーヒーを飲んだ。どこにいったって、適当な淹れ方をしたインスタントコーヒーはまずかった。ちら、とジェリーがこちらなんとなく物言いたげに見た。何か気になることでもあったのだろうと、気にせず食事を始める。
ちらり、ちらりと視線が何度もマイケルの元へと往復する。なんだなんだ、やたらと今日は視線がうるさい。いつもうるさいのは口の方なのに、どういうことだと顔を上げると、ジェリーがじっとこちらを見ていて、しかしマイケルが顔を上げたとわかった瞬間それはすっと逸らされた。
「……僕の顔に何か?」
「お堅い坊ちゃんの顔しかねぇなあ」
畜生め。
ジェリーは減らず口を一つ叩いて自分は自分で、りんごを服でこすって綺麗にしてから、もぐもぐと齧っている。珍しい。朝も胃もたれしそうなほど脂っ気の強いパンケーキやらバーガーやらそんなものを貪っている彼には軽すぎる気がする。昨日の夜もサラダ以外食べていなかったし。
ぐぅ、と腹が鳴った。
「……ジェリー、足りてないんじゃないの?」
「うるさい!」
白い頬が赤く染まる。中性脂肪もコレステロールもカロリーも何一つ気にしてないような豪快な食べ方をするジェリーが、こんなりんご一つで足りる訳がない。
逃亡生活の中では、確かに三食きっちり食べられないことも多いそんな中、ジェリーは腹が減ったと辟易としているのが常だった。
「……やっぱり何かおかしいよ」
「何がだよ。俺だってりんごが食べたい時だってあるさ」
いや、好きだったとしても、それを朝食代わりにするようなキャラじゃないだろう?
「絶対そのネックレスのせいだって」
「なんでだよ、俺はしたいことをしてるだけだぞ!?」
「したいことしてるなら、ジェリーはまず朝っぱらから胸焼けしそうな程バタータップリ、砂糖たっぷりのアップルパイでも食べてるさ!!」
りんごはりんごでも、もっと腹に貯まりそうな方を選ぶ、そうだろう?
「たまには生が食べたかったんだよ!」
そう言って憤慨するジェリーの顔に嘘はない。それは間違いないのだが、それでも何かがおかしい。マイケルは眉を寄せながら考え込む。おかしいのはわかる。それがネックレスのせいであろうこともわかる。しかし、ネックレスが人の好みを変えるなんて聞いたことないし、害があるわけでもないし、勿論理由も分からない。解決のしようがない。
唯一害があるとしたら、ジェリーが気持ち悪い、そのマイケルの違和感だけだった。調子が狂う、と思いながらもマイケルは食事を済ませ、テーブルの上に地図を広げようとした。次の目的地を決めるためだ。
ジェリーが、なぁ、と声を上げた。
「どうした?」
「たまにはそういうのナシにして、ゆっくりしないか」
マイケルは、一瞬彼が何を言っているのか理解できなかった。元々穏やかな生活をしていたマイケルと違って、ジェリーはスラム暮らし。どこか地に足の着かない状態であったとしても全く堪えている様子はなく、ゆっくりしたいだなんて言い出すとは思わなかった。
元の生活に戻りたい、だなんて言い出すのはマイケルの役目だったし、ぶつぶつ文句を言いながらも、結局仕事に励んでしまう、そんな彼が休息をとりたいと言い出すなんて。
「……やっぱりおかしいよ」
「いいじゃねぇか、もう摩訶不思議現象は飽きた! 休む! 元々俺はそんなに仕事熱心じゃねぇ!」
むっつりとむくれる彼に、マイケルは眉を寄せた。
「そんなこと言うけど、早く解決しなきゃ、僕たちの安全はいつまでたっても保証されないよ!」
実際、逃亡生活に休み等はない。まして次から次へと怪しい宝石に振り回され、命を危機に晒している。そんな時間は早く終わればいい。
「もう、いいじゃないか、どこかに隠れてひっそりと暮らそう!」
「僕には姉さんがいるんだ!」
そういう訳にもいかない。そう言うと、ジェリーはその形の良い眉をきゅぅっと寄せて、切なげな顔をした。心なしかその大きな瞳が潤んでいる気がした。じっとマイケルを見つめてくるジェリーに、言い含めるように言う。
「ジェリーだって、このままじゃダメなのはわかっているだろ。それに、今も苦しんでいる人がいるのに、じっとしてられないよ」
いつものように、おどけながら、そうだな、と言ってくれるのを期待していた。けれどジェリーはそうは言わなかった。ただ、その目を伏せ、床を見つめて口を開ける。
「だって、俺達がここまで苦労してまで、誰かを救う必要なんてあるのか? そりゃ、俺達の目的だってその先にあるとは言え……俺達だって休んでもいいはずだ」
ぽつり。床の上に落とされた言葉に、マイケルは目を見開いた。反射的に、ジェリーの胸ぐらを掴み、引き寄せる。ジェリーの視線は、相変わらず逸らされたまま。
「僕は、君の口からそんな言葉は聞きたくなかった」
クズで、女たらしで、ルーズなロクデナシ。そんな彼だが、案外真っ直ぐ、人としての倫理観はまともに生きていると思っていた。むしろ、そういうところは好ましく、頼れる相手だとマイケルは信用していたはずだ。そんな彼から、こんな投げやりな言葉を聞くことになるとは思わなかった。ジェリーの胸元を掴む手の力が強くなる。
ジェリーは、少し苦しげに眉を寄せ、いつもならマイケルに殴りかかるだろうに、今日はそんな風に抵抗をするでもなく、ただ黙っていた。視線はマイケルから逸らされたまま。ただ、とても傷ついた顔をしながら、長く息を吐いた。
「……俺に、正義のヒーローなんて似合わないだろう」
マイケルは掴んでいたシャツを放し、ジェリーの肩を押した。よろ、とジェリーが一歩後ずさる。そうされても彼は何も言い返したりせず、ただ悲しげにマイケルを見ていた。
「……なら僕はもう少しこの街を調べるから。車、借りていいだろ」
返事も聞かず、モーテルの扉を閉めた時、マイケルはジェリーがどんな顔をしていたのかは知らなかった。




