サンストーンの安寧
「それでは、こちらにサインをお願いします」
銀行員の指示に従い、ジェリーはスラスラと名前を書いた。勿論、ジェリー本人のものではない。父エリックの親族でできる限り近い年齢の者の名前を書いた。
「えっと、三十五歳、ですか……? 随分お若く見えますね」
「よく言われるんだ。三十五じゃ、君にとって守備範囲外?」
冗談めかして誘いをかけると、綺麗な笑顔でごまかされた。残念。タイトスカートのヒップがとても魅力的なのに。そう思っていたら、彼女はちょっと目を細めて返した。
「女の人は、年上好きが多いものよ」
ヒューと口笛を吹きそうになるのをこらえ、彼女から書類を受け取る顔をしてしれっと指先に触れる。彼女がいたずらっぽく笑った。綺麗に手入れされた女の指。帰りに是非とも連絡先を聞いておきたいものだ。
彼女の指示に従い、エスカレーターを降りていく。彼女に促されて入った部屋には、小さな金庫がずらりと並んでいた。そのうちの一つに彼女は近づき、がちゃりと鍵を開けた。しかし、そこにはもう一つ鍵穴がある。今度はジェリーが持ってきた鍵を差し、くるりと回した。
かしゃり、と鍵が回る音がして、金庫が開いた。中から引き出されたトレイの上には、二つの封筒。
拍子抜けした。もっと何か物凄いものがあるのかと思っていた。ただの封筒が、二通。のばした指先が視界の端で震えていて、みっともないと思った。その二つを手に取り裏返すと、ジョージ・ジェンキンスと、エリック・フランプトンの名前がそれぞれ刻まれていた。その二つを、ポケットに無造作にしまう。
なんとなくぼんやりとした気持ちで銀行を出た瞬間、ジェリーはぴたりと固まった。
背中に押し当てられたごつりとした感触。ひゅっと息を呑んだ。つ、と背中に伝う冷たい汗。低く押し殺した声で囁かれる。
「一緒についてきてもらおうか」
舌打ち。どこからつけられていたんだろうか。ジェリーはふっと笑った。
「ここで大声出してコップのお世話になるか?」
「出したらもれなくお前の命はないけどな」
おぉ、怖い、と返しながら不自然にならないように足を進める。さて、どうしたものかと脳みそをフル回転させているが全く道は開けそうにない。ジーザス、俺の命運もここまでなのか、と信じてもない神に思う。
男は突きつけた銃口で行き先を指示してくる。ジェリーは大人しくそれに従って歩いた。流石に大通りに面した場所で何かを仕掛けることはできないようで、銃を突きつける以外のことは一切してこない。しかし、このまま物陰に引きずり込まれたらおそらくジェリーになすすべはないだろう。
「……だから、本当に知らないんだって……」
嘘だ。ひとつだけ思い当たる節がある。けれどそれを言う訳にもいかない。渡してそれで終わるならいいが、マイケルの黒水晶もまだ見つかっていないのだ。
「ジェイ!」
聞き慣れた声に顔をあげる。
「……よぉ、ケヴィン」
路肩で軽トラックを止め、窓から顔を覗かせている。彼はジェリーの後ろ側にいる男を見て、それからジェリーを見た。
「最近調子はどうだ?」
「ぼちぼちってとこだな」
どういう意図か分からないが、ケヴィンが普段ならジェリーに聞かないような質問をしてくる。男がはやく済ませろというように突きつけた銃でコツコツと背中を押してくる。
「そういえばお前に貸してたアレ、いい加減返せよ」
「あ? アレか? 家だっつの」
ケヴィンに話を合わせる。借りていたものなんて覚えてないし、それ以前につい借りっぱなしになるジェリーの性格をケヴィンもわかっているから最近は物を貸してくれない。本来なら、こんな会話成り立たないのだ。背中の男にそれが伝わらないように和やかに会話をする。
「家まで乗っけてってやるから早く返せよ」
「はぁ!?」
素が出た。いきなり何を言い出すんだ。再び背中に強く銃が押し当てられる。まずいまずい。このままじゃ撃たれる。
「おい、後ろのあんちゃん、いいだろ! なんならあんたも乗っけてってやるから! こっちは忙しいんだ、次いつこいつを捕まえられるかわかりゃしねぇ!」
「いや、でも、俺もこれから予定があるし……」
うるせぇ、とケヴィンに怒鳴りつけられる。思わずびくりとする。
「いいから早く乗れよ! 悪いがあんちゃん、こいつ借りるぜ」
ケヴィンにぐっと腕を引かれる。その瞬間、突きつけられた銃口が外れる。振り返れば、一見なんの変哲もなさそうな男がそこにいた。男は上着の中に銃を隠したらしく、その手には何もない。
「っていうことで、悪いけど先にこっちの要件片付けさせてくれ!」
悪い、と言って頭を下げると、男は笑みを浮かべて構わない、と背を向けた。助かった、と思い急いでケヴィンの車に乗り込む。
「ケヴィン、出してくれ、それで、できるだけ後ろから来る車には気をつけろ、巻け」
焦って声をかけると、ケヴィンは溜息を吐いて肩をすくめた。
「んなことだろーと、思ったよ!」
ハンドルを切り、一気に速度をあげる。ぶつかりそうになった後ろの車から怒声が聞こえた。
「ジェイ、お前このまま街出ろ」
「は? ミックは?」
マイケルはどうするのだ、と身を乗り出すと、ケヴィンはふっと笑ってコンコン、と後ろの窓を叩いた。ばっと荷台を覗くと、後ろにかけた麻布の下から顔を覗かせてブイサインをするマイケルがいた。
「そもそもお前の後つけろって言ったのはアイツだからな」
え、という前にケヴィンがふふんと鼻で笑った。
「どんだけお前が大事に囲っても、天使を鳥かごに収めるなんて難しいってこったなぁ?」
面白そうに笑うケヴィンに、ジェリーは顔をしかめた。たまったもんじゃない。あーっと、呻き声をあげてジェリーはシートに勢いよく背中を預けた。
「おいケヴィン、どこまで話したんだよ」
「何も。そこはお前たちの問題だろ。俺は余計なことをするのが大嫌いだ。知ってるだろ」
陽気に言い放つケヴィンに、お前はそう言う奴だよ、とジェリーはげんなりしながら返した。
「ケヴィンありがとう!」
マイケルはジェリーの車に乗り込みながら自分たちとは逆方向に走り去るケヴィンに手を振った。既に運転席に座ったジェリーはむすっとした顔でビールを煽っている。
「飲酒運転、よくないから僕が運転変わろうか」
「こんくらいじゃ引っかからない」
ジェリーは不機嫌なのを全く隠しもせずにアクセルを踏んだ。
「……あのさぁ、ジェリーも思うところあると思うけど、僕だって言いたいことがあるんだ。僕は、確かに役に立たないだろうけど、それでも力になりたい」
君の力に。今まで思っていたことを告げる。マイケルは、今までの役立たずで情けないマイケルではいたくなかった。ぎゅっと新たに増えたネックレスを握り締めた。
「ミック、これあげるわ」
マイケルが昨晩コールの家を出るときに、マーガレットに呼び止められた。彼女は自分の首の後ろ、髪の毛を避けて首元のチェーンを外した。彼女は首から外したオレンジのペンダントトップのネックレスをすっとマイケルに差し出した。
「いいものじゃないけどね。これなんていうのか知ってる?」
「サンストーン、だよね」
見覚えのある石。一応、高価な宝石以外も満遍なく知識を得ているので見たら大体分かる。それに、その石は彼女が好んでつけていたものだった。
「そう。劣等感を取り除いて自信をつけてくれる石よ。今の貴方の力に、少しでもなれたなら」
くすりと笑うマーガレットの手に手を重ねる。冷たいはずの石が暖かく感じた。自らのネックレスを外し、そのチェーンに元々かかっていた指輪とともにマーガレットのくれたネックレスのトップを通す。流石にマーガレットのチェーンは短くてマイケルの首にかけるのには苦しい。
「貴方らしく頑張って。貴方は十分魅力的。貴方がいるとそれだけで雰囲気がパッと明るくなるのよ」
「……ありがとう」
思わず笑みが溢れる。彼女は手を伸ばし、マイケルの頬を両手で包むとにっこりと笑った。
「そう、そうやって笑ってて、私たちの天使」
そうやって姉が笑ってくれた。それだけでマイケルはなんだか頑張れる気がした。ぎゅっと彼女のネックレスを握り締めると、ふっと心が軽くなる気がした。はっきりと言いたいことを告げなくてはならない。役立たずで泣き虫なミックとしてではなく、今ジェリーの隣にいる、共に旅をする者としてのマイケルとして。
「隠し事をするななんて言わない、役立たず扱いするなとも言わない。けど、僕はちゃんと君と戦って行きたいんだ。僕を、諦めないで」
真っ直ぐにジェリーを見つめる。彼の瞳はいつものヘーゼル。その下に、透き通ったアメジストを隠し持っているのを、マイケルは知っている。知っていて、見て見ぬふりをしているのだ。
「一人で戦わないでよ、ジェリー」
ジェリーは黙ったまま、ポケットから二通の手紙を取り出した。そして、ハンドルを片手にそれを読み始めた。マイケルは黙って彼の言葉を待った。ジェリーはぎゅっと唇を噛み締め、それから手にした手紙をくしゃくしゃにして丸めてポケットに詰め込んだ。
「おいミック、お前その首からかけた指輪見てみろ」
「……ジェリー、はぐらかさないでよ」
「いいから見てみろ」
ジェリーに促されるまま、マイケルは服の下から指輪を引き出し、眺めた。今更、これがどうしたって言うんだ。
「木の指輪、真ん中に切れ込みがあるだろ」
切れ込み? そういえば、と指輪を見ると、確かに真ん中にすっとラインが入っている。ぐるりと一周。内側も見ると、同じ場所に入っていた。
「それ、上と下持って、回しながら引っ張れ」
ジェリーに言われるがままに、回そうとするが動かない。
「動かないよ」
「もっと力入れろ」
壊してしまいそうだった。それは父からもらったもので、壊してしまうのは怖かった。しかし、ジェリーはハンドルを握り、前を向いたまま淡々と言った。きゅっと口元を引き結んだその顔は真剣そのもので、マイケルはごくりと唾を飲んで、覚悟を決めて思い切って回した。
「うぁっと!」
ぱらり、と木が剥がれ落ちる。わたわたとそれを落とさないように掴む。壊してしまった、と慌てて指輪の方を見た。
「…………!」
「……そういうことだ」
マイケルの手の平の上には銀の輪があった。茶色い木下に(木の下)眠っていた、黒い透き通ったそれは。
「……黒水晶」
「今まで黙ってたけど、俺のネックレスについてる指輪があいつらの狙ってるラピスラズリの指輪みたいだ」
そう言って彼は自分の首にかけられたネックレスの革紐を揺らした。彼のかける十字架に絡んでいる指輪についているのは、確かにラピスラズリだった。
「結局、これは一体なんなんだよ……見つけたんだし、渡してしまえば旅は終わるの?」
何気なく、マイケルは尋ねた。ジェリーもマイケルも父の形見なのだ、渡してしまいたくない気持ちは勿論ある。しかしそれ以上に、マイケルとジェリーの身の安全の方が大事だろう。父二人だってきっとわかってくれる。そう思って尋ねたが、ジェリーの首は無情にも横に振られた。
「ダメだ」
「なんで!」
思わずジェリーに食ってかかった。ジェリーは表情の抜け落ちた顔で、忌々しげに言った。
「これを守るのが俺たちの父親の願いだそうだ」
「なんで」
「鍵だから」
「何の」
すぅ、とジェリーは息を吸って、それからゆっくりと吐いた。車はトンネルに入り、視界が暗くなる。
「あのアメジストの指輪みたいなヤバイもんがたくさん詰まった場所さ。この指輪もなんか力があるらしいぜ」
まるで新しい玩具を見つけたようなハイトーン。トンネル内の照明でチラチラと照らされるジェリーの口元は皮肉げに歪んでいた。
そんな馬鹿な、と言いたかった。言えなかった。今まであった色々な不可解な出来事といい、マフィアが延々追いかけてくることといい、それが真実だと認めてしまえば、簡単なことだった。でも、と言いたげな顔をしているマイケルに、ジェリーはそっと呟いた。
「お前はお前の父親に認められてなかった訳じゃねぇ。ちゃんとそれを託されてただろ。その上で、大事に守られてたんだよ」
ハッとする。
「ま、そうと分かったら仲良く死神とランデブーだな」
そう言ってジェリーは音楽の音量を上げた。マイケルはぎゅっと指輪を握り締めた。力ってなんなんだよ、とか、これからどうしたらいいんだよ、とか聞きたいことはいくらでもあった。けれど、マイケルはこみ上げる物を堪えるのに精一杯だった。
「泣き虫ミック」
ジェリーがそうやってからかう声は、いつもよりも優しかった。その時、ジェリーのハンドルを持つ手が震えているのに、マイケルは気付けなかった。




